第22話 僕らのクリスマスはこんな感じで

 12月24日、クリスマスイブの夕刻。僕は、サバトのときに待ち合わせをしたカラオケ屋『歌い屋』の看板の前に立っていた。


『明日、空いてる?』


 昨日、小戸森さんにそう尋ねられたときは、これは夢なのではと疑った。

 なにせ『明日』といえばクリスマスイブだ。混野まじるの高校の奇跡とまでうたわれる小戸森さんに誘われるなんて、それこそ奇跡である。


『あ、空いてるけど……』


 どぎまぎしながら答える。

 小戸森さんはなにかを言おうと口を開いた。が、のどが凝りかたまったみたいに言葉が出てこない。

 怪訝に思って顔を覗きこむと、彼女は急に大音声で言った。


『か、影山さんが確かめたいと!!』


 話が飛びすぎてよく分からない。影山さん、というのは、前にサバトで会ったメガネの魔女だろう。


『影山さんが、なにを確かめたいの?』

『使い魔かどうか怪しんでる。だから明日……一緒に出かけてほしい』


 顔をうつむけ、手をもじもじさせる。


『なるほど、一緒に出かけて、また使い魔のふりをすればいいんだね』

『そ、そう!』


 小戸森さんは顔を上げた。


『どこかから監視してるから、一緒に街を回ってほしいの』


 ――そういうことか……。


 残念な気はしたけど、クリスマスイブにふたりで出かけられるだけでも上々ではないか。

 僕は小戸森さんとのクリスマスイブを思いっきり満喫することにした。それがたとえ使い魔の立場だったとしても。そして願わくば、来年のクリスマスイブは、


「こ、恋人として、なんて……!」


 背後に誰か立つ気配がした。小戸森さんだろうか。僕は独り言を聞かれたのではと狼狽し、振り向くと同時に言った。


「や、やあこんばんは! 晴れてよかっ……」


 そこには見知らぬ男性が立っていた。年の頃なら二十代前半、なんだか高そうなレザージャケットを着て、ヘアワックスでばっちり髪も決まっている。シルバーのピアスもよく似合っていて、とてもお洒落な感じのひとだった。


 男性は言った。


「もしかして彼氏にすっぽかされたの?」

「い、いえ」


 ――……ん? 彼氏?


 固まる僕に構わず、男性はつづける。


「実は俺もすっぽかされてさ。そういう人たちで集まって騒ごうと思ってるんだけど、君もどうかな?」

「い、いや、僕はべつにすっぽかされては」

「え、もしかして君、ボクっ娘? 意外~」


 このひとはなにを言っているんだろう。ボクっ娘もなにも、僕は男――。

 何気なく目元に手をやると、いつもはそこにないはずのものが指に触れた。


 ――あ、メガネ。


 小戸森さんから渡され、今日、必ずかけてくるよう言われていたメガネだ。菱川さん特製のこのメガネをかけると魔法で別人になれる。僕と小戸森さんの関係が知られないようにするための措置だった。

