一コマの結実 〜一コマシリーズ9

阪木洋一

一進一退


「陽太きゅんに訊きたいことがある」


 部活動中のことである。

 この日、珍しく部活に顔を出した二年生の女生徒、朝比奈あさひなぎんが、作業を行いながら唐突に、平坂ひらさか陽太ようたに声をかけてきたのは。


「なんスか、朝比奈先輩。あと、いい加減『きゅん』はちょっとやめて欲しいんスけど……」

「断固拒否する。キミは素質に溢れているのだから、そう呼ばざるを得ないのだよ。言わば……これは、私の本能だ」

「ものっすごいイヤな本能だなっ!? つーか、何の素質ッスか!?」

「先日、演劇部の助っ人でキミが女装をしたと聞いたとき、その晴れ姿を見逃したことを、私はどれだけ後悔したことか……しかも、メイド服……くっ……!」

「やっぱそっちか!? この前のは、部活サボってた朝比奈先輩が悪いんでしょ。あと、オレはもう女装しないッスよ」

「させて見せるとも! 私のっ! 全力をっ! もって! メイド服を!」

「そんな時だけ本気見せるのやめてもらえませんかね!? 怖いんスけど!?」

「ちなみに、その時は私のカワイコちゃん達も一緒だ、ふふふ」


 朝比奈先輩が視線を向ける先、陽太と同級生の女生徒である七末ななすえ那雪なゆき戌井いぬい藍沙あいさがビクッと肩を震わせていた。

 その傍ら、部長の姫神ひめがみナナキは『私のって、我は吟のモノになった記憶はないぞ』とやれやれと嘆息し、副部長の鈴木すずき桜花おうかは苦笑しているのだが、それはともかく。


「とまあ、楽しみは後日に取っておくとして、今は陽太きゅんへの質問なのだよ」

「なんつーか……拒否権を行使したい気分なんスけど」

「そんなもの、私の前に役に立つと思っているのか?」


 有無を言わさせない朝比奈先輩。

 身長百九十センチに近い長身からは、見た目通りの圧と、妙に熱のこもった視線を感じる。

 陽太は、思わず後退りするのだが、


「こらこら朝比奈、あまり後輩脅してんじゃねーよ。平坂ビビってんだろ」


 同じ部活の先輩であり、陽太が兄貴分として慕っている男子生徒である桐生きりゅう信康のぶやすが、朝比奈先輩の前に立った。

 

「あ、アニキ」

「桐生、邪魔しないでもらえるか。陽太きゅんにとっても大事なことなのだよ」

「おまえの思う大事は大概ロクでもねーんだよ」

「真面目な話だ。それに、誰かに守られっぱなしというのは、陽太きゅんにとって望む立ち位置ではないと思うのだが?」

「む……」


 挑発するかのように言う朝比奈先輩に、陽太は顔をしかめる。

 彼女の言うとおりである。

 桐生先輩の後ろに隠れる自分など、自分の目指している自分ではない。


「大丈夫ッスよ、アニキ」


 気がつけば、陽太は桐生先輩を少々強引に押し退けて、朝比奈先輩の前に立っていた。


「平坂」

「朝比奈先輩がどんなことを訊いてこようが、余裕で答えてやるッス」

「ん? 陽太きゅん、今、どんなことでもと言ったな?」

「……コイツのこういうところが最も警戒すべきなんだけど、いいのかー?」

「ら、楽勝ッス」


 上から邪悪な笑いで見下ろしてくる朝比奈先輩に、陽太は思わず後悔しかけたのだが、ここはもう度胸と勢いだ。

 桐生先輩に感謝だけしておいて、陽太は朝比奈先輩と向き合う。

 身長差、約二十五センチ。無論、こっちの方が低い。だが、陽太は目を逸らさない。

 そんな陽太の姿勢に、朝比奈先輩はニヤリと笑う。


「うむ、キミのそう言うところは、可愛い女の子愛好家な私とて好ましく感じるのだよ。少しときめいちゃったぞ」

「御託はいいんで、さっさと済ませてくれませんかね?」

「つれないな。……まあいい。私がキミに訊きたいことは、小森女史のことだ」

「? 好恵先輩?」


 朝比奈先輩の言う小森女史とは――陽太が、もう半年以上片想いしている二年生の女子、小森こもり好恵このえのことである。

 彼女のことを思い浮かべるだけで、陽太は胸を突かれたような、それでいてその可愛さに癒されるような、いろいろ落ち着かない気分になるのだが……それは置いといて、だ。

 何故、朝比奈先輩が好恵先輩を?



