第6話 追跡!魔女の日常

 日曜日、ホームセンターにドッグフードを買いに出かけた道の途中、小戸森さんを見かけた。


 黒のワンピースにグレーのカーディガンを羽織り、肩にポシェットを提げている。

 大人っぽい小戸森さんらしい大人っぽいファッション。あまりに似合いすぎていて、遠く、まだ米粒くらいの大きさの後ろ姿をちらっと見かけただけで、


 ――あれは小戸森さんでは?


 と気づいたくらいだ。


 小戸森さんは国道沿いの道を歩いていた。声をかけようと思い、僕は彼女の背中を追う。

 そろそろ声の届きそうな距離になり、すうっと息を吸う。


 彼女が誰かに声をかけた。話しかけるタイミングを見失った僕は、息をそのまま飲みこみ路地を折れた。コンビニエンスストアの角から顔だけ出してのぞき見る。


 彼女が話しているのは老齢の夫人だった。歩道橋の階段に大きなキャリーバッグが置いてある。あまり膝がよろしくない様子で、階段を上るのに難儀していたらしい。


「お手伝いさせてください」


 小戸森さんはそう申しでた。

 しかし彼女の細腕で、あの大きなキャリーバッグを上げ下ろしするのは大変ではないだろうか。

 夫人もそう思ったらしく、申し訳なさそうな顔で首を横に振っている。しかし小戸森さんは腕まくりをして力こぶを作ってみせると、にっこり笑った。


「大丈夫です。わたしこう見えても力持ちなんですよ」


 しかし彼女の二頭筋はまったくと言っていいほど隆起していなかったから、余計に不安を煽っただけのような気もする。


 ――手を貸さなきゃ。


 コンビニの角から出て声をかけようとしたとき、小戸森さんは妙な仕草をした。くちびるに人差し指と中指を近づけて、なにか短くつぶやき、その二本の指で自分の腕を撫でたのである。


 ――魔法?


 小戸森さんは撫でたほうの手を格闘家みたいにわきわきさせた。指の関節がぎしぎしと鳴る音が聞こえてきそうだ。

 魔法で筋力を増大させたようだ。


 僕は焦った。なにせ小戸森さんは『魔法が下手』なのである。筋力がアップせずに持ちあげられないだけならまだしも、異常にアップしてしまいキャリーバッグを破壊してしまうかもしれない。


 小戸森さんはバッグの取っ手をつかむ。

 僕はほとんど反射的に飛び出した。


「待っ……!」


 バッグはひょいと持ちあがった。取っ手が握りつぶされることも、勢い余って空へすっ飛んでいくこともなかった。

 小戸森さんと夫人が振り向く。僕はとっさにコンビニの角に隠れてしゃがみこんだ。


 少し間を置いて、再び角から顔を出す。

 小戸森さんは夫人の手を引きながら、キャリーバッグを難なく運んでいた。


 ――失敗してない……。


「お嬢ちゃん、力持ちだねぇ」


 小戸森さんは夫人に笑顔を向けた。よほど嬉しかったのか、得意そうに少しだけ小鼻がふくらんでいた。


 ふたりが階段を上りきってから、あとを追い、階段を下るふたりを隠れて見守る。

 下りも無事だった。階段を下りた夫人はキャリーバッグを受けとり、何度も何度もお辞儀をしている。小戸森さんは恐縮したようにぺこぺこと頭を下げながら、夫人から離れていく。


 何事もなかった。本来それは喜ぶべきことなのだが、釈然としなかった。


 ――小戸森さんが魔法を失敗しないなんておかしい。


 今回はたまたま成功したが、次回は失敗するかもしれない。そして街のひとたちに迷惑がかかる、あるいは彼女自身に危険が及ぶかもしれないのだ。

 僕は尾行することにした。



 小戸森さんは路地に入っていく。街の中心部からはずれて、住宅が多くなってくる。僕は電柱や路上駐車の車に身を隠しながら、つかず離れずあとをつけた。


 彼女はとある家の前で足を止めた。


 その家は、ひとが住んでいるのかいないのか、庭の草木が荒れ放題になっていて、低木の枝が柵の間から何本も突き出ていた。

 小戸森さんは道の向こうにある標識を見ている。

 黄色い菱形の標識にふたりの子供が歩くピクトグラム。スクールゾーンを示す標識だった。

 小戸森さんは柵から突き出た枝に目をもどした。眉尻が上がり、険しい表情になる。


「危ないじゃない……!」


 枝はちょうど、小学生の顔の高さくらいだった。

 子供の目に刺さってしまうかもしれない。彼女はそれを懸念しているのだ。


 小戸森さんは警戒するようにきょろきょろと辺りを見回したあと、ポシェットからミネラルウォーターのペットボトルを取りだした。少し口をつけたあと、バッグから小瓶を何個も取りだして、なかの粉をペットボトルに混ぜていく。


 ――ええ……? あのポシェットどうなってるの? 四次元ポシェット……?


