第21話 会いたくて会いたくてつながる

 冬休み前の最後の密会を終わった。


「じゃあまたね」


 と、笑顔で手を振り、去っていく小戸森さん。


 ――あっさり……。


 休み明けまで会う機会がなくなり、僕は憂鬱で憂鬱で仕方ないというのに。

 夏休みに入るときも憂鬱ではあったが、休みが終わればまた会えるし、と我慢できた。

 しかしいまは、あのときよりもずっと、つらい。僕のなかで小戸森さんの比重が大幅に増しているようだった。


 それに、明後日はクリスマスイブだ。プレゼントを買って、チキンを買って、ケーキを買って、なんて企業の広告戦略に躍らされるつもりはないけど、爺むさいと言われる僕でも「好きなひとと過ごしたい」くらいは思う。だから余計につらいのだ。


 家に帰ってからも、家族に体調を心配されるくらい僕はヘコんでいた。大好物であるタラの白子の味噌汁も、いつもはおかわりするのに一杯しか食べられなかった。

 ため息ばかりが出る。もう呼吸をしているのかため息をついているのかもよく分からない。


 僕はベッドに倒れこみ、何度目になるか分からないため息をついた。

 小戸森さんの顔が思い浮かび、幸せな気分に満たされるも、しかししばらく会えないという事実を思い出し、ヘコむ。その繰りかえし。


「ああ……」


 ――会いたい。


 某人気歌手が歌うには会いたいと震えてしまうらしいが、たしかにいま、僕の身体や視界はぐらぐらと揺れていた。


「いや――」


 僕は弾かれるように起きあがった。


「地震だこれ!?」


 その瞬間、ズズン! と家が縦に揺れてベッドから落ちそうになった。

 体験したことのないような強い揺れに呆然としていると、階下から母親の心配する声が聞こえた。僕は「なんともない」と告げ、スマホを確認する。ニュースアプリを開いてみるが、地震速報はなかった。少し待ってから更新してみても変わらない。


 不審に思いながらも停電も通信の途絶もないため、「まあいいか」と僕はもう寝ることにした。今日は冷えこんでいるので毛布を掛けようと押入を戸を開ける。


 毛布がなかった。いや、毛布がなかったどころの話ではない。

 押入がなかった。戸を開けたその先に広がるのは、見知らぬ部屋。押入が誰かの部屋とつながったとしか思えない状況だった。


 驚きのあまり声も出なかった。しばらく呆然と突っ立っていたが、ふわりと香ってきた桃のような香りに、僕は現実に引きもどされた。

 これは小戸森さんの香りだ。


 僕はその部屋のベッドを見た。照明の消された部屋。僕の部屋からの明かりが入りこんで、ベッドの掛け布団がふくらんでいるのが分かる。

 ふくらみがもぞりと動いた。そして微かなため息。

 石垣の密会でいつも聞いている小戸森さんの声と息づかい。僕が間違えるわけがない。


 確信を持って、声をかけた。


「小戸森さん」


 布団のふくらみがびくりとした。しかし起きあがろうとはしない。現実か幻聴か区別がつかず、様子を見るために息を殺しているのだろう。


「小戸森さん、現実だよ」


 布団の端がめくれ、顔の上半分だけが出てくる。やっぱりそれは小戸森さんで、その仕草のかわいらしさと彼女に会えた嬉しさで、僕は笑ってしまった。


「なん、なん、なん……!?」


 ベッドサイドのリモコンで電気をつけ、小戸森さんは僕の顔を、目を見開いて見た。


「なんで……!?」

「小戸森さんがやったんじゃないの?」

「――わたしはなにも」


 妙な間があったが、彼女の驚き方を見るかぎり嘘ではないようだ。


 小戸森さんはベッドから降りると、こちらまでやってきて床に正座した。僕も釣られて正座し、言った。


「いまさらだけど、こんばんは」

「あ、うん。こんばんは」


 小戸森さんはまだなんとなく釈然としない顔で髪を撫でている。

 ロングヘアはサイドテールにゆるく結われている。寝るときはいつもこうしているのだろう。

 ふわふわと起毛したパジャマはピンクで、白の水玉がちりばめられている。ゆったりとしたサイズで、身体のラインが出ているわけでもないのに、『このかっこうでいつも寝ているのか』と思うとドキドキしてまともに見られない。