「率直に訊く。陽太きゅん、小森女史とはもう寝たのかね?」



 ブ――――――――ッ!?


 その質問を受けて、こちらを見守っていた周囲の約半数が吹き出した。

 見ると、姫神部長は愕然となり、鈴木は肩を揺らしており、七末と戌井は顔を真っ赤にしながら悶絶していた。


「朝比奈、おめーというやつは……!」


 そして、桐生先輩はこめかみに怒りマークを浮かべながら朝比奈を睨んでいたのだが。

 ただ一人、


「え……? ね、寝たって、どういうことッスか?」


 陽太だけが、意味を理解していなかった。

 周囲が見せた、それぞれの反応についてもよくわかっていない。

 好恵先輩と寝たとは、一体? 勉強中に居眠りとか? それとも、お泊まりか何か? それはそれで嬉し恥ずかしではあるのだが……。


「うむ、ピュアだね。素晴らしいね、陽太きゅん。そういうところだよ」


 そして、朝比奈先輩は少し恍惚顔で、大きな全身をゾクゾクさせていた。

 なにがなんだか。


「朝比奈、これ以上平坂につまらんことを訊いてみろ? 断罪してやんぞ」


 未だに怒れる桐生先輩が、青白いオーラを浮かべつつ、手刀を朝比奈先輩に向けようとしている。いつも緩やかでニュートラルな彼がここまで怒るというのも珍しい。

 これにも、朝比奈先輩は涼やかに受け流し、


「うむ、質問を少し変えよう。おまえを怒らせるのは、私とて望むところではない」

「フン、二度目はねーぞ」

「……ええと、結局、好恵先輩と寝たって、一体どのような意味で?」

『キミ(おまえ)は知らないままでいい』


 異口同音で先輩二人に言われてしまった。

 陽太、ちょっと切なかった。


「ともあれ陽太きゅん、小森女史についてだ。キミはもう半年以上、彼女に恋い焦がれているようなのだが」

「ぬっ……な、何故それを……!」

「いや、バレバレなのだよ」

「ええっ!?」


 よもや、バレていたとは……!

 周囲を見ると、『え? 今更?』みたいな顔をしている。

 桐生先輩ですら、何も言ってこない辺り、どうやら部室に居る全員一致で、自分の慕情を知っているようだった。

 陽太、流石に恥ずかしくなって、頭に熱を持ちだした。


「で。陽太きゅんは、いつになったら彼女に告白するのかね?」

「こ、告白って……!」

「おい、朝比奈」

「桐生、おまえは少し黙っていろ。周囲は今まで忖度していたようだが、私は違う。いい加減に背中を押さないと、陽太きゅんは前に進めないと思うのだよ」

「…………」


 桐生先輩、押し黙る。

 どうやら朝比奈先輩の言うことに、少々の納得があるようである。助け船は望めなさそうだ。

 ならば陽太は、現状を正直に答えることにする。

 