 ペットボトルの蓋を閉めてバーテンダーのようにシェイクすると、水はすっかり紫色になった。

 その紫色の水を、柵の向こうの低木に振りかける。


 低木が、ざわりと動く。


 あの紫色の水は植物に生命を与えるのではないだろうか。

 僕は焦った。


 ――もしも植物が暴走してひとを襲いだしたら……!


 なにせ小戸森さんは魔法が下手なのだ。

 僕の思いをよそに、彼女は紫色の水をばしゃばしゃと振りかけつづけている。低木の枝がざわざわと蠢く。


「やめ……!」


 車の陰から飛び出そうとしたとき、枝のざわめきがぴたりと止まった。枝はちょうどギリシャ文字の『Ψ』みたいに、柵の向こうでバンザイしている。


 小戸森さんは魔法を失敗することなく、通学路の危険を取り払った。


「どうしよっかな、これ……」


 少し残った魔法の水の処理に困っているようだった。

 彼女は周囲に目をやり、


「あ」


 とあるものに目をとめた。

 それは街路の花壇だった。

 色とりどりの小さな花に魔法の水を振りかける。すると花々が、小戸森さんにお礼をするみたいに身体を揺すった。


「ふふっ」


 小戸森さんは満足げな笑みを浮かべると、ペットボトルをくしゃりとひねって四次元ポシェットに放りこみ、再び歩きだした。


 ――どういうこと……?


 小戸森さんが、二度もつづけて魔法を成功させた。

 おかしい。僕の知っている小戸森さんじゃないみたいだ。


 僕は再び彼女の背中を追った。


 二度あることは三度ある。

 三度目の正直。

 ふたつの格言のガチンコバトルである。


 言っておくが、僕はべつに失敗を望んでいるわけではない。ただ真実を見極めたいのだ。



 小戸森さんがつぎに向かったのはホームセンターだった。まっすぐ園芸のコーナーへ行き、ハーブの種や苗を物色している。


 僕は液体肥料の棚の後ろからその様子を盗み見た。

 先ほどからやたらと店員さんが僕のそばを行き来している。万引きを疑われているのかもしれない。そんなつもりは毛頭ないのだが、だからといって「あの子を尾行しているだけです」と言い訳するわけにもいかず、僕は園芸コーナーを離れてペンキ売り場のほうから小戸森さんを観察することにした。


 しかし、なにも起きない。冷静に考えれば、アクシデントなどそうそう起こるものではない。

 これ以上待っても詮がないと思い至り、僕は出口に向かって歩きだした。


 そのときである。店内の空気を裂くような大音声が響いた。


 子供の泣き声だった。声のするほうに目を向けると、ベビーカーに乗った赤ん坊が泣き叫び、その正面で母親が必死にあやしていた。

 長い買い物で退屈してしまったのだろうか、赤ん坊は泣きやむ気配がない。母親は周囲に謝罪しながら、赤ん坊の機嫌をとろうと焦っている。


 ――本当に泣きたいのはお母さんのほうだろうな。


 でも僕は赤ん坊のあやし方など分からないし、手伝えることがない。


 そのとき、ベビーカーに近づく人影があった。


 小戸森さんだった。彼女はしゃがんで赤ん坊と顔の高さを合わせると、両手のひらを開いてみせた。


「パッ!」


 つぎの瞬間、彼女の手のなかにクマのぬいぐるみが現れた。


 赤ん坊は泣きやみ、きょとんとしている。

 小戸森さんは手をひっくり返した。


「パッ!」


 するとクマのぬいぐるみが消えてしまった。

 赤ん坊は目を丸くする。


「じゃん!」


 小戸森さんが両手を握り、ぱっと開く。するとクマが再び姿を現した。


 赤ん坊が笑い声をあげた。


 マジックだ。本当に種も仕掛けもない魔法マジック

 小戸森さんはクマを何度も消しては出し、消しては出しを繰りかえす。


 ――あ、ああ、まずい……!


