第17話 魔女とサバトとコーディネート

「お願いがあるの」


 いつもの石垣で小戸森さんにそう言われた。僕は頷く用意をしながらつぎの言葉を待つ。


「しもべになってほしい」

「いい――いくない」


 僕は頷きかけた首を慌てて横に振った。小戸森さんのお願いならなんでも聞くつもりだけど、それだけは駄目だ。

 僕がなりないのは『恋人』。絶対的主従関係にある『しもべ』とは両立しない。


「ごめん、違うの。本当にしもべになってほしいわけじゃなくて」

「え、違うの?」


 違うのだとしたら、いままで繰りかえしてきた密会はなんだったのか。それとも心変わりしたということだろうか。

 それは困る。しもべにされるのは困るが、それより彼女と会う口実がなくなってしまうことが困る。

 小戸森さんは慌てたように言い直した。


「あ、違わないの。違うところが違うの」

「うん?」

「いつかしもべにしようとは思ってるけど、今日のしもべはそういうしもべじゃなくて。――しもべのをしてほしいということ」


 彼女は緊張した面持ちで言葉をつづける。


「ちょっと前にサバトがあったんだけど、わたしだけ『使い魔』がいなかったの。だからつぎは必ず使い魔を連れていくって約束しちゃって。だから園生くんにその役をお願いしたくて。どう、かな?」

「なんだ、そんなこと? いいよ、任せて」


 ほっとしたのも手伝って、僕は気軽に承諾してしまった。しかしよくよく考えてみれば、これはなにかの罠なのではないかとも思える。


『僕はアイドルなんて興味なかったんだけど、親が事務所に履歴書を送って、受かっちゃって。いまはアイドルにやりがいを感じています』


 なんて話はよく聞く。その手順で僕をしもべにしようとしているのではないか。


『僕はしもべになんてなりたくなかったけど、サバトに参加してみたら自分に向いているのではと思って。いまはしもべにやりがいを感じています』


 などと。

 それに『サバト』に関してはふわっとした知識しかないが、魔女の集会で、生け贄とか血とか、そういうグロいやつだったはず。僕はそういうオカルトチックなのは苦手なのだ。


「やった! ありがとう。こんなこと頼めるの園生くんしかいなくて……。ほんとありがとう」


 強ばっていた表情を緩ませ、はにかむように笑う小戸森さん。

 その顔を見た瞬間、安易にオーケーしてしまったことへの後悔は容易にどこかへ吹き飛んだ。


 サバトの日程や待ち合わせ場所を確認し、解散した。

 帰り道、ふと冷静になる。お礼と笑顔だけで懸念が氷解してしまうなんて――。


 ――……実際に向いてるかもしれないな、しもべ。


 本当にしもべにされないように気を強く持とうと、僕は決意を新たにした。



 日曜日のお昼過ぎ、僕は駅前のカラオケ店『歌い屋』の前に立っていった。歌い屋のおかめとひょっとこの看板はよく目立つから、絶好の待ち合わせ場所だった。


 ――ここから電車に乗って、町外れに行くんだろうか?


 サバトと言えば夜、深い森のなかが定番だったはずだ。ということは、かなり遠いところが集会場なのかもしれない。遅くなるかもと親に断りを入れたほうがよいかと思ったそのとき、


「おまたせ」


 と、小戸森さんがやってきた。

 白のワンピースにグレーのデニムジャケット、手には小ぶりなハンドバッグを提げている。

 すごく、いい。大人っぽくもあり、かっこよくもあり、でもどこか可愛らしさも兼ね備えたコーディネートだ。

 ただ、サバトに参加する服装としてはカジュアルすぎるのではないだろうか。


「今日の服もいいね」


 小戸森さんは顔を赤くしてうつむき、「ありがとう」とつぶやくように言った。


「でもそれ、着替えちゃうんでしょ?」

「? 着替えないけど」


 小戸森さんは首を傾げる。


 ――着替えない? このカジュアルさのままでサバトに行くの?