 しかし実際に姿形が変わるわけではない。メガネから出る魔力で身体を覆い、相手に幻覚を見せるのだ。

 その幻覚とは『一番見たいひと』。

 つまり、この男性には僕は恐らく『クリスマスイブを一緒に過ごしたい、好みの女の子』に見えているのだろう。


 背筋が寒くなった。恐怖で身を強ばらせていると、急に手首をがっと掴まれた。


「ひっ」


 しかし手首を掴んだのは目の前にいる男性ではなく、後ろから現れた小戸森さんだった。


「すいませーん、みんな待ってるんでー」


 小戸森さんは男性にそう言うと、ぐいぐいと僕を引っぱって男性から引きはがす。

 そして充分に距離をとったあと手を離した。


「あ、ありがとう、助かった」

「どういたしまして」


 小戸森さんは口を押さえてくつくつと笑っている。


「園生くんがっ……ナンパされてっ……!」

「ほんと怖かった……。でも小戸森さん慣れてたね、かわし方」

「お姉ちゃんの真似。一緒に歩いてたら、しょっちゅう声をかけられるし」


 さもありなん。小戸森さんと菱川さんが歩いていて、声をかけられないほうがおかしい。

 そのときふと疑問が浮かんだ。僕は腕を広げて尋ねた。


「僕はどんなふうに見えるの?」

「どんなって、いつもよりちょっとお洒落な園生くん、かな」


 含み笑いをしていた小戸森さんが徐々に真顔になる。そして急激に顔を赤くしたかと思うと、言い訳がましく言った。


「ち、違うから! その……ま、魔女には効かないの、そのメガネ!」

「そっか、そりゃそうだよね」


 僕に見えるってことは、小戸森さんが『一番見たいひと』は僕自身ってことだと思って――。


 ――一瞬、すごく喜んでしまった……。


「行こっ」


 小戸森さんはちょっと怒ったみたいな声で言って、歩いていってしまう。


 ――やばい、こんな様子を見られたら影山さんに使い魔失格のレッテルを貼られてしまう。


 僕は慌てて小戸森さんのあとを追った。



 とりあえず夕飯を、ということで入ったレストランで、小戸森さんは『エッグカリーハンバーグディッシュ』と対峙たいじしていた。

 コートを脱ぎ、シャツの袖をまくり、鞄から取り出したシュシュで髪をまとめる。そして手を合わせ、


「いただきます」


 と、静かに、しかしはっきりとした口調で言って、ナイフとフォークを手にとった。

 エッグカリーハンバーグディッシュ――、それはご飯の上にハンバーグと目玉焼き、そこにさらにカレーをかけたボリューム満点の一皿である。ちなみにサラダもついている。


 小戸森さんはナイフで切った目玉焼きとハンバーグをフォークで刺し、カレーをからめて口に運んだ。しばらくもぐもぐとしたあと、フォークですくったご飯を口のなかに追加する。


 んふう、と満足そうな鼻息が漏れる。


 そして飲みこんだかと思うと、矢継ぎ早に二口目にとりかかる。

 二口目も飲みこむと、テーブルに備えつけのナプキンを一枚とり、額と鼻の頭に浮かんだ汗、口元を拭ってくしゃりと丸め、手に握りこむ。

 にこにこと微笑みながら、三口目へ。


 ――おいしそうに食べるなあ……。


 僕は口元に手をやった。


 ――小戸森さんはいったいいくつ僕のツボを押さえてくるんだろう。


 僕はばくばくとうまそうにご飯を食べる女のひとがツボなのだ。なんかこう「もっとお食べ、たんとお食べ」みたいな気持ちになる。


 小戸森さんは四口目を口に運ぼうとして手を止めた。


「食べないの?」

「た、食べるよ」


 僕はハンバーグにナイフを入れた。

 ちなみに僕が注文したのは『レギュラーハンバーグステーキ』だ。一五〇グラムで、ご飯はついていない。小食の僕にはこれで充分だ。


 僕と小戸森さんは同時に食べ終わった。

 彼女はメニューを見ている。デザートでも頼むのだろうか。


 と、思いきや、彼女はすっとんきょうな声をあげた。


「あれ!? この『チーズパケットステーキ』ってもしかしてチーズインハンバーグのこと?」


 僕もメニューに目を落とす。

 たしかに『チーズを包んで焼きました』と書いてある。

 小戸森さんは「あ~……」と残念そうな声を出した。そう言えば、夏ぐらいだろうか、小戸森さんが菱川さんと「チーズインハンバーグがおいしかった」などと話していたのを聞いた記憶がある。好物なのだろう。


 悔しそうな顔をする小戸森さんをほっこりした気持ちで眺めていると、彼女はおもむろに呼び出しボタンを押した。

 間もなくやってきた店員さんに言う。


「このチーズパケットステーキをひとつ」

「でえっ!?」


 今度は僕がすっとんきょうな声を出してしまった。

 小戸森さんは眉をひそめたたが、すぐに笑顔になり、僕に向かってこくりと頷いてから店員さんに言った。


「あ、やっぱりふたつで」

「違うよ!? ――すいません、ひとつでいいです」


 店員さんは笑顔を絶やさず「かしこまりました」と言って離れていった。さすがプロ。

 小戸森さんは怪訝な顔をする。


「食べたいんじゃないなら、なんでおっきい声を出したの?」

「い、いや、あれだけ平らげたあとに、さらに肉とチーズを追加するとは想像だにしなかったので……」

「ええ? でもチーズインハンバーグは別腹だから」

「ごめん、その理論、はじめて聞いた」


 彼女の細い身体のどこにハンバーグが収まっているのだろうか。

 やがて店員さんが運んできたチーズパケットステーキをぺろりと平らげたあと、小戸森さんは尋ねた。


「園生くんはデザート食べないの?」

「い、いや、僕はもう」


 小戸森さんの食べっぷりを見ているだけで、もう胸がいっぱいである。

 すると小戸森さんは、


「じゃあ今日はわたしもやめておこうかな」


 などと言う。


 ――今日はって……、いつもは食べるんだ……。


 えずきそうになって僕は慌てて唾液を飲みこんだ。



 食事代は別会計だった。


「使い魔としてなら、僕がおごったほうがいいんじゃ?」


 と、耳打ちすると、小戸森さんはきょとんとしたあと、


「あ」


 と、いま気づいたみたいな顔をした。


「ええと……、つ、使い魔が人間の場合はセーフ」


 小戸森さんは腕を水平に広げた。


 ――そういうものなの?


