第20話 誕生日を知ってもらうことがこんなに難しかっただなんて

 ――寒い。


 最近めっきり気温が低くなった。僕は身を縮めるようにして学校の玄関をくぐる。


「爺むさーい」


 声がして顔をあげると、そこには菱川さんがいた。


「あ、おはようございます。僕、冬が嫌いなんですよ。血行が悪くなるし」

「血行を気にしてる時点で若さがない」


 菱川さんは咳払いをして「ところで」と言った。


「月末はマーの誕生日なのでプレゼントを買いなさい」


 いきなり命令された。『マー』とは小戸森さんのあだ名だ。


「おはよう、園生っち」

「順番めちゃめちゃですね」

「わたしから言わせりゃ、いまだにマーの誕生日を把握していない君のほうが順番めちゃめちゃだと思うけどね」

「な、なんで把握してないと思うんですか」

「してたの?」

「……してませんでしたけど」


 菱川さんは呆れたようにため息をついた。


「だと思った。君もマーも似たタイプだからね」

「似てますか?」

「ひとに気を遣いすぎて、立ち入った話ができない」

「うっ」


 たしかにその傾向はある。よくないなとは思っているが、相手を不快にさせるのではないかと不安になり、表面をなぞるようなことしか言えない。


「君の誕生日は何月何日?」

「一月十五日です」

「聞かれて不快だった?」

「いえ全然」

「そんなもんよ」


 菱川さんはにやりと口元を歪めた。


「それとも、マーにだけ聞けない理由があるのかな?」


 小戸森さんは僕にとって特別だから、特別臆病になる。

 でもそんなことを言えるはずもなく。


「とくにありません」

「言い訳したら蹴っ飛ばそうと思ってた。まあ、しないとは思ってたけど」

「なんなんですか……」


 菱川さんは「は、は、は」と笑う。


「マーは絶対に自分から『プレゼントちょうだい!』なんて言わないけど、でもほんとはめちゃくちゃ欲しがってるはずだから、あげたらきっと喜ぶよ」


 菱川さんは「んじゃ」と言ってその場を離れようとしたが、いったんこちらを振り向いて、


「あんまり高くないやつね。高いと今度はマーが気を遣うから」


 と、ひらひら手を振って去っていった。


「自由だ……」


 僕はその背中を見送りながらつぶやいた。皮肉でもなんでもなく、ああいう性格がうらやましい。



「この前さ、開校記念日だったでしょ?」


 いつもの石垣での密会。小戸森さんは開口一番、そう言った。

 彼女は石垣に座り、落ち着かない様子で身体を揺すっている。


「開校記念日ってさ、言うなれば学校の――だよね」


 並んで座っている僕に横目で視線を送ってくる。横目だというのに、期待に充ち満ちた強い視線だった。


 ――もしかして……。


 これは小戸森さんなりの『誕生日アピール』なのだろうか。


「そうだね」


 とだけ返事をすると、小戸森さんは一瞬だけ唖然とし、


「うん……」


 と頷いて、しゅんと肩を落としてしまった。


 ――嗚呼ああ……! なんだこのかわいい生き物……!


 僕は小戸森さんから顔をそらした。にやにやしそうな表情を見られないためだ。

 かたわらに置いた鞄に手を添える。このなかには小戸森さんへのプレゼントが入っている。それを悟られないように、今日はできるだけ真面目な表情を保ってきたが、それもそろそろ限界である。


