第8話 いっぱい甘えたガール

 夕方、自宅の呼び鈴がなったので玄関を開けてみると、そこには誰もいなかった。


 警戒しながら、あたりにぐるりと目をやる。すると足元に一辺50センチくらいの段ボール箱が置いてあるのに気がついた。

 てっぺんには猫のイラストが描かれたメモ用紙が貼りつけられており、そこにはこう書いてある。


『園生くんへ 小戸森より』


 警戒心はさらに強くなった。


 そのとき、お尻のあたりで「キンコン!」と音が鳴り、僕はびくりとなった。

 LINEの着信音だ。いままであまり使うことがなかったから、急に着信音が鳴るとびっくりする。でも最近は少しだけ小戸森さんとメッセージをやりとりするようになった。まあ、天候のよくない日に、いつもの密会を決行するか否かを確認するだけなんだけど。


 メッセージを確認する。差出人は小戸森さん。


『なにをしているの? 部屋に持っていって開封して』


 ――見られてるぅっ……?


 警戒を通り越して恐怖した。

 家の前の道まで出て周囲を確認したが、彼女の姿はない。

 念のため上空も確認した。なにせ魔女だ、飛んでいるかもしれない。でも彼女は見つからなかった。


 不審に思いながらも段ボール箱を自室まで運び、カッターで開封した。

 なかにはピンク色の箱があった。どうやらそれはおもちゃのパッケージらしい。

 おそるおそる持ちあげる。


「ひっ」


 思わず声が出た。ピンクの箱の側面がセロファンになっており中身が見えた。

 人形だった。幼児がままごと遊びに用いるような、小さな女の子の人形。輸入品のようで、顔の造形が妙にリアルだった。


 ――どうして向こうの人形って、こんなに目がマジなの……。


 すさまじい眼力だった。だから思わず声をあげてしまったのだ。


 キンコン! と着信音が鳴って僕は、


「うおっ!!」


 と声をあげてしまった。また小戸森さんからのメッセージだった。


『その子の名前はラビちゃん。かわいがってあげてね』


 ――ラビちゃん……?


 そんなファンシーな名前よりアンジェリーナとかジェニファーのほうが似合いそうな容姿をしている。


 ともかく。


「仕舞おう」


 だって怖いから。


 僕は段ボール箱を閉じ、布テープを十字にして厳重に梱包しなおした。

 部屋に隅に追いやり、やれやれとベッドに腰かける。


 そのときである。

 段ボール箱が少しだけ動いたように見えた。目の錯覚か? と思ったその瞬間、


 ガタガタ! ガタガタガタ!


 と段ボール箱が激しく震動した。


「ひ、へ……!?」


 ベッドから落ちて尻餅をつき、そのまま壁際まで後じさった。


 キンコン!


「ひいっ!?」


 心臓が止まるかと思った。実際、少し止まったんじゃないかと思う。

 手にかいた汗のせいで何度も指紋認証に失敗しながら、僕はようやくLINEのアプリを開いた。


『どうして仕舞うの!!!』


 バレていた。本当にどこから見てるんだろう。

 地元サッカーチームのマスコットが土下座しているスタンプを送って、僕は仕方なく段ボール箱を再び開封し、人形を――いや、ラビちゃんをとりだした。


 赤ん坊をあやすみたいに腕に抱いてみた。

 ぎょろりとした青い目が僕を見あげている。


 キンコン! と鳴って、僕はまたびくりとなった。


 ――ほんと、心臓に悪すぎる……。


『頭とか撫でたらいいんじゃない?』


 この歳になって人形遊びをしろというのだろうか。ひとりで?


 僕はきょろきょろしたあと、机の陰に身を隠して返信した。


『撫でました』

 キンコン!

『嘘つかないで』


 一瞬でバレた。


 ――くっ……。


 仕方ない。ここは恥を忍んでやるしかない。

 僕はぐっと奥歯を噛みしめ、金髪の頭を撫でた。


 キンコン! と着信音。


 ――指示どおりにしたし、やっとこの恥辱から解放される……。


 しかしそれは甘い考えだった。


『感情がこもってない。人間だと思って話しかけて』


「ええ……?」


 思わずうめき声が漏れる。


 ――お人形さんに「かわいいねえ」って言いながら頭を撫でろと……? 高校生男子が? この薄暗い部屋で?


