第4話 好きだって気づいてよ
「じゃあな、
「うん、じゃあね」
放課後、教室でクラスメイトと挨拶を交わした。
今日も
でも道中はそのかぎりではない。小戸森さんと一緒に教室を出れば、よからぬ噂がたつかもしれない。
だからたっぷり時間を置いてから教室を出なければならないのだ。
クラスメイトが教室を出ていったのを確認してから、僕は鞄をつかんで立ちあがった。
気持ちが
「危なっ」
とっさに机を支えて事なきを得たものの、その拍子に棚からクリアファイルが飛びだして床に落ちた。
――忘れ物?
小戸森さんでも忘れ物をするんだな、と微笑ましく思いながらファイルを拾う。
『Sプロジェクト』
クリアファイルにはさまれたルーズリーフ、その一行目に書いてあった。
まるでフォントのように整った文字だった。読むべきではないとすぐに目をそらしたが、視界に一瞬だけ映った文字列が、まるで写真のように僕の脳裏に焼きついた。
『▼Sを虜にする方法』
思わずルーズリーフに目をもどす。
その下に書かれた文章に目が吸いこまれる。
『・魔法をかける
しかし魔法で操っては意味がない。
魔法はあくまで補助にとどめ、SをKに惚れさせなければならない。
Kの好意をSに気づかせる(暗に)→気づかない、鈍い』
――なんだ、これ。
どこか不穏さを感じさせる文字列。
僕はクリアファイルを鞄に入れて、学校裏の石垣に向かった。
◇
小戸森さんはいつものように石垣に座って――いなかった。
その場所に座っていたのは、猫だった。
真っ白な、とても美しい猫。だから一瞬、小戸森さんが猫に化けたのかと思ったのだが、そういうわけではないらしい。
小戸森さんは猫の前に立っていた。腰を低くして、猫と視線の高さを合わせている。
そして――。
「なんなんにゃにゃ~ん? ななんにゃんなにゃー?」
鳴いた。
小戸森さんが。
両手を招き猫みたいにして、文字どおり招くみたいに交互に動かしている。
――あ、ああ……。
僕は手で顔を覆った。
――なんだ、あのかわいい生き物……!
もちろん小戸森さんのことである。
――でも小戸森さん……。
彼女は必死にご機嫌をとろうとするのだが、そうすればするほど、猫は毛を逆立てて警戒心を強くしていく。
――あんなに頑張ってるのに、すごい「フーッ」って言われてる……。
猫といえば魔女が使役する使い魔のイメージが強い。某ジ○リ映画の魔女も猫を従者にしていた。
なかには気の合わない猫もいるだろう。でもあそこまでガチギレされるのは魔女としてまずいのではないだろうか。
小戸森さんは招き猫の手を人間の手にもどして白猫に差しだした。
猫はさらに背中の毛を逆立てて、
「フカーッ!!」
と威嚇する。
「もふもふ……」
うわごとのようにつぶやき、小戸森さんは差しだした両腕をぶらりと下げた。そして足元に置いていた鞄に手を伸ばす。
もふもふはあきらめたらしい――と思いきや、彼女は鞄のなかからあるものをとりだした。
それは猫缶だった。遠目だからよく分からないがあの黒いパッケージは多分、高級なやつだ。
プルタブを引っぱって、ぱきっと缶を開く。
猫がぴくりと動いた。
そろりそろりと猫缶を石垣の上に置く。まるで殿様に地方の名物を献上する家臣のようなうやうやしさだった。
遠巻きに見ていた猫は少し近づいては立ち止まりを繰り返しながら、やっと猫缶にたどり着き、口をつけた。
ときおり、ちらっ、ちらっと小戸森さんに目を向けながら、猫は缶詰のエサを食べる。
猫がエサを食べ終わると、小戸森さんは満を持してもふもふすべく手を伸ばした。
「ハーッ!!」
