第23話 ファッションモデル・小戸森さん(仮)

 冬休みが明けた。

 僕は放課後の密会へ向かう。


 しかし足を向けたのはいつもの石垣ではない。真冬にあの場所はさすがに寒すぎるという理由で、以前、菱川さんと話をした場所――屋上へつづく階段室を冬期限定の密会場所にしたのだ。あの場所も『あちらの世界とこちらの世界の境界』であり、魔女と一緒にいれば誰かに気づかれることはない。


 階段室では、壁にもたれるようにして小戸森さんが座っていた。校内とはいえここもそこそこ寒いから、彼女は首にマフラーを巻いている。サイドの髪はマフラーの外側に、バックの髪は内側に入れている。

 僕はこの『髪の長いひとがマフラーを巻いたとき、後ろの髪がふわっとふくらむ』感じがすごく好きだ。本当に小戸森さんは僕のツボを的確についてくる。


 彼女はめずらしく雑誌を読んでいた。


「なに読んでるの?」


 隣に座って尋ねると、彼女は表紙を見せてきた。

 お洒落をした若手女優がじっとこちらを見つめる表紙。雑誌の名前は『ヴィヴァーチェ』。たしか10代から20代前半の女性をターゲットにしたファッション雑誌だ。

 でも小戸森さんのファッションは菱川さんプロデュースだったはず。自分でコーディネートしたくなったのだろうか。


 小戸森さんは雑誌のページに目を落としたまま言った。


「この前、街を歩いてたら、この雑誌のひとに誘われたの。モデルになりませんか、って」

「ああ……」


 僕は思わず納得の声をあげてしまった。というより、いままでそういう話が出てこなかったことのほうが意外に思える。スカウトはなにをやっていたのか。


「すごいね! いつから?」

「まだ返事はしてない……」


 小戸森さんは浮かない顔だ。あまり乗り気じゃないのだろうか?


「せっかくだし、やってみたら?」


 そううながしても、小戸森さんは無言のままぱらぱらとページをめくるだけ。ああいう世界は厳しいというし、不安が大きいのかもしれない。


 しかし、小戸森さんの不安はべつのところにあった。


「でも……、放課後の時間がとれなくなるし……」


 彼女は僕との密会が減ることを懸念していたのだ。

 僕は天にも昇るような気持ちになったが、はたと、


 ――いやいや、この密会はそもそも僕を『しもべ化』するためのものだぞ? なにを浮かれてるんだ。


 と思い、気を引き締めた。彼女と一緒にいることが楽しすぎて、最近ちょくちょく忘れがちになる。


 ――でもなあ……。


 一緒にいたい。できるだけ長く。


 しかしそれは僕の我がままだ。


 美しい彼女が、その美しさを活かした仕事をするのは当然のこと。しかもそのチャンスを掴んだ。ファッションにうとい僕だって知ってる、有名な雑誌で仕事をするチャンスを。それを僕が止める権利なんてありはしない。

 むしろ応援してあげるべきではないか?


「やろうよ。こんなチャンス滅多にないよ?」


 小戸森さんはまたぱらぱらとページをめくった。そしてあるページで手を止め、ちらと僕に目を向ける。

 そのページにはお洒落な男女が街を歩く写真が載っていた。


 手をつないで。


 胸がむかむかした。小戸森さんがモデルの仕事をするようになれば、こういう写真を撮ることもあるだろうし、かっこいい男のひとと頻繁に接する機会も劇的に増えるだろう。

 そうすれば――。


 その先は考えたくもない。


 でも、僕は彼女の意志を尊重すべきだ。僕は、彼女の、友達なのだから。


 僕は無理やり笑顔を作った。


「話だけでも聞いてみたら?」


 そう言うと、小戸森さんはぱたんと雑誌を閉じた。そして鞄を掴むと、


「分かった、聞いてみる」


 と、なぜか怒ったように言って、階段を降りていった。

 怒っているように思えたのは僕の気のせいかもしれない。でも、明らかにいつもの彼女とは違う。


 ――いや、それも違うな。


 はじめて出会ったときの彼女はあんな感じだった。僕にだけ笑顔を見せない。それがいつのころからかいろんな表情を見せてくれるようになって、それを当たり前だと思うようになっただけ。


 僕は膝に顔を埋めた。

 小戸森さんのいなくなった階段室は寒々しく、僕はぶるりと震えた。

 さっき感じたむかむかと、新たに生まれたもやもやをなんとか解消したくて、何度もため息をつく。


 ――なんでこんなことに。


 見も知らないスカウトのひとを恨む気持ちまで浮かんできた。

 でもなにより僕をさいなむのは、小戸森さんのさっきの表情だった。


 心の内を隠すような表情。


「……」


 僕は顔をあげた。

 心の内を隠すったって――。


 ――それは僕も同じじゃないか。


 彼女の表情を見て、僕は不安になった。

 彼女だって僕の『作り笑顔』を見て不安になったんじゃないか?