 視線を逸らした先にはベッドがあり、その宮の上や枕の横には、大小様々な猫のぬいぐるみが置いてある。黒猫もいるが、小戸森さんが偏愛する白猫がやはり目立つ。

 視線に気づいた小戸森さんは「あ……」と小さな声をあげ、恥ずかしそうに顔をうつむけた。髪をせわしなく撫でる。


「知ってると思うけど、なぜか猫に好かれなくて。だからせめてぬいぐるみを」

「好きって気持ちを前面に出しすぎると引かれるらしいよ」


 僕がそう言うと小戸森さんはぎょっとしたような顔をした。


「そ、それ、なにかの皮肉とかではないよね……?」

「? もちろん」


 僕が小戸森さんに皮肉を言うわけがない。まあ、少しだけ自分に対する皮肉――というより、戒めは込めたけど。


 あまりじろじろ見るのはよくないとは思いつつも、やはり好奇心には勝てず、僕の目は勝手に動いて部屋を見回してしまう。

 クローゼットの横に姿見がある。身支度など洗面台の鏡で事足りる僕には無縁のものだ。

 棚はインナーボックスできちんと整理されている。これは真似させてもらおう。

 そしてテーブルの上のお盆には一口チョコ――の包装フィルムの山。


「ちゃんと歯、磨いた?」


 小戸森さんは「なぜそんなことを聞くのか」というような顔をした。僕の視線を辿たどり、その先にチョコの墓場があることに気がつく。


「あ、はっ、こ、これは違うから!」


 と、お盆をテーブルの下に隠す。まったく意味のない行動だ。彼女の慌てっぷりが見てとれる。


「今日は甘いものを食べていい日だったから……! ふだんはちゃんと節制してるしっ」


 今日は甘いもの解禁日ということで、アソートパックのチョコをぺろりと平らげたらしい。そういえば以前、スマホで未来の人物を追跡したとき、すぐにでも移動しなければその人物を見失うというのに小戸森さんは「歩きながら食べるのは失礼」と言い、ソフトクリームを直立不動で味わっていた。甘いものには格別のこだわりを持っているらしい。


 小戸森さんが驚いた顔でドアのほうを見た。


「あ、お姉ちゃん……!」

「え、菱川さん?」

「今日来るの忘れてた……! 園生くん、隠れて! 早くそこに隠れて!」

「いや、隠れるっていうか、ここ僕の部屋だし」

「じゃあ閉めて! 来ちゃうから! 早く早く!」


 言われるがままに押入の戸を閉める。と同時に、戸の向こうでドアの開く気配がして、


「ちわーす、お届けにあがりましたー!」


 と、菱川さんの声が聞こえた。

 僕は戸の横の壁に背をつけ、息をひそめる。


「お、もう寝てたん? あいかわらずマーのパジャマ姿はかわいいな、ほんとにもう!」

「ちょ、ちょっと、お姉ちゃん! 変なとこ触らないで……! ――あ……」


 ――「あ……」ってなに……!?


 僕は変な動悸して胸を押さえた。


「部屋に来るたび抱きつくのやめてよ、もう」


 と言いつつ、小戸森さんは満更でもないような声だった。


「ただの挨拶のハグじゃんか。親愛のあかしだよ」


 へっへっへー、と菱川さんは悪びれない様子で笑う。本当に仲がいい。


「ところで、例のブツ、持ってきやしたぜお嬢さん」


 鞄かなにかをごそごそする音。


「パッパラパッパパーパパー! 変装メガネー」

「ちょ、お姉ちゃん、声が大きい……!」

「まだ夜の八時だよ? 気にしすぎだって」

「そ、そうだけど」

「道具を取りだすときの音楽、みんなは『テレレッテッテレー!』ってやりがちだけど、正確には『パッパラパッパパーパパー!』だから。ちなみにもう一個のほうは『テーッテテーッテテレレレー、テン! ドン!』」