猫の威嚇はもう「フーッ!」を通り越して「ハーッ!!」になっていた。
小戸森さんはびくりとなって手を引っこめた。
そして肩を落とし、鞄に手を伸ばす。
今度はあきらめたらしい――と思いきや、彼女はまた鞄からなにかをとりだした。
それはチーズに見えた。アメリカのアニメで見るような穴あきのチーズだ。しかしそれは本物ではないらしい。
小戸森さんは偽チーズを石垣に置いた。すると――。
チーズの穴から、ぴょこ、と小さなネズミが飛び出した。
一度だけではない、数個ある穴から色とりどりのネズミが飛び出しては引っこみ、飛び出しては引っこみしている。
それは猫用のおもちゃだった。猫は最初、背中を丸めて警戒していたが、慣れてきたのか飛び出してくるネズミに鼻を近づけたり手を伸ばしたりしはじめた。
その愛らしい仕草に顔をほころばせる小戸森さん――の愛らしさに僕は顔をほころばせる。
しかし、小戸森さんの表情は徐々に曇っていく。
猫はネズミに対してパンチをしはじめた。通称『猫パンチ』と呼ばれる、あれである。ネズミが飛び出すたび、
パァン!
と音がするほどの威力でパンチを繰りだす。
ついにおもちゃがひっくり返る。しかし猫は攻撃の手をゆるめない。
パァン、パァン、パァン!
今度は連打である。
猫はチーズの穴に鼻を突っこんだ。と、そのタイミングでネズミが飛び出して、びっくりした猫は、
バァン!
と、最大威力の猫パンチをお見舞いした。
チーズのおもちゃは吹っ飛んで、腰を低くして眺めていた小戸森さんの顔をかすめてコンクリートの地面に落ちた。
その衝撃で色とりどりのネズミが地面に投げだされる。
小戸森さんは地面のおもちゃを見て、そして猫を見た。
「フシャーッ!」
猫は今日一番のキレっぷりを見せた。
小戸森さんはしゅんとした様子で吹っ飛んだおもちゃを回収し、鞄に入れた。そしてチャックを閉める。もう鞄からなにかをとりだす気はないようだった。
さすがにもうあきらめたらしい――と思いきや、小戸森さんは妙な動作をした。
猫をじっと見つめる。そして目をつむり、ふいっと顔をそらす。
しかるのち再び猫を凝視して、目を閉じて、顔をそらす。
それを繰りかえす。
――これ、知ってる。
この動作をすると猫の警戒心が薄れるのだそうだ。猫同士の挨拶に似ているので「仲間かな?」と思うらしい。
小戸森さんはその動作をしつこく繰りかえす。
見る。目をつむる。顔をそらす。
見る。目をつむる。顔をそらす。
つぎに目を開いたとき、猫は消え失せていた。小戸森さんが目をつむっているあいだに猛スピードで逃げたのだ。
腰を低くしていた小戸森さんは背筋を伸ばして天を仰いだ。目をぱちぱちし、鼻をすすっている。涙を堪えているのだろうか。
――ああ……。
かわいそうやら愛おしいやらで、僕はぷるぷる震えた。
「そうか」
僕のなかでひらめくものがあった。
小戸森さんに歩み寄る。僕に気づいた彼女はぎょっとし、慌てて目をこすった。
盗み見していたことがバレてしまうが、仕方ない。そんなことより彼女に言いたいことがある。
驚く彼女の前に立ち、僕は鞄からクリアファイルをとりだした。
「これ」
それを見るや、小戸森さんははっと息を飲んだ。
「そそ、それ……!」
急速に顔が赤くなっていく。
「忘れ――」
もの、と言い終わる前にふんだくられる。
小戸森さんはクリアファイルを胸に抱いた。
「よ、読んだの?」
「少しね」
彼女は酸欠の金魚みたいに目を丸くして口をぱくぱくさせた。
しかし言葉は出てこない。あきらめたようにがくりと顔をうつむける。