 使い魔の主従関係って意外と緩いのだろうか。


 ――でも影山さんは「魔女と使い魔は決して甘い関係になれない」とか言っていたし……。


 よく分からない。だから僕がいまできることは、あと約三ヶ月、小戸森さんが僕のしもべ化をあきらめるそのときまで心に隙を作らないことだ。




 小戸森さんと大型スーパー『ディオン』に入る。外もひとがたくさんだったけど、店内はさらに密集していて、半歩ずつしか歩けない。

 ようやく衣料品売り場に到着し、小戸森さんは棚のカゴに盛られたシュシュを物色する。

 彼女にくっつきすぎないよう、でも離れすぎて影山さんに疑われないような距離に立ち、見守る。


「これよくない?」


 小戸森さんがシュシュをとりあげて僕に見せてくる。


「いいと思うよ」


 僕は笑顔で答える。


 ――なんか本当にデートみたいだな。


 最近、小戸森さんが僕に子供っぽい表情を向けてくることが多くなってきた。さっきハンバーグを食べたときもそうだった。前は、それは菱川さんの特権だったのに。


 ――少しは気を許してくれるようになったんだろうか。


 楽しそうにシュシュを選ぶ小戸森さんの横顔をぼうっと見る。

 ぼうっとしてしまったのは、見とれているのもあるが、そろそろ人波に疲れてきたというのもある。僕はあまり人混みが得意ではない。だからお祭りやイベントがある日は極力外出しないようにして、いままでの人生を歩んできた。


 ふと気がつくと、小戸森さんが僕の顔をじっと見ていた。


「な、なに?」


 小戸森さんは手にとっていたシュシュをカゴにもどした。僕がぼうっとしていたから、つまらなさそうな顔をしているととられて、機嫌を損ねてしまったのだろうか。


「あ、ごめ――」

「やっぱりデザート食べたくない?」


 僕の謝罪を小戸森さんの食欲が飲みこんだ。


「え、デザート?」

「行こっ」


 小戸森さんは手招きしてエスカレーターのほうへ歩いていく。僕は慌てて彼女のあとを追った。

 小戸森さんが向かったのは一階の食品売り場。その一角に店を構えるケーキ屋『森元』だ。

 彼女はそこでショートケーキをふたつ買い、出口に向かって歩いていく。


「え、もう出るの?」

「いいところに連れていってあげる」


 僕らは外に出て、立体駐車場のスロープ下の暗がりへ向かう。

 小戸森さんが背中の刀を抜くような動作をすると、その手に竹ぼうきが現れた。彼女は竹ぼうきを水平にすると柄に腰かけて、ふわりと浮かぶ。


「さ、園生くんも後ろに乗って。――あ、腰は掴まないでね」


 と、じとっとした目で僕を見る。前にほうきに乗せてもらったとき、恐怖のあまり腰を鷲づかみしてしまったことを根にもっているらしい。


「わ、わかったよ」


 僕は後ろに座って彼女の細い肩に手をかけた。


「目をつむって。着くまで絶対に目を開けないでね」

「う、うん」


 僕は言われるがままに目をつむった。

 足が地面から離れる。ふわりとした浮遊感。ひんやりとした空気が顔を叩く。


 ――どこに連れていかれるんだろう?


 どこか雰囲気のいい、たとえば夜景のきれいなところとか、ロマンチックなところ?


「はい、着いた」

「え?」


 ――早くない?


 何分も飛んでいない。混野まじるの市内でそんなロマンチックな場所なんてあったっけ……?


 足が地面につく。小戸森さんは、


「まだ開けちゃ駄目だよ」


 と言って、僕の手首を引いて誘導する。

 そして立ち止まった。


「はい、開けて」


 僕はまぶたを開いた。


「ここ……」


 僕はきょとんとした。

 そこは――。


「石垣……」


 放課後に密会をする、いつもの、学校裏の石垣だった。

 僕は戸惑って小戸森さんを見る。


「なんか疲れちゃって。わたしたちはやっぱり、こっちのほうが落ち着くよね」


 ちょっと苦笑いみたいな顔をして小戸森さんは言った。


「……そうだね」


 僕もちょっとクスッと笑ってしまった。

 クリスマスイブだからって無理に背伸びをすることなんてなかったんだ。僕らには僕らのやり方がある。

 嬉しかった。なにより、彼女とその気持ちを共有できていたことが嬉しい。


 ふたりで冷たい石垣に腰をかける。箱を開けて、小ぶりなショートケーキを手づかみする。


「ちょっと待ってね」


 小戸森さんはショートケーキの上で指を鳴らした。するとそこに線香花火みたいな光が現れて、ちりちりと爆ぜた。


「クリスマス、って感じだね」

「でしょ?」

「でも魔女ってクリスマス祝うの?」

「……いまさらそれを言う?」


 小戸森さんはジト目で僕をにらんだあと、ぷっと吹きだした。

 魔法の光に照らされた、小戸森さんの笑顔。僕はその顔を見ながら、ケーキを口に運んだ。


 ハンバーグでお腹がいっぱいだったけど、彼女と食べるケーキなら別腹だ。

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