「園生くんも、黒が似合ってると思う」


 今日の僕の服装は、ダークグレーのシャツにブラックジーンズである。


「ありがとう。まあ使い魔だしね」

「なるほど、魔寄せコーデなんだ」


 ――魔寄せコーデってなに?


 魔女のあいだではよく使われる単語なのだろうか?


「さあ、会場に行きましょう」


 小戸森さんはくるりと身をひるがえし――歌い屋に入っていく。


「ちょ、ちょちょちょ」


 僕は思わず呼びとめた。


「待って。そこカラオケだけど」

「分かってるけど……?」

「駅はあっち」


 と、僕は親指で駅を指さした。

 小戸森さんは「うん」と頷き――歌い屋に入っていく。


「ちょちょちょちょ」

「なに?」

「そこカラオケだよ」

「分かってるけど……?」


 僕は親指で駅を指し示したあと、ちょっと考えてから人差し指で歌い屋を指さした。


「もしかしてだけど。――サバトの会場ってここ?」

「うん、今日はね」


 そうか、今日はたまたまカラオケ店が集会場なのか。やはり普段は森なのだろう。


「前はコ○ダ珈琲だった」

「コ○ダ!? コ○ダでサバト!? ――それ、大丈夫だったの……?」

「ちょっとボリュームが多くて食べきれなかったくらいかなあ」


 小戸森さんはちょっと決まり悪げに笑って、歌い屋に足を踏み入れた。


 ――僕はなにか盛大な勘違いをしているんだろうか?


 あとにならい、僕も店内に入る。

 小戸森さんはカウンター越しに、従業員のお姉さんに声をかけた。


「予約の名前、サバトなんですけど」

「サバト様ですね。もうお二方いらっしゃってます。ご案内いたしますね」


 やっとサバトという単語が出てきたのに、サバト感から離れていくのはなぜだろう?


 お姉さんのあとをついていくと、彼女はある部屋の前で立ち止まり、ちょっと怪訝な顔をした。

 部屋のドア、本来なら部屋番号のプレートがある場所に紙が貼ってあり、そこには『666』と書かれていた。獣の数字である。


 小戸森さんはちょっと慌てた様子で言った。


「あ、あ~、これはその……、サークル! そうサークルの名前で!」

「はあ」


 お姉さんはドアを開け、僕らをうながした。


 室内は薄暗く、よく見えない。小戸森さんはちらと振りかえり、僕を見て頷く。僕は頷きかえした。このドアをくぐれば、僕は小戸森さんの使い魔だ。


 しかし緊張はなかった。なぜならカラオケ店が集会の場所という時点で薄々、


『これ、ただの女子会じゃない?』


 と気づきはじめていたからだ。

 僕は一歩、足を踏みだした。


「久しぶりー!」


 小戸森さんの明るい声が響く。

 ふたりの少女がソファに座っていた。どちらも小戸森さんと同じくサバトとは思えないカジュアルなかっこうをしている。

 奥に座っているのが、セミロングヘアをお下げにした小柄な眼鏡女子。その斜め向かいには、豊かな栗色の巻き毛をした垂れ目の少女が座っている。


 ――っ!


 僕は目を見開いた。

 眼鏡の少女の肩に白いフクロウがとまっているのだ。そして垂れ目の子の腕には緑色のヘビが巻きついている。


 ――サバトだ!


 ここにきてにわかにサバトらしくなってきたことに、僕はなぜか喜びを感じていた。


「こっちの眼鏡の子が影山かげやまさん。もうひとりがかがみさん」


 小戸森さんが紹介をしてくれた。


「園生です。よろしく」

「よろしくね~」


 鏡さんは見た目どおりおっとりとした口調で言った。しかし影山さんは眼鏡のブリッジに指を当てたまま僕をにらむだけだ。


「誰? なんでつれてきたの?」

「園生くんはわたしの使い魔だよ」

「人間の使い魔?」


 影山さんは眉間にしわを寄せ、険しい目つきをさらに険しくした。

 僕はなんと言っていいか分からず、


「あ、使い魔です」


 と、間抜けな自己紹介をしてしまった。

 影山さんはこくこくと頷く。


「そう、それでファッションが魔寄せなの」


 ――出た魔寄せ。やっぱり魔女のあいだで流行ってるのそれ?