「告白は……まだ、出来ないッス」

「それは何故?」

「オレ、まだ好恵先輩に告白できるくらいに、男らしくなってないッス」

「キミの言う男らしさとは?」

「オレ、見た目とかこんなだから、それ以外の全ての面で、もっと強くならないと……胸張って好恵先輩を守れるような男になったとは言えないッス」


 昔から、平坂陽太は自分の女の子っぽい容姿がコンプレックスだった。だが、もって生まれたモノはどうしようもない。

 それらを全て覆すために、学業も運動も努力しているし、人に役に立つ学内奉仕を主にしているこの部活に入って、心身共に鍛えてきた。

 だが、まだ、自分の想う彼女を射止める高みには至っていない。


「そうは言うてもヨータ、お主、この前の中間テストは学年五十位以内じゃったろ。一学期が平均以下じゃったのを考えると、かなり進歩したのではないか?」

「まだだ姫神。学年同点トップのおまえや鈴木くらいにはならねェと」


 姫神部長が横から言ってくるも、陽太は首を横に振る。


「んー、平坂くん、成績だけでなく運動面でも結構伸びたと思うよ? この前の球技大会のバスケでも活躍してたじゃん」

「パスを出す面でちょっと活躍しただけだっつーの。青山が特訓してくれなかったら、どうなってたことか」


 鈴木も付け足すのだが、陽太は要領を得ない。


「私から言わせてもらうと……この前に私とやった組み手でも、いい線までいったでしょ。空手初段取れるくらいには、平坂くんは肉体面も技術面も向上してると思う」

「七末、おまえが昔からの蹴り技の達人とは言え、女子に全敗してるうちは、オレは強くなったとは言えねェんだよ」


 七末に言われても、陽太は余計に自信がもてない。


「新参者の私が言うのもアレだけど、学外での活動に一番熱心なのは平坂くんだと思うわよ。それにホラ、送られてきたお便りでも、商店街の人達が特に感謝してるわ。『あの平坂の坊が、すごく立派になった』って」

「そりゃあ、オレは昔からこの町に住んでるし、あそこは皆優しい人達だから、必要以上に持ち上げてくれるっていうか……」


 戌井が部に送られてきたメールを見せてきても、陽太は唸るのみである。

 とまあ、皆が皆、様々な手法で陽太のことを褒めてくるので、少し恥ずかしい心地になるのだが、それでも陽太は、彼女達が褒める自分よりもまだまだ上があると感じざるを得ない。

 コンプレックスを、覆したとは思えない。

 そんな陽太を見て、朝比奈先輩は、


「陽太きゅん、キミに言えることはただ一つだ」

「え? なんスか」

「キミ、自分に対する理想が高すぎなのだよ」

「な……!」

「上を目指すなとは言わん。向上心のあるのは良いことだ。だが、それとは別で、事あるごとに空回ってたり、時々とてもヘタレになったり、部の皆にイジられて涙目になったり、小森女史の話題を振られて『はわわーっ』と真っ赤になってたりするキミのほうが、私にはとても魅力的だ。思わずゾクゾクしてしまうっ」

「『はわわーっ』とか言ってねェよ!? あんた、もしかしてオレのことものっすごい馬鹿にしてません!?」

「それに、何もかもが完璧なキミに魅力を感じる者は、少なくともこの部には居ないと思うのだが」

「な……」


 そのように言われて、陽太は周囲を見ると。


「ま、今のお主でないと、いろいろとモノを頼みにくいしのう」

「平坂くん、親しみ深いしねー」

「漫画に出てくるような、完璧イケメンの平坂くんというのもなぁ……」

「あまりピンと来ないわね」


 朝比奈先輩に賛同、という数が圧倒的だった。

 そんな、まさか。

 今までの頑張りは無駄だったと、言うのか?


「無駄なんかじゃねーぞ」


 と、陽太の心理を見透かしたかのように、桐生先輩が言ってきた。


「要は、今まで通り、空回りしながらも、しっかり頑張ってるおまえが一番ってこった」

「アニキ」

「俺達の言いたいことは、その頑張りに、平坂自身がもっと自信を持っていいってことだぞー」

「…………」


 もっと自信を持て。

 この前、知り合いの先輩であり、好恵先輩の友人である拝島士音にも言われたことだ。

 当時、その言葉の意味が陽太には解らなかったのだが……つまり、こういうことだろうか?

 オレは、頑張れているのだろうか?

 理想の自分に届かないながらも、少しは、近づけているのだろうか?


