転がるだるま

ある山の中腹に、老夫婦が住んでいました。


夫婦になって50年、片時も離れずに、寄り添いあいながら生きていました。


夫婦は野菜を作り、山のふもとの町に売りに行くのが仕事でした。


ある日、お爺さんが一人で山のふもとの町へ野菜を売りに出掛けました。


明け方から、半日の道のりを歩き、ようやく町についたお爺さんは、いつものよう


に野菜を売りました。


そして、お婆さんへのおみやげに、かわいいだるまを一つ買いました。


「婆さんきっとよろこぶぞ!今から帰れば暗くなる前には家に着くじゃろ」


町で宿泊して翌日に帰ることもありましたが、その日は野菜も早く売り切れたし、お婆さんに早くだるまを見せたくて、お爺さんは山を登り始めました。


しかし、しばらくすると雨が降ってきました。そして雨はどんどんひどくなりました。


『ここまで来て町へ引き返すわけにもいかんの。このまま雨の中を歩き続けるしかないじゃろ』


お爺さんはびしょ濡れになりながら歩き続けました。


その頃、お婆さんは、家でお爺さんのことを心配していました。


『爺さんどうしたかの。町に泊まっていればいいけんども、もし野菜が早く売り切れて、今頃山を登っていたらたいへんじゃの』



お爺さんは歩き続けていました。


しかし、風も強くなり、先へ進むのが難しくなったので、近くの洞穴に避難することにしました。


『いやーまいったの。仕方がない、ここで一晩過ごすしかないじゃろ』


しかし、雨に濡れれた体は、お爺さんの体温を奪い始めました。



お婆さんは心配で心配で仕方がありませんでした。


『爺さん本当に大丈夫じゃろか。迎えに行ったほうがいいのじゃろか』


お婆さんは、にぎりめしを作り、お爺さんのカッパと着替えを濡れないように抱えて、お爺さんを迎えに歩き出しました。


『暗くなる前に、なんとか爺さんに会えるといいの』


お婆さんは、一生懸命山を下りました。


しかし、お爺さんが休んでいる洞穴を通り過ぎてしまいました。


雨と風の音で、お爺さんにはお婆さんの足音が聞こえなかったのです。



お婆さんは、お爺さんのいる洞穴から少し離れたところで、勢いあまって滑って転んでしまいました。


「あっつ。いいい・・痛い、足を挫いてしもた。立ち上がれなくなってしもた」


薄暗い雨風の中、お婆さんは立ち上がることができなくなってしまいました。



その頃、お爺さんはガタガタ震えていました。


「さ、さ、寒いの、このままでは朝までもたんかもしれん」


「は、は、は、は、は、はっくしょん!」


お爺さんがくしゃみをしたとき、おみやげに買ったかわいいだるまが転がりだしてしまいました。


「あっつ……待て、待て」


お爺さんはだるまを追いかけて雨の中を走りました。


でも急な坂道です。


なかなか追いつきません。


だるまはコロコロと勢いよく坂道を下り、そして、とうとう大きな石にぶつかって


止まりました。


お爺さんが、だるまを拾い「ふう」と一息をついたその瞬間。


「爺さん」


とお婆さんの声が聞こえました。


よく見ると、お婆さんが座り込んでいるではありませんか。


「ば、ば、ば、婆さん? どうしてここにおるのか?わしを迎えに山を下りてきたのか?」


お婆さんは申し訳なさそうに答えました。


「爺さんのことが心配で心配で、じっとしておれんかったんじゃ」


「こんな雨風の中、何時間もおったら死んでしまうぞ。わしがおぶってやるからの」


お爺さんはお婆さんをおぶって洞穴まで歩きました。


お婆さんをおぶったので、お爺さんの背中は温かくなり、寒さはすっかりなくなりました。


洞穴にたどり着いた二人は、お婆さんが持ってきた洋服に着替え、おにぎりを食べて、朝が来るのを待ちました。


「婆さん、どうしてこんな危険なことをするのじゃ。もうやめとくれよ」


お婆さんは答えました。


「爺さんの命はわしの命と一つじゃからな」


その言葉を聞いて、お爺さんの目は涙ぐんでいました。でも暗くてお婆さんには見えませんでした。


お爺さんは、お婆さんのやさしい気持ちを感じて、お婆さんのことがもっと好きになりました。


お爺さんはかわいいだるまをお婆さんに見せました。


暗い中、ぼんやりと、どろだらけのだるまが見えました。


お爺さんは言いました。


「このだるまがわし達を助けてくれたのじゃ」


お婆さんはうなずきました。


「そうじゃの。爺さんもわしも命拾いしたの」


やがて朝になり、雨もあがりました。


お爺さんは足を挫いたお婆さんをおぶって、無事に家に着きました。


そしてだるまを綺麗に洗って神棚に置きました。


だるまは、石に当たったときにひびが入っていました。


お爺さんとお婆さんは、このだるまのひびを見るたびに、二人で過ごせる毎日を感謝するのでした。


そして、今まで以上に寄り添いあって暮らしたのでした。

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