 僕はしゃがみこみ、手で顔を覆った。

 しばらくそのまま固まったあと、


「よし!」


 と勢いをつけて立ちあがった。

 のらりくらりと小戸森さんの指示を避けていても仕方がない。腹をすえて彼女の望みを叶え、さっさと終わらせてしまうべきだ。


 僕はラビちゃんを抱っこすると、頭を撫でながら猫なで声で言った。


「かわいいな~、ラビちゃんはかわいいな~、どうしてこんなにかわいいのかな~? 天使? 天使なの? 地上に舞い降りたの?」


 冷静に考えるとかなり気持ち悪いセリフだった。しかし冷静に考えたら負けなのだ。勢いで乗りきるしかない。


 そのときまた着信音が鳴った。僕はおそるおそるスマホの画面を見る。

 そこにはこう書いてあった。


『なかなかいいじゃない』


「しゃっ!」


 思わず拳を握った。ミッションコンプリートである。

 ラビちゃんを箱にもどそうとしたところ、また着信があった。礼でも言われるのかな、と思って画面を見る。


『じゃあ次だけど、一緒にご飯を食べて』


「おおう……」


 終わりなどではなかった。これが始まりだったのだ。


 僕は返信をした。


『待ってこれなんなの?』

『これは魔法によって人形に擬似的な人格を与える実験。すでに魔法はかけてあるけどまだ目覚めて間もないから術者ではない別の人間とコミュニケーションをとらせて学習させる必要がある。悪いけどお願いできない?』


 返信はすぐにきた。

 。まるで文章を用意していたみたいに。


 くわえて「それべつに僕じゃなくてもいいんじゃない?」とか「そもそもなんで僕の家を知ってるの?」とかいろいろな疑念がある。


 でも小戸森さんが僕に「お願い」と言った。多分、はじめてのことだ。


 大好きなひとに頼られるというのは、こんなにも嬉しいことなのか。


 天にも昇る気持ち、という比喩を聞くたびいつも「大げさな」と思っていた過去の僕に教えてあげたい。

 大げさなんかじゃない。むしろ足りないくらいだ、って。


 疑念なんて瑣末なことだ。


 ――僕はラビちゃんを徹底的にかわいがる!


「さあ、一緒にご飯を食べよう、ラビちゃん」


 僕はラビちゃんを抱っこして、一階の食卓へ向かった。



 母が作り置きしておいてくれた玉ねぎと大根の味噌汁、それと里芋とこんにゃくの煮物を火にかけ、ご飯は冷凍しておいたものをレンジで温めた。椀によそい、ダイニングテーブルに並べる。

 ラビちゃんは僕の斜め向かいに、座布団を四枚重ねて座らせた。


「いただきます」


 何口か食べて、僕は箸をスプーンに持ちかえてラビちゃんの口元へ運ぶ。

 もちろん本物の食べ物ではない。ラビちゃんが入っていたケースに、小さなスプーンやプラスチックのオムレツといったお食事セットが同梱されていたのだ。それで食べさせるをしている。


「おいしい?」


 尋ねてみたが、答えるわけもない。でも答えるかどうかは重要じゃない。学習――コミュニケーションをとることが大事なのだ。


 里芋をもくもくと咀嚼する僕を、ラビちゃんはじっと見ている。最初は怖いと思ったけど、慣れてきたせいかかわいく思えてきた。それに大人しくて手がかからないのもいい。


「いい子だな」


 と笑いかけた。

 するとラビちゃんの頭ががくんと前に垂れた。


「危なっ」


 とっさに頭とテーブルのあいだに手を差しいれてことなきを得た。危うく額を打ちつけるところだった。


「もしかしてちょっと照れたのかな?」


 早くも学習の効果が出てきたのかと、僕は嬉しくなった。



 部屋にもどり、ラビちゃんをデスクチェアに座らせた。

 説明書に読む。ラビちゃんは防水であり、お風呂にも入れられるらしい。


 ――ちょうどいいや。


 夕飯を用意する前に設定しておいたお風呂がそろそろ沸いているころだ。

 脱衣所に行き、僕はラビちゃんのワンピースを脱がせにかかった。

 

 そのときだ。スマホの着信音が鳴った。


 キキキキキキキキンコン! キンコキンコン!