 ――あまり引っぱってもかわいそうだし。


 鞄のチャックを開こうとしたところ、小戸森さんが言った。


「ちょっと前なんだけどね」

「う、うん、なに?」


 プレゼントを取りだすタイミングを逸して、僕は小戸森さんのほうに身体を向けた。


「親戚のお兄さんに子供ができたの」

「そ、そうなんだ、おめでとう」

「ありがとう。でね、ほら、天井から吊るしてくるくる回るおもちゃ、あるでしょ? あれをね――したの」


 そしてまた『強い横目』でこちらを見た。誕生日に関連する話や語句で、どうにかして遠回しに気づかせたいらしい。

 僕もまた顔を逸らした。こんないじらしいところを見せられて、無表情を保てるわけもない。

 腹に力を込め、声が震えないように気をつけながら言う。


「服は親御さんの好き嫌いもあるから、おもちゃが確実だよね。いいセンスだと思うよ」

「で、でしょう?」


 小戸森さんは僕に笑顔を向けてそう言ったあと、顔を正面にもどした。

 むすっとして口をとがらせている。


 ――ああ……。


 僕のすぐ横で子供っぽくねる小戸森さん。


 ――ずっと見てたい……。


 彼女がワンコだったら、わしわしと頭を撫でてやりたいくらいだ。

 でも、仮に本当にワンコだったとしても、これ以上のは気の毒だ。僕は鞄に手を伸ばし、チャックを開けた。


「そう言えば、園生くんにお勧めの動画があるの」

「う、うん? 動画?」


 僕はまたタイミングを逃してしまった。

 小戸森さんはYouTubeのアプリを立ちあげ、スマホを手渡してきた。


立皮たてかわ流? の落語家さんのはなしで『バールのようなもの』っていうんだけど」

「へえ、落語は結構好きだよ。面白いの?」

「よく知らない」

「え?」

「あっ、ええと……。面白い……んじゃないかなあ? 有名らしいし!」


 あたふたと弁解する。


「とにかく見て!」

「う、うん」


 動画が再生される。

 深緑色の着物を着た落語家が軽快に話を進める。


 の、だが。


 話がまったく頭に入ってこない。

 なぜなら合間にちら、ちら、とノイズが入るからだ。

 いや、ノイズだけなら、話が理解できなくなるくらい邪魔というほどではない。昔の映像などではよく見られる現象だ。


 頭に入ってこない理由はほかにある。


 小戸森さんが指を鳴らすような仕草をする。すると動画にノイズが走るのだ。なにかの魔法らしいのだが、それがなんなのか分からない。だから気になる。


 しかも、その頻度は動画が進むにつれて増えていく。最初は一分に二三回だったのだが、そのうち数秒に一回になり、十分ほど経過したいまは、ほとんど十六ビートでノイズが挿入される。


 ――小戸森さん、指疲れないのかな。


 彼女は必死の形相で指を動かしていた。


 ――ん? 待てよ。もしかして。


 僕は思いついたことを確かめるために高速でまばたきをした。

 サブリミナル効果を狙っているのでは、と考えたのだ。


 認識できないほどの短時間の映像を差しこみ、潜在意識に影響を与える。それがサブリミナル効果である。

 僕は早いまばたきを繰りかえす。まぶたがちょうどシャッターのようになり、僕の目が一度だけノイズの正体をとらえた。


 ケーキだった。しかもホールケーキである。

 フリルのような生クリームのデコレーション、円形に並べられた真っ赤なイチゴ。色とりどりのロウソクには炎。そして真ん中のチョコプレートにはこう書かれている。


『Happy Birthday to me』


「ぶふっ」


 僕は吹きだしてしまった。


 ――やばっ。


 ちょうどそのタイミングで観客がどっと笑った。


 ――助かった……。


 落語の動画でよかった。これが泣ける映画だったらバレなかったとしても人格を疑われるところだった。


 やがて落語家が頭を下げ、拍手と拍子木、そしててんてんと太鼓の音が聞こえてくる。噺が終わった。どうにか乗りきったのだ。僕はふー、と安堵の息をついた。


 小戸森さんが期待に満ちた目で尋ねる。


「で、どうだった? どんな気分?」

「え、気分? ええと、楽しい気分?」

「……ほかには?」

「……愉快な気分?」


 小戸森さんの目が徐々にジト目へと変化していく。


「……ほかには」


 感想が搾りとられる……!


「……こ、この落語家さんのほかの噺も聞きたいなあと思いました」


 なんだこの適当に書いた読書感想文のラストの一文みたいなのは。


「そう。紹介してよかった」


 彼女はにっこり微笑んで言うと、顔を正面にもどした。その顔を僕は横目でのぞき見る。


 むくれていた。口をへの字にして、頬をふくらませて。


 ――うああ……!


