覚悟


「平坂ァッ!」


 ずっとと言っても、陽太の体感時間がそうだっただけで、実際はその間わずか数秒である。

 永遠のようなわずか数秒から陽太が現実に回帰した瞬間、七末が烈火のように怒りながら、怒濤の勢いで詰め寄ってきていた。


「なんで小森先輩の居る前であんなことを言った!? 答えろっ!?」

「い、いや、好恵先輩があの場に居るなんて、普通予想つかねェだろ……」

「だとしても、言っていいことと悪いことがあるだろうがっ!?」

「ってか、おまえ、キャラ違ってんぞ?」


 蹴り技の達人とは言え、普段、クラスでは大人しめの雰囲気だった七末がここまで豹変するのに、陽太は困惑する。

 好恵先輩が逃げ出したのも未だに理解できないし、七末は怒るしで、陽太の頭の中の処理がほとんど追いつかなくなってきたところで、


「まーまー、落ち着け、なゆきち」

「ぬっ……でも、桐生先輩……!」

「はいはいはい、ほーら、イイコイイコ」

「う、わ、ちょっと、先輩……うぬぅ……」


 桐生先輩が助け船を出してくれた。

 七末の百五十センチにも満たない小柄な身体を易々と抱き抱えて、桐生先輩は彼女のことを宥めにかかる。

 すると、怒り心頭だった七末は、ものの数秒で大人しくなってしまった。獅子が子猫になる過程を見たような気がした。

 それはともかく。 


「まあとりあえず、平坂も部室に戻れ。話はそれからだ」

「あ……は、はい」


 落ち着きはしたものの、未だに整理が付かないまま、陽太は桐生先輩の促すとおりに部室内に入るのだが。


「……………………」


 室内にいる女性陣が、非難轟々の雰囲気をこちらに向けてきていたのに、陽太は思わず引いた。

 先ほど烈火のごとく怒りを見せた七末は、大人しくなった今もその火がくすぶったままだし。

 姫神部長は『……偶然とは言え、アレはのう』と呆れたように首を横に振っているし。

 戌井は、率直にゴミを見るような冷たい視線でこちらを見てくるし。

 部では一番の穏健派である鈴木でさえも、困ったように苦笑を浮かべるのみで、陽太に味方する気配はない。

 ただ、朝比奈先輩はと言うと、


「……少々間が悪かったようだ」


 いつもマイペース(自己中とも言う)で涼やかな顔に、申し訳なさそうな雰囲気を浮かべていた。

 その様子に、桐生先輩は何か察したようで、


「朝比奈、おまえ、一枚噛んでるな」

「……先日、小森女史に頼まれてな。一応、同級生で知らない仲でもないことだしでだな。で……彼女から、陽太きゅんの本心をそれとなく聞いて欲しい、と頼まれたのだよ」

「じゃあ、小森いいんちょがあそこに居たのも偶然ではないってことか?」

「否、それはない。図書室で待機しているように私は言っておいたのだが、何故、彼女がここに来ていたのかは私にも解らん」

「ちょっと待て、朝比奈先輩。好恵先輩がオレの本心をって、なんでそんなことをする必要が?」

『…………は~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~』


 陽太が朝比奈先輩に問うも、桐生先輩と朝比奈先輩を除く全員が、長い、とても長い溜息を吐くだけであった。

 原因は不明だが、はっきり言って、ものすごく呆れられてるのだけは解った。


「平坂くん、もうちょっと……ねえ?」

「ここまで来て、この反応なの? もしかしてわざとなの? それとも、私がおかしいだけなの?」

「藍沙、おまえは正しい。まったく正しい。少なくとも私は藍沙と同じ思いだ」

「拝島委員長から聞いていたが、そこまで好恵嬢と向き合えてなかったとはのう」

「だから、そう言われてもわかんねーって!?」

「平坂。無理なら一から考えてみようぜ。で――それを、さっきのように否定するな」

「…………」


 確かに。

 桐生先輩に言われたとおり、整理をつけるために一から考える必要がありそうだ。

 好恵先輩が陽太の本心を聞きだすように朝比奈先輩に頼んだのは、何を思ったからなのか?

 と言うより、陽太の本心って何だ?

 朝比奈先輩は、いつ、陽太が好恵先輩に告白するのかと訊いた。

 つまり……好恵先輩は、陽太の気持ちを、知っていた?

 ……いや、本心を訊きたいと言っていたからには、その気持ちそのものを知りたかったはずだ。

 それは何故?