 怒濤の着信である。

 カゴに入れておいたスマホを手にとった。


『ちょっとなんなのいきなり脱がすだのんて変態のの!!?』


 入力ミスに小戸森さんの慌てっぷりが見てとれる。


「いや、お風呂に入れるだけだけど……」


 僕は虚空に向かって話しかけた。どうせどこからか見られているだろうし。

 案の定、すぐに返信がきた。


『抵抗できない女の子を脱がすなんて!!』

「でもラビちゃんって2~3歳でしょ? 赤ちゃんをお風呂に入れるだけだよ? どうして慌ててるの?」


 つぎの返信は少し遅れた。


『とにかく、お風呂はやめて。まだ早すぎる』


 ――なにが早いんだろう?


 よく分からないが、嫌がっているのならやめたほうがいい。

 僕はラビちゃんをタオルの上に座らせて、ひとりで風呂に入ることにした。


 ――お風呂はさすがに覗かないよね……?


 そう思いながらも、結局、腰のタオルをはずすことはできなかった。



 就寝前、少し空いた時間に僕は勉強をしていた。ラビちゃんは机の上に座らせている。

 ラビちゃんは一緒にテレビを見ていても、おやつを食べていても、読書していても、僕のことをじっと見てくる。いまも青い大きな瞳で見つめられていた。

 そのくせ見つめかえすと、顔をうつむけてこてっと倒れてしまう。それがなんだか照れているみたいでかわいらしい。


 ――めちゃくちゃ恥ずかしがり屋なんだな、この子。


 勉強を終え、僕はベッドに移動する。枕を横にずらしてスペースを作り、そこにラビちゃんを寝かせた。

 照明を消し、僕は目をつむる。


 ラビちゃんの世話で気疲れしていたのだろうか、眠気はすぐにやってきた。温水プールにぷかぷか浮かぶようなまどろみだ。


 ――あ、寝られそう……。


 すうっと身体が落ちていくような感覚が覚えた、そのとき。

 左腕を何者かにつかまれた。


 びくりとなって目を向けると、僕の腕にラビちゃんがしがみついていた。


「な、なん、なんなん……!?」


 急にアグレッシブな行動をとられて僕は一瞬動転したが、考えてみればまだ段ボール箱に入っているときめちゃくちゃ暴れていたし、これくらい動いてもおかしくはない。


 僕はラビちゃんを引きはがして横たえると、布団をかけ直して再び目をつむった。


 左腕ががしっとつかまれた。目を開ける。ラビちゃんが僕の腕にコアラみたいにしがみついていた。


「なんなの……」


 僕がぼやいたとき、着信音が鳴った。


『ラビちゃんは寂しがり屋なの。腕枕してあげて』


 ――そっか。小さい女の子だもんな。


 僕はラビちゃんの頭の下に左腕を差しいれた。


 ――……結構重いな。腕、痺れそうだな……。


 しかし、これでやっと眠れる。


「おやすみ……」


 僕がそう言うと、また「キンコン!」と鳴った。

 画面を見る。小戸森さんからのメッセージ。


『おやすみ』


 ――……?


 ラビちゃんに言ったつもりだったのだが、小戸森さんから挨拶が返ってきた。まあ彼女は僕の様子をどこからか覗き見しているようだし、べつにおかしいというほどではないが。


 僕はおやすみのスタンプを送り、今度こそ本当に眠りに落ちた。



 明くる日の朝、ラビちゃんはただの人形にもどってしまっていた。おはようと挨拶しても、じっと見つめても、ぴくりとも動かない。

 なんだかちょっと寂しいような気持ちになりつつ、僕は登校した。


 昼休みになり、コンビニのおにぎりを食べようとしていた僕に声がかかった。


「少年。ちょっと、おにぎりの少年」


 見ると、背が高くてショートカットの、快活そうな上級生の女子が教室の出入り口で僕を手招きしていた。

 見たことのないひとだった。怪訝に思いながら近づく。


「なんですか?」

「まーいる?」


 ――マーイル?


