C市を覆う影
ざく、ざくと土を踏み抜き、無数に散らばる小枝を折っていく足音が響く。
「それで、その『せこブリーダー』というのはなんなんです?」
「『せこ』というのは、あれだよ。『あんぱん』とか、『アイス』とか、そういうあれだよ」
前を歩く男は左手に青々とした葉をつけたままのパイナップル、右手に小ぶりの馬鍬を持っていた。潮干狩りに向かうわけでは当然ない。彼らが歩いているのは木々の生い茂る山の中である。
「そいつは楽しみですね。金になるんですか?」
「ああ。『ブリーダー』から『せこ』を仕入れて流せばたんまりだ」
耳を劈く鳥のような叫び声が響く。なんだろう――トンビのような穏当さではない。
「兄貴、いまの声……」
男はパイナップルを不安げに声を上げた弟分に持たせ、馬鍬を武器のように構えて木の陰に身を隠しながら音のしたほうへと目を凝らす。
――CUTTER
ひび割れたような機械音声。
腹の底に響く低い音とともに、離れた場所の大木がゆっくりと倒れていく。
風が渦を巻くがごとき叫び声。それがどんどんこちらに迫ってきている。
瞬間、男たちの身体が寸の間地面から離れる。
それほどの突風が、なんの予兆もなく一陣、駆け抜けた。
男は野性的な直感で、この場を離れるべきだと判断を下す。余計な好奇心は身を滅ぼすだけだ。特に、この町の中では。
「行くぞ」
パイナップルを受け取って、それをカンテラのように掲げながら、男は山の中を進み始めた。
「こいつは――もとは学校かなにかですかね」
山の中に現れたその施設を目にして、弟分は怯えを隠すため、わざと呑気な調子でそう言った。
朽ちたコンクリートの四角い建造物。こうした山の中では割合見かけることの多い廃墟である。
「いや、どうやら病院のようだぜ」
男は門があったであろう、雑草が繁茂しているだけの空間に、ツタに巻きつかれた立て看板を見つける。
立ち入り禁止
これより先 私有地のため 立ち入りを禁ず
CE-CO CLINIC
山の中の廃病院。いかにもなシチュエーションに、男は苦笑を漏らす。それが空元気のなりそこないだと知りながらも、「せこ」を手配してもらった手前、たとえ他人の目がなくとも臆することはできない。
男は立て看板を当然無視して、廃墟の中へと立ち入っていく。
入り口はガラス戸だったようだが、肝心のガラスは全て砕けてちょうど人が通れるようになっている。戸の端にはガラスが少し残っているのに、割れたガラス片は地面に一片も落ちていない。
ガラス戸をくぐりぬけると、足になにか軽いものがあたって転がり、乾いた音を立てた。
さらにその転がったなにかが別のなにかにぶつかり、連鎖的にからからと音が鳴り続ける。まさか鳴子ではあるまいと、男はスマートフォンを取り出してライトを点ける。
「なんだ――こりゃあ」
半分腐ったようなリノリウムの床には、無数の緑色の生首が転がっていた。
「糊の容れ物ですね……ほら、カッパ工業の」
「ああ……あれか」
液体糊の容器を河童の顔の形状にして売り出している商品の、中身の入っていない廃棄物が累々と転がっている。かわいいだとかで評判だそうだが、このシチュエーションで見ると不気味以外の感想は湧かない。
「しかし、こんな廃墟にブリーダーとやらがいるんですか?」
「受け渡し場所にここを指定されたんだよ。まさかこんなとこに住んでる奴はいないさ」
河童の頭の形をした糊の容器を蹴り飛ばしながら、男たちは廃病院の奥へと進んでいく。
――ほーい
――ほーい
――ひょっ
――ひょっ
朽ちたコンクリートの壁に、獣か鳥のような鳴き声が反響していた。大方この廃墟に巣を作っている動物がいるのだろうと、男たちは薄気味の悪さを感じながらも声の主を捜そうとはせずに、探索を続ける。
「二階か……?」
一階をあらかた探し終え、男は踏めば抜けそうな階段を見上げる。
そこに、人影があった。
なにをするでもなく、呆然と立っている。若い女だった。
男は仰天して声を上げそうになるのをぐっとこらえ、短く誰何する。
「あんたか?」
――ほーい
女は男に声をかけられて初めて存在に気付いたようで、緩慢な動きで階段を上っていった。