 僕らは影山さんの斜め向かい、鏡さんの正面に並んで座った。

 影山さんがコホンと咳払いをする。


「さて、では混野まじるの魔女会第三回サバトを開――」

「ふたりはなに飲む~? 烏龍茶? それともジンジャーエール?」


 影山さんの開会宣言を鏡さんがおっとりとさえぎった。


「ちょっと邪魔しないでよ! こういうのはきちんとやっておかないと」

「え~? でもふたりとも喉が渇かない? あ、そうだ」


 鏡さんはオレンジジュースの入ったグラスを僕に差しだした。


「ちょっと口つけちゃったけど、わたしの飲む?」

「え、でもそれは」


 ――間接キスでは? いや、ストローを使わなければセーフなんだろうか。せっかくの好意だから断るのも悪いし……。


 などと迷っていると、僕とグラスを小戸森さんの手が遮断した。


「いいんで」

「え~? でも~」

「いいんでっ」


 ぴしゃりと言うと、鏡さんはしゅんとした様子で「は~い」とグラスを引っこめた。

 小戸森さんから『うちのワンちゃんに変なものを与えないでください』という飼い主のような圧を感じる。


 影山さんがまた咳払いをした。


「では、改めまして。混野まじるの魔女会第三回サバトを開――」

「あ、フライドポテトの盛り合わせとか頼む~?」


 影山さんの開会宣言を鏡さんが再び断ち切った。


「ちょっと! あんた何回言わせれば気が済むの!」

「フライドポテトのディップソースは、ケチャップ派? それともバーベキューソース派?」

「は? まあ、ケチャップだけど。あんたは?」

「わたし揚げ物系はあまり食べないの」

「じゃなんで聞いたのよ! 話広がらないじゃない!」


 影山さんが怒鳴ると、鏡さんの腕に巻きついていたヘビが首をもたげて「シャー!」と威嚇した。影山さんは「ひぃ!」と悲鳴をあげて仰け反った。


「ちょっと、そのヘビ引っこめてよ! わたし爬虫類苦手なの!」

「ヘビじゃないわ~。プリンスちゃんよ」

「プリンス要素どこよ」

「ん~、名前?」

「堂堂巡りじゃない!」


 出会ってまだ数分しかたっていないが、ふたりの関係性がよく分かった気がする。

 僕の視線に気がついた影山さんが、ちょっと気まずそうな表情で眼鏡をくいっと上げた。


「失礼、少々取り乱しました。では改めて、混野まじるの魔女会第三回サバトを開会します」


 ぱちぱちと三人が拍手をする。影山さんは満足そうに頷き、鏡さんに言った。


「フライドポテト頼んでよ」


 ――結局食べたかったのね……。


 魔女は面白いひとが多い。



 サバトの開会が宣言されてから、僕は一言もしゃべっていなかった。


 魔女たちは『どこそこのお店のハーブは質がいい』だとか『ホウキの穂先の素材を変えたら早く飛べるようになった』だとかいう魔女っぽい話から、果ては単なるファッション談義に花を咲かせている。