「ごめん、よく分からない」

「ええ、今日のマー、クール。――のわりに、なんで汗だく?」

「え、ええと、ま、まだ暖かいパジャマは早かったかな、は、はは」


 僕が戸の向こうにいるからだろう。

 菱川さんが言う。


「まあいいや。オーダーのとおり、このメガネをかけるだけで別人に――」

「う、うん、分かった。ありがとう」


 小戸森さんは菱川さんの言葉を遮るように言った。


「こんな魔道具どうすんの? ――なんて、だいたい察しはつくけどさ」


 くつくつと笑う菱川さん。


「これがあったところで、マーにがあるかな?」

「あ、あるもん」

「そうだね、頑張れ」


 床を踏む音。菱川さんが帰るらしい。


「あ、待ってお姉ちゃん」

「ん?」

「次元を歪める魔法ってある?」

「次元を歪める?」

「どこか遠くとつながるような」


 菱川さんは「ふむ」とうなった。


「あるにはあるけど、神の領域だね。一般的な魔女に使えるような代物しろものじゃないよ。少なくともひとりでは」

「『ひとりでは』?」

「A地点とB地点をつなぐとして、その両方でよほど強い想念がまったく同時に、偶然に起こらないと。狙ってできるようなものじゃないよ。ほとんど奇跡。――でもなんで急にそんなことを?」

「う、うん。本で読んで気になって」

「ふうん……? ま、いっか。グッドラック、マー」


 ドアが開閉する音。菱川さんは帰ったようだ。

 押入の戸が向こうからノックされた。僕はおずおずと戸を開く。

 ぐったりと疲れた様子の小戸森さんがそこに立っていた。


「お、お疲れ様です……」


 彼女はこくりと頷くだけ。


「もう寝たほうが」

「うん。――あ、待って」


 小戸森さんは目をつむった。真剣な表情だ。胸に手を当て、深呼吸をする。

 そして僕を見すえた。

 口を開く。でも言葉は出てこない。


「な、なに?」


 小戸森さんの目が泳ぐ。そしてついに顔を逸らしてしまった。


「ね、寝るね! おやすみっ」


 彼女はベッドに飛びこんで布団をかぶり、電気を消した。


「……おやすみ」


 名残惜しさを感じながら押入の戸を閉めた。


 僕もベッドに入るが、戸を一枚隔てた向こうに小戸森さんが寝ていると思うと寝られるものではない。少し眠気がやってきたと思っても、向こうから衣擦れの音が聞こえてくるだけで目が冴えてしまう。


 そんなことを繰りかえしているうちに、ふと気がつくと、部屋が明るくなっていた。なんだかんだと少しは眠れたらしい。


 僕はベッドから出ると、押入の前まで行き、声をかけた。


「小戸森さん?」


 返事はない。戸をノックして、もう一度声をかける。


「小戸森さん?」


 やはり返事はない。僕はおそるおそる戸を開いた。


 そこは押入だった。元にもどってしまった。昨日、出そうと思っていた毛布もちゃんとそこにある。

 当たり前の光景。でも、一度あの経験をしてしまったあとでは、その光景はひどく寒々しいものに見えた。




 その日は一日中、家で過ごした。朝食も昼食も夕飯もおいしいし、読もうと思った本は面白い。宿題もはかどった。でもふとした瞬間に浮かびあがってくる寂しさはいかんともしがたく。

 僕はデスクチェアを回転させて、押入の戸を見た。立ちあがり、近づく。


 ――もし、押入がまた小戸森さんの部屋につながっていたら。


 引き手に手をかける。


 ――誘う。


 そう願をかけて、僕は戸を引いた。



 小戸森さんが立っていた。

 驚いた顔をしている。でもすぐに笑顔になって、彼女は言った。


「明日、空いてる?」

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