しばらくそうしたあと、ようやく顔を上げた小戸森さんの表情は、戦いにでも赴くかのような真剣な表情だった。
「そう、ここに書いてあるとおり、Sというのは園」
「そんなに猫が好きだったなんてね」
小戸森さんと僕の言葉が重なった。
「えっ」
「ん?」
小戸森さんはニワトリみたいに顔を突きだした。
「え、猫?」
「そう、猫。好きなんだね」
小戸森さんはぽかんとしている。僕はクリアファイルを指さした。
「だってそれ……、猫に好かれるための計画でしょ?」
小戸森さんは眉間にしわを寄せ、クリアファイルをしげしげと見た。
「魔法で心を操らずにふつうに好かれなきゃならない、だっけ? すごく律儀っていうか……素敵、だと思うよ。その考え方」
ちょっと臭いセリフだったろうか。多分、僕の顔は小戸森さんより赤くなっていることだろう。
小戸森さんは目をしばたたかせている。
「え、違うの? Kは小戸森さんで、Sは『白猫』のSでしょ?」
小戸森さんはフリーズした。表情は消え、目は点になっている。
今度は僕が眉間にしわを寄せる番だった。
「小戸森さん……?」
「そーなの!!」
突然の大音声に僕はびくりとなった。
「Sは白猫のSなのでしたー!」
――『なのでした』?
日常会話ではなかなか出てこない語尾に僕は困惑した。
「わたしSが大好きなのになにをやってもSはわたしの好意に気づいてくれないから計画を練って書面にしたの!」
小戸森さんは一息で言いきると「はあ、はあ」と苦しそうに呼吸した。
――今日の小戸森さんは声が出てるなあ。
本当に猫が好きなんだな、と僕は思った。
「だったらさ、ふたりで考えたほうがいいアイデアが出ると思うよ。ちょっとそれ……」
ルーズリーフを見せてもらおうと手を伸ばす。
「ふぁっ!?」
小戸森さんは必死の形相で僕の手をかわした。
「いや、ちょっと見せてもらうだけ」
「それはできません!!」
敬語で拒否された。
「大丈夫だよ、馬鹿にしたりしないから」
と、また手を伸ばすと、小戸森さんは弾かれたように後じさり、クリアファイルからルーズリーフを抜きだして――。
ビリビリと引き裂いた。まるでシュレッダーのように細かく、細かく。
――ええ……?
そして細切れにされたルーズリーフをばらまく――わけではなく、ぎゅっと握り固めて、鞄からとりだしたチョークで地面に五芒星のペンタクルを描き、その中心に置いた。
そして両腕を空に向かって捧げるように伸ばす。
「夏の精霊よ、火の精霊よ、こちらを向きたまえ。我の呼びかけに応じ、この円に力をそそぎたまえ」
手をペンタクルに向けて突きだす。
「
「
その瞬間、ペンタクルから天ぷら火災みたいな炎が吹きあがった。
赤々とした炎の色に染められて、肩で息をする小戸森さん。
――いままでで一番魔女っぽい……。
僕は呆然として立ち尽くした。
やがて徐々に炎が弱まり、すっかり消えた。ルーズリーフは跡形もなくなり、
小戸森さんは鞄をつかみあげ、僕に言った。
「今日のことは忘れて」
――無理。
こんなインパクトのある出来事、忘れようとするたび鮮明に思い出してしまうだろう。
小戸森さんは疲れたような足どりで石垣をあとにした。
――地獄の業火を呼び出すほど見られたくなかったのか。
「そんなに恥ずかしいことかなあ……?」
僕は首をひねる。
石垣に腰かけると、そばでニャーと声がした。
さっきの白猫が横に座って僕を見あげている。
「小戸森さんは君のことが好きなんだって。気づいてあげてよ」
猫はあくびするみたいな顔でニャーと鳴いた。
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