 なら、小戸森さんにあんな表情をさせたのは、僕だ。


 僕は勢いよく立ちあがった。

 そして階段を駆けおりる。


 ――いてくれっ。


 僕は校門を飛び出した。何人かの生徒が全速力で走る僕をぎょっとしたような顔で見たが、気にする余裕もない。

 学校の外周を駆け、僕は例の場所に向かった。


 いつもの石垣へ。


 僕は立ち止まり、膝に手を置いた。

 呼吸が苦しい。空気が乾燥しているせいか、喉がひりつく。急に走ったせいで太ももの筋肉が痙攣している。


 顔をあげ、石垣を見た。

 小戸森さんが座っている。気怠げな顔で僕を見ている。


「どうしたの?」

「やっぱり、さっきのなし」


 僕はごくりとつばを飲みこんで喉を湿らせた。

 小戸森さんは首を傾げる。


「さっきの?」

「モデルの勧誘」


 息が苦しくて、切れ切れにしかしゃべれない。


 ――くそっ、もどかしい。


 だから僕は、気持ちを圧縮して一気に放った。


「モデルなんか断ってよっ」


 沈黙。僕の荒い息だけが聞こえる。

 小戸森さんは小首を傾げた。


「どうして?」

「分かんないけど、なんかやだ」


 どう考えてもただの駄々っ子だ。小戸森さんをひどく呆れさせてしまったのではないか。


 でも彼女は、呆れるどころか嬉しそうに微笑んだ。


 そして立ちあがり、スマホをとりだして文字を打ちこみはじめた。


「え、いま断るの? というか、断るの?」

「うん」

「どうしていきなり」

「なんかやだから」


 小戸森さんはにっと悪戯っぽく笑う。

 膝から力が抜けて僕はしゃがみこんだ。多分いま、僕も笑ってる。


「でも、メールで断っても大丈夫なの?」

「ううん。断ってもらうのは過去のわたし」

「うん?」

「前に言ったでしょ? このスマホにはすでに『時間系魔法』の術式が施されてる。だから勧誘される直前のわたしにメッセージを送って断ってもらうの」


 過去の写真を撮ったり、未来をカメラに写したりしたスマホは、過去の自分にメッセージまで送れるらしい。

 僕はポケットのスマホに手を触れた。


「その魔法って僕の――」

「え?」


 真剣に文字を入力していた小戸森さんは手を止めて僕を見た。


「い、いや、やっぱりいい」


 僕のスマホにもその魔法をかけられるのか聞いてみようと思ったのだ。そうすれば――。


 ――未来の僕から、メッセージが来ないかなって。


 約束のリミットを過ぎた二ヶ月後、僕と小戸森さんはどうなってるか。


 ――違う。


 僕はゆるゆると首を振った。


 ――どうなるかじゃない、僕がどうするかだ。


 小戸森さんは鞄から紙片をとりだした。


「これ、もらった名刺」


 名刺とスマホをこちらに見せる。


「よーく見ててね」


 送信ボタンをタップした。

 その直前、メッセージの内容がちらりと見えた。そこにはこう書いてあった。


『大丈夫だよ 園生くんはちゃんと私を』


 一瞬だったからそこまでしか読めなかった。

 もっと簡潔に『気が変わったから断って』とか書くべきだったのではないだろうか。


 ――ちゃんと伝わるのかな……?


 緊張しながらじっと待っていると、名刺に変化が現れた。

 徐々に半透明になっていく。まるで蜃気楼のように。

 僕は目をしばたたかせた。


 そしてついに、名刺はきれいさっぱり消えてなくなった。


 小戸森さんはぱっと手を広げた。


「我がことなれり」


 と、歯を見せて笑う。


「さて」


 彼女は石垣に座った。


「帰るんじゃなかったの?」

「もう少し話したい気分になったの。――ダメ?」


 ダメ? なんて小戸森さんに言われて断れるわけがない。


「喜んで」


 僕は彼女の隣に腰を下ろす。


「でもやっぱりここじゃ寒いね」

「ううん」


 彼女は首を横に振ってはにかんだ。


「もうあったかいから」

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