「とりあえず、だ。さっきの皆からのおまえへの褒め言葉は、否定せずにしっかり受けとっとけ。その上で、おまえはこれからもおまえなりに頑張れ。な?」

「……はい」


 そう、考えると。

 少しずつ、部の皆がどう思ってくれているのかが、陽太の胸中に落ちたような気がして。


「……皆、ありがとよ」


 自然と、お礼の言葉が出てきて。


『――ぶっ!』


 全員に爆笑された。


「な、なんで笑うんだよっ!?」

「ククク、ヨータ、なんだか可愛いのう」

「なっ……か、可愛いってなんだっ!?」

「いやいや、ちょっと赤面しつつ、照れ隠しみたいに皆に向かってお礼言うって、可愛い以外何を言えばいいのやら」

「うん、いつも何となく思ってたけど、今回は口に出して可愛いと言えてしまうな」

「可愛いわね、確かに」

「だ、だからやめろって!?」

「可愛いっ!」

「平坂陽太可愛いっ!」

「ヤメテ!?」


 陽太、恥ずかしさのあまり真っ赤になりつつ両手で顔を押さえる。

 この様は、単なる身悶えしている女の子みたいだというのが、自分自身でもわかってしまう。

 可愛い可愛いとか言われているこの現状、男らしいと言えるのだろうか?

 頑張ったのはいいけど、この辺りは昔とあまり変わっていないような?

 ……知らない間にこういう感じになるのは、やはり覆していかねば。


「とまあ、長い前置きはさておき、陽太きゅん。小森女史への告白はどのようにしていこうか」

「いや、急に言われても……」

「急なことではあるまい。もう半年も想い続けているのだ。告白のシミュレーションだって何度も繰り返しているのだろう?」

「……そうなんスけど、上手くいくイメージを持てた例がないんスよ」

「まあ、今までが今までだからそれも仕方ないだろう。ただ、少しは自分を認めようと思う今なら、どんな感じになる?」

「う……ううむ、駄目だ、昨日の今日ではわかんねェ」

「では、こうも考えてみよう。小森女史が元からキミに好意を持っていた、という前提ではどうだ?」

「な……っ!」


 言われて、陽太は息が詰まる。

 好恵先輩が?

 オレを?

 もし、そうであったなら、オレは――


「いやいやいやいや! そこまで厚かましくなれねェよ!」


 とまで考えて。

 陽太は、その思考をキャンセルして、頭の中がパニックでいっぱいになってしまう。

 ――そのためか。



 コンコン



 部室のドアに鳴った控えめなノックの音に、陽太は気付けなかった。

 気付けないまま、


「好恵先輩がオレのこと好きだって? そんなのナイナイナイ! そんな都合のいいことなんて、百パーセント有り得ねェよ!?」


 そのように、ほぼ叫ぶように言った。

 あまりの剣幕に、朝比奈先輩を含む部員の全員が驚いたようで、室内には一瞬の静寂が訪れる。


 その静寂の、タイミングで。


 カタン、と。

 部室のドアの向こうで、物音が鳴ったような気がした。


「? 誰か居るのか?」


 その物音に桐生先輩がいち早く反応して、部室のドアを開けると。

 そこには――


「あ……小森いいんちょ」

「…………?」


 桐生先輩がそう呼ぶのに、陽太も、思わず部室の入り口に足を向けると。


「好恵、せん、ぱい?」


 その通りに、陽太にとっては意中の先輩――小森好恵が、そこに居た。

 いつものおさげ髪、ちょっと丸みのある顔立ちだけど……今は、ぼんやりとした雰囲気は微塵もなく、眠たげだった半眼は、めいっぱいに見開かれていて――


「あ……」


 その瞳から、涙が一粒、また一粒と溢れ出てきていた。


「え、せ、先輩……なんで――」


 あまりの事態に、陽太が呆然と呟くのが、スイッチになったようで。

 好恵先輩は、ふらりと、一度だけ足をよろめかせた後に。


「っ……!」


 その場から、走り出した。


「せ、先輩!? せんぱ――――いっ!?」


 それは、ここ最近では陽太にとって見慣れた光景で。

 でも――今は、彼女のその走りが、とても痛々しく感じて。


「……先輩」


 陽太は、何もすることが出来ずに、走る彼女の背中を見送るしかなかった。


 その後ろ姿が、見えなくても。

 ずっと、その場で立っているしか出来なかった。

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