「…………」


 そこで――陽太は、さっきの場面を想起する。

 告白のシミュレーション。

 上手くいった例がない。

 自信を意識しても、上手くイメージできない。

 ならば、と。その前提を朝比奈先輩が提示してきたが、陽太はその前提否定した。

 それが原因か?

 陽太があの時否定したことを、好恵先輩が偶然聴いて、それで好恵先輩が傷ついた?

 つまり――


「え?」


 ちょっと待て。


「ええ?」


 それ、すなわち。


「えええぇ……?」


 考えられない。


「えええええぇぇ?」


 だが、繋がる。

 繋がってしまう。

 何度考えても、念入りに考え直しても、その結論になる。


「えええええええええええええええええぇっ!?」


 瞬間。

 ボッと。

 平坂陽太の顔に、体中に、頭から爪先に至るまで、急速に熱を持ちだした。

 鼓動が早くなる。

 息が乱れる。

 全身が、脈を打っている。

 反射的に顔を両手で押さえても、放熱が収まることはない。

 

「あ、やっと理解したようだよ」

「なんつか、恋を自覚した瞬間の乙女みたいだな」

「……卑怯よ。さっきまであんなに最低と思ったのに、今はこんなにも和んでしまうなんて」

「なんじゃこの可愛い生き物」


 女性陣が好き勝手に言っているようだが、それも陽太は部分部分しか聞こえてこない。

 完全に、熱に浮かされている。

 でも。

 その結論が出たならば、全部が全部、腑に落ちた。

 さっきの場面だけでなく――好恵先輩と過ごしてきたこれまでの、全てが全てに於いて。

 平坂陽太は、納得した。

 それほどまでに、彼女は。

 そして――そんな彼女の気持ちに、オレは。


「平坂、答えは出たか?」

「……はい」


 桐生先輩の問いに、陽太ははっきりと頷く。

 全身に浮いていた熱はいつしか治まり、ただ単純に陽太の胸の中で、熱く、熱く循環していく。


「おまえがこれからするべきことも、わかってるか?」

「もちろん」

「……じゃ、行ってこい」

「はい。――行きます!」


 もはや、是非もない。

 突然に迎えられた状況で、心の準備が出来ていない部分があるけど、そこはもう、勢いと度胸だ。

 ずっと慕ってきた兄貴分に背中を押され、教室を出ようとする、その直前に。


「陽太きゅん」


 朝比奈先輩が、一度、陽太を呼び止めた。

 振り向くと、彼女は、未だに後ろめたそうな雰囲気だった。身長百九十センチ近くの長身が、今は少しだけ小さく見えた。

 そんな朝比奈先輩を、陽太は初めて見た気がする。


「その……ごめんな。私も、いろいろ強引すぎたようだ。反省している」

「心配ないッス。自信を持つ面でオレが勇気づけられたのは、朝比奈先輩あってこそだと思うから。まだ……完全じゃないけど、オレなりにやってくるッス」

「……そっか。ならば、今まで通りに、キミなりに頑張って」

「はいっ!」


 朝比奈先輩の激励に、陽太は力強く頷き返して、部室を出て走り出す。

 半年以上、想い続けた彼女の元へ、速く、速く――


「こらそこっ! 廊下を走るなっ!」

「あ、す、すんませんっ!?」


 通りがかった先生に怒られてしまった。

 陽太、少し反省しつつ、出来るだけの早歩きに切り替えたところで、


「って、そういや、好恵先輩が何処に行ったかわかんねェ!?」


 肝心なことに気付いた。

 ……あれだけ良い感じに部室を出たというのに、先生に怒られた上にこの体たらく、格好がつかないというかなんというか。いつも通りと言えば、それまでなのかも知れないけども。


「ううむ……」


 とりあえず、気を落ち着かせて、考えてみる。

 そのまま家に帰った、というのが真っ先に候補に浮かんだが、陽太から逃げた手前、そうそう見つかりやすい場所には行かないと思う。二ヶ月前に、陽太の家とご近所さんになったのもあるし。

 何より、あの状態で遠くに行けるとは思えないから、まだ校内には居ると思う。

 心当たりがある場所で言えば、二年三組の教室か、図書室か、それとも――


 べべべん・べん・べん・べべべべべーん♪

 

「!?」


 いきなり、制服のポケットから、三味線主体の勇気溢れる音楽が鳴る。

 何事かと思ったけど、よくよく考えれば携帯の着信音だった。

 今、それどころではないのだが、それでも陽太は反射的にポケットからスマホを取り出すと、


「――――」


 画面には、『小森好恵』の名前と、番号があった。

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