男たちはそれを追うかたちで、土台のあるしっかりとしたつくりであるはずなのに、凄まじく不安を誘う階段を慎重に上っていく。
――ほーい
――ほーい
この声は獣のものではない――男たちは階段を上がるたび、その事実に気付き、どんどん青ざめていく。声は男たちを誘うように階段の上から聞こえてきていた。そういえば先ほど現れた女は言葉を発さなかったが、いま聞こえているものと同じ声を上げたのではなかったか。
階段を上り終えると、ばたばたと慌ただしい足音がフロアを駆けずり回っていた。
先ほどの女とは違う影――背丈は男たちと大差ないが、顔つきに幼さの残る、高校生くらいの少年。それが、足音を響かせながらフロア中を走り回っていた。
――ひょっ
――ひょっ
廃墟探索に訪れた若者――というわけではないだろう。いくら若くとも廃墟の中でこんな馬鹿のようにはしゃぐ者はいない。
少年は男たちに気付くと、ほぼ九十度首を横に傾げ、無言でどこかへと走り去る。
「パーティーでもやってるんすかね」
弟分の冗談に笑うこともできなかった。そもそもが発言した当人の声も震えており、とても冗談には聞こえない。
男は大きく舌打ちをすると、取引の相手を捜すことにだけ意識を集中させる。
頭のおかしい連中がたむろしていようが、男の目的は変わらない。ブリーダーに会って、「せこ」を入手する。
「せこ」は最近この地域の半グレの間で流行していると聞く品物だ。詳しくは知らないが、口にする者がみな「あれはやばい」とにんまり笑うのを見て、是非手に入れなければならないと欲を剥き出しにした。
曰く、「せこ」は勝手に増える。それを統括しているのが「せこブリーダー」であり、その者は「せこ」を増やす人手を常々欲しているという。
ならばと、男は仲間たちを売り、自分たちのグループよりも力のあるグループへと取り入った。
そして取り付けたせこブリーダーとの取引。絶対に失敗するわけにはいかない。戻る場所は自分で売り払い、「せこ」のシノギを確保しなければ次は自分の身が危うい。
「ああああ言ったのにな。『せこ』はやばいやばいやばい『せこ』はってさ」
いきなり人の声がして、男ははっと顔をそちらに向ける。
もとは入院室だったと思わしき部屋の中から、がやがやと声が聞こえてくる。
ドアの取っ手に手をかけ、ゆっくりと開く。
見知った顔ばかりが、病室の中で踊り狂っていた。
男が売った仲間たち。取り入った格上の集団。その男たちがみな、手を取り合って踊っていた。
――ほーい
――ほーい
「お前ら――」
男の声に、地域の半グレ集団の顔役の男が、踊り続けたままげらげらと笑い出す。
「『せこ』はいいいいいいなああ」
「ああ、約束通り馬鍬を持ってきましたね。ではさっそくですが、どれでもいいので殴ってください」
ドアが閉まっていた。そしてドアを塞ぐように立っている、若くはないが年齢不詳の女。
「私があなた方の言う『せこブリーダー』ですが。『せこ』がほしいのでしょう? あげますから言われた通りにしてください」
「な、なんだよ、こいつら、どうしちまったんだ」
「はあ、これらが『せこ』ですが」
これら――? この女はなにを言っている。「せこ」とは、なにを――指している。
「あ、兄貴――」
弟分が踊っている集団の一人に肩を掴まれた。
「う、ぐえええ」
急に苦しみ出した弟分は、陸に揚げられた魚のように床でのたうち回る。
「お、おい!」
――ひょっ
ふらふらと起き上がった弟分は、周囲の連中の輪の中に混じって踊り始めた。
「なんだ――なにしやがった」
「はあ、ですから馬鍬を」
こう、と女――ブリーダーは振り下ろすジェスチャーをする。
男は叫び声を上げ、馬鍬をブリーダーに振り下ろした。相手の頭をかち割るくらいの威力は出していた。
「いや、こっちじゃなくてですね」
馬鍬は、階段で出会った若い女の頭を貫いていた。先端がみな肉にめり込み、引き抜こうとしても戻ってこない。
――ほーい
女の頭頂部から、ビデオデッキから飛び出すように、皿が排出された。
ブリーダーはその皿を抜き取ると、小さく溜め息を吐いた。
「まあ、いいでしょう。『せこ』を増やすことはできましたし、わざわざ外部の人間に流すこともない。それならば」
フリスビーでも投げるように、皿を放るブリーダー。