 顔の造形が大人っぽいから、こういう子供っぽい表情をしたときの落差と破壊力が恐ろしく高い。もしも僕の理性がもう少し弱かったら、本当に彼女の頭をわしわししてしまうところだ。


 駄目だ。早くプレゼントを渡さないと、小戸森さんが気の毒という以前に、僕の理性が壊れる。

 鞄のなかに手を突っこみ、プレゼントを探る。


「ところで園生くんは――」

「小戸森さん、待て!」


 僕はワンコをしつけるみたいに言ってしまった。


「え、『待て』?」

「あ、ごめん。ちょっといったん待ってもらえる?」


 僕はプレゼントをとりだし、小戸森さんに差しだした。

 フィルムとリボンで装飾されたプレゼント。


「はい、誕生日おめでとう」


 小戸森さんは、元から大きい目をさらに大きく見開いた。震える手でプレゼントを受けとり、プレゼントと僕を交互に見て、自分自身を指さす。


『わたしに?』


 と聞きたいらしい。いままで散々アピールしてきたくせに。

 僕は吹き出しそうになるのを必死にこらえながら、こくりと頷いた。


「あ」


 小戸森さんののどがひくひくと動く。


「あ、あああああああ……!」


 そして搾りだすような声と、目からあふれる涙。


 ――号泣!?


 僕は慌ててポケットティッシュを数枚、小戸森さんに渡した。


「あ、ああ、ありがとう……! ありがとう、なにからなにまで……!」


 彼女はティッシュを目に当てた。

 急に泣かれてびっくりしたが、ともかく喜んでくれてはいるらしい。

 涙を拭いたあと、小戸森さんは上目遣いで僕を見た。


「もう……、それだったらもっと早く出してくれればよかったのに……」

「かなり早い段階で出そうと思ってたんだけど、小戸森さんが畳みかけてくるので……。――それより開けて見てよ」


 小戸森さんはフィルムを閉じているセロテープを爪で引っかいて慎重に開いた。

 なかから出てきたのはスエードの手袋。ベージュで、手首のところにファーがついている。

 前にスケートをしたとき、手に息を吐きかけたりこすりあわせたりしていたのを見て、彼女はきっと冷え性なんだろうと思った。だからプレゼントのチョイスにはまったく迷わなかった。


 小戸森さんは手袋をしばらく見つめたあと、言った。


「大事に飾るね!」

「いや、使って」

「手袋の周りだけ時を止めて、永久に保存するから!」

「怖い怖い。安易に自然の摂理を曲げないで。使ってもらうために買ったんだから、ね?」


 小戸森さんは渋々といった様子で頷く。


「つけていい?」

「もちろん」


 手袋に手を入れて、僕のほうに広げてみせる。


「どうかな……」

「よかった、ぴったりだね」


 前に使い捨てカイロを渡したとき、彼女の手は僕の二回りくらい小さいということは分かっていたが、少々不安だったのだ。


 小戸森さんが潤んだ瞳でじっと僕を見つめてくる。


「な、なに?」

「あ、あの……わたし、実は……」

「?」

「園生くんが……」


 くちびるが震えている。なにかとても言いづらいことを口にしようとしているのだろうか。僕も少し緊張してしまう。

 小戸森さんは顔をうつむけ、ぼそぼそと言った。


「……プレゼントをくれないかなあって思ってて。だからすごく嬉しい」


 ――なんだ、そんなことか。


 僕はふっと笑ってしまった。


「喜んでもらえて僕も嬉しいよ」


 小戸森さんはいきなり立ちあがり、


「じゃ、じゃあ、帰るね! 今日は本当にありがとう!」


 と、すっとんきょうな声で言って、彼女は逃げるみたいに駆けていった。


「ええ……?」


 ――きゅう……。


「でもまあ」


 今日は小戸森さんのいろんな表情が見れたし、プレゼントも喜んでもらえたし、すごく濃密な時間を過ごせた。短い時間だったけど満足感がある。

 僕はうきうきとした足どりで下校した。



 ――寒い。


 翌朝。寒風吹きすさぶなか、僕は身を縮めるようにして学校の玄関をくぐった。

 下駄箱のそばで小戸森さんがクラスメイトと談笑している。僕は何気なく横を通りすぎようとした。


 そのとき。


 ほんの一瞬だけ、小戸森さんは僕に視線を寄こし、クラスメイトに気づかれないように小さく手を振った。


 その手には、僕がプレゼントした手袋。


 僕も小さく手を振り返す。


 僕はちょっとだけ冬が好きになった。

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