 このタイミングで魔法を失敗したら、クマではなく赤ん坊が消える。「イリュージョン!」でごまかせるわけもない。


「もうやめ……!」


 僕が飛び出そうとしたとき、小戸森さんは魔法マジックをやめて、


「はい、どうぞ」


 と、クマのぬいぐるみを赤ん坊にプレゼントした。赤ん坊はぬいぐるみを受けとり、上下に揺すってきゃっきゃと声をあげた。


 母親が深々と頭を下げる。そして財布を取りだしお札をつまみ出すが、小戸森さんはぎょっとしたような顔で、ぶんぶんと手を振って拒否する。


「いいですいいです! いりませんから!」

「でも」


 それでもお金を渡そうとする母親に、小戸森さんは、


「ほんとにいいですから!」


 と、ついに逃げるようにホームセンターを出ていった。


 僕は彼女を追うことができなかった。頭のなかが疑問で満たされてしまい、動けなかった。


 なぜ失敗しないのか。

 いつもはあんなに失敗するのに、どうして。



 僕は頭のなかをぐるぐるさせながら帰宅した。

 ベッドに倒れこんだとき、重大なことに気がつき、はっと息を飲んだ。


「ドッグフード買うの忘れてた……」


 ホームセンターにまで行ったのに。

 これというのも全部――

 全部――


 ――まあ、僕の自業自得だよな。


 自分に呆れてため息をつく。

 街で小戸森さんを見かけてしまったのが運の尽き。完全に舞いあがってしまった。


 僕は本日二度目の外出を決意して立ちあがった。



 明くる日の放課後、理科室の前を通りがかると、なにやら甘ったるい匂いがして立ち止まった。


 なかを覗く。テーブルの上にはアルコールランプと三脚台。さらにその上には三角フラスコが置いてあって、アルコールランプの炎でピンク色の液体がくつくつと泡をたてている。


 その前に立っているのは小戸森さん。弾ける泡を無表情で見つめている。なんだかすごく魔女っぽい。

 彼女は黄色い液体の入ったメスシリンダーを手にとり、ちび、ちびと三角フラスコに垂らす。そのたび、しゅん、しゅんと湯気がたった。

 僕は静かにドアを開くと、驚かせないように小さな声で呼びかけた。


「小戸森さん、なに作ってるの?」


 小戸森さんは弾かれたように振り向く。


「え、そ、園生くんっ?」


 僕を見たとたん、メスシリンダーを持つ手がぶれて、なかの液体が全部流れでた。黄色とピンク色の液体が一気に混ざって、三角フラスコの口から、


 ポン!


 と、球のような湯気が吐き出された。


「あ、ああ……」


 小戸森さんの口からため息混じりのうめき声が漏れた。どうやら失敗してしまったらしい。


「ごめん、僕が急に声をかけたから」

「違うの。びっくりしたわけじゃなくて……」

「じゃあ、なんで失敗を?」


 昨日のことがあったから、つい問いただすようなことを言ってしまった。でも小戸森さんはいやな顔をすることなく答える。


「だって、園生くんだったから」


 ――僕だったから?


 意味が分からず、きょとんと小戸森さんを見る。

 彼女は顔を真っ赤にして、ほとんど叫ぶみたいに言った。


「あ、ち、違うから! 変な意味じゃなくて……。――そう! これから魔法をかける相手に、タネを見られたからで……!」


 なるほど、道理である。しかし今日はたまたま仕込んでいる現場を目撃したが、基本的にはいつも、僕が後手だ。ふだんの失敗を説明することはできない。


 黙考する僕に小戸森さんは、


「か、考えなくていいから! それより、片付けるの手伝ってよ」


 と、すすけたフラスコを差しだした。

 フラスコを受けとり、流し台で水洗いするも煤はなかなかとれず、クレンザーを垂らして指の腹でこする。

 僕はこういう地味な作業が嫌いではない。それに、単調な作業で手を動かしていたほうが、頭の回転が早くなる気がする。

 煤を擦りながら、小戸森さんの言葉の意味を考える――。


 つもり、だった、のだが。


 小戸森さんが僕の横に並んで、メスシリンダーを洗いはじめた。

 僕はそのとき、こう思ってしまった。


 ――あれ、これ、はじめての共同作業じゃない?


 はじめての共同作業。その言葉の甘美な響きに僕の思考は止まり、頭のなかでウェディングドレスの小戸森さんがケーキを入刀しパンパカパーンとファンファーレが鳴った。


「どうしたの?」


 はっとする。目の前にはウェディングドレスではなく制服の小戸森さん。


「ど、どうもしないよ」


 妄想のなかで小戸森さんが両親への手紙を読んでいた、なんて言えるわけがない。


 彼女は肩をすくめ、実験器具の洗浄を再開する。僕も再び煤を擦る。


 共同作業の再開だ。


 魔法を失敗する理由も、ウェディングドレスの小戸森さんも、どうでもいい。……いや、後者はどうでもよくはないけど。とにかくいまは――。


 現実の小戸森さんと共同作業する幸せを、余すことなく噛みしめることにする。

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