 初耳の単語である。僕が難しい顔をしていると、そのひとはにかっと笑った。


「あー、ごめんごめん。『まー』はいる?」


 彼女は『まー』を強調して言い直した。つまり『まー』と呼ばれている人物を探しているらしい。


 ――でも『まー』って誰?


 戸惑う僕に、彼女は言う。


「ああ、そっか。まーとは呼ばれてないのか。ほら、あれ……小戸森」

「え、小戸森さん?」


 僕は教室を見渡した。


「まだもどってませんけど……。さっき友達と出ていったので、多分、購買に昼食を買いにいったのではないかと」

「そっか、サンキュー」


 と手を振って離れていこうとする彼女を呼びとめる。


「よかったら小戸森さんに伝えておきましょうか」

「いやー、いいのいいの。近くを通ったついでに寄ってみただけだから」

「あの……ちなみにですけど、小戸森さんとは……?」


 『混野まじるの高校の奇跡』、『完全無欠のヒロイン』と称される小戸森さんを気軽に『まー』と呼ぶ彼女に興味を覚えた。


 彼女は振り向き、白い歯を見せて笑った。


「あー、わたしまーの従姉妹いとこ


 なるほど。言われてみれば目元の造作が少し似ている気がする。小戸森さんとは違うあけすけな笑顔のせいで隠れて気がつかなかった。


 彼女はつづけて言った。


「ちなみにー、なんで『まー』かって言うと、まあ、下の名前が『摩葉まよう』だからなんだけど、紆余曲折があってー」


 と、ちょっとイヤらしい笑みを浮かべる。


「昔はね、違うあだ名で呼ばれてたの。『摩葉』から『迷う』、そして『迷宮』を連想をして、そこから『ラb」


 そう言いかけた瞬間、彼女の背後に誰かがまるで忍びの者のような身のこなしで現れたかと思うと、口を手で塞いで言葉を遮断した。


 忍びの者は小戸森さんだった。全力疾走でもしてきたのか彼女の息は弾んでいた。


「お姉ちゃん、それは内緒って約束でしょ? あと学校でまーって呼ばないで」

「もごー」


 お姉ちゃんと呼ばれた彼女はこくこくと頷いた。しかし目元が完全に笑っている。反省はしていないようだ。


「小戸森さん、あの……」


 小戸森さんははっと僕を見た。その瞬間、彼女の顔は燃えるように赤くなった。


「な、なんでしょう!?」

「お風呂、覗いてないよね?」

「まさか。タオルの上に置かれてたのに――」


 彼女は「はあっ……!」と息を飲んだ。


「な、なんでもない! 園生くんは気にしないで!」


 僕に気をとられて手がゆるんでしまったのか、お姉さんが声をあげた。


「ちょっと聞いてよ園生っち。この子、昔っから甘えん坊でさー」

「いいからお姉ちゃんは黙って!」

「もごー」


 再び口を塞がれ、お姉さんはずるずると引きずられていく。彼女は性懲りもなくへらへらした顔でひらひらと手を振った。

 角を折れ、ふたりの姿は見えなくなる。


「そういえば、ラビちゃんはどうしたらいいんだろう?」


 ついでに尋ねればよかったのだが小戸森さんの姿はもう見えないし、あの調子では今日の密会は中止かもしれない。


 でも僕は落ちこまなかった。ラビちゃんを返すという口実を使えば、いつもの石垣以外で小戸森さんと会えるかもしれないから。


 ひとまず彼女にメッセージを送ろう。


『今度の休み、どこかで会わない?』


 そう入力したあと、その文章がまるでデートへの誘い文句みたいだと気がつき、僕は慌てて削除した。

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