 魔法の知識もファッションの知識もない僕が口をはさめるわけもなく。


 ――これはあれだな。小さいころ、母さんのママ友たちとの会食に連れていかれたときと似てる。


 旦那がどうした、近所のあのひとがどうした、なんて話は幼い僕に理解できず、ただひたすら空になったグラスを傾けて、溶けた氷を舐めていた。

 いまの僕はメニューに書いてある料理の説明文を読んで、


『へえ、サラダでも意外とカロリーが高いんだ』


 などと無駄な知識を増やすことで時間を潰すしかできない。



 僕がメニューすべてのカロリーを把握しはじめたころ、影山さんがとうとつに、


「で? なんでわざわざ人間を使い魔にしたの? 動物のほうが簡単なのに」


 と、小戸森さんに話を振った。小戸森さんは落ち着いた様子で答える。


「彼は昔、生死の境をさまよったことがあるの。だからか、わたしたちの『境界』を行き来する才能がある」


 影山さんは「ふうん」と鼻を鳴らした。一応は納得したようだ。

 彼女はつぎに僕を見た。


「あんたは? どうして使い魔になったの?」


 小戸森さんは目顔で「うまくごまかして」と訴えてくる。僕はまばたきで「任せて」と返した。

 影山さんはさらに言葉を付け足す。


「この子が美人だから承諾したの? だとしたら残念ね。使い魔として契約したのなら、間違っても『甘い関係』なんかにはなれない」


 ――やっぱりそうなのか。


 しもべになってしまっては恋人にはなれない。図らずも、影山さんの何気ない一言でそれが知ることができた。

 しかしいまはそれを気にしている場合ではない。この場を乗りきらなくては。

 僕は鼻から息を吸い、口から吐いた。


「美人だから、というのはもちろんあります」


 小戸森さんが「え?」というような顔で僕を見たのに気づいたが、そちらを見ないまま話をつづける。


「正直、最初は『甘い関係』になりたいという思いはありました。いまもあります。でも、最近はそれよりも、彼女と一緒にいられることへの喜びがほとんどですね」


 影山さんが眉をひそめる。


「なんの見返りもないのに? つらくないの?」

「つらいどころか、毎日楽しいですよ。それに、僕がなにかをしてあげることで彼女が喜んでくれるなら、それがなによりの見返りです」

「あなたの望みはなにも叶えられないわよ?」

「僕のいまの望みは、これからもずっと彼女と共に過ごすことです」


 室内がしんとした。


 ――あれ? 僕、なにか間違ったか?


 三人とも頬を染め、あらぬ方向に目を向けている。

 影山さんが眼鏡のブリッジに指を当てた。


「な、なかなかいい使い魔を手に入れたようで、なによりね」


 ちゃんと認めてもらえたらしい。僕はほっと胸をなでおろした。



 サバト――というか、単なる女子会が終わり、僕らは歌い屋の前で解散することになった。

 まだ十六時を過ぎたくらいなのに、すでに日が傾きかけている。

 影山さんと鏡さんは別れの挨拶をしたあと、連れ立って繁華街のほうへ歩いていった。


「じゃあ、僕らも帰ろうか」


 そう声をかけたのに、小戸森さんはなんだかそわそわもじもじして、その場を動こうとしない。


「小戸森さん?」

「ひゃい!」


 小戸森さんの顔はずっと赤いままだ。


「どうしたの? 早く帰らないと暗くなっちゃうよ?」

「あ……あの、さ!」


 小戸森さんは僕を見すえた。


「きょ、今日はありがとう。あの……園生くん、やっぱり肝がすわってるって言うか、すごく落ち着いてて、使い魔の演技がすごく上手だった」

「役にたててよかったよ」


 小戸森さんはせっかく上げた顔を再びうつむけて言う。


「でも、よ、よくあんなセリフがすらすら出てくるね」

「まあ……」


 ――だって、全部本音だから。


 セリフでもなんでもない。僕が思っていることを言葉にしただけだ。


 今日は使い魔としてそれを口にした。でもいつか『ただの僕』として言えたら、なんて考えている。




 そのあと、僕らも「じゃあ」と挨拶をして別れた。横断歩道を渡る小戸森さんの背中を見つめる。


 ――ご主人様を家まで送れないなんて、使い魔失格だな、僕。


 だから「せめて」と思い、僕は姿が見えなくなるまで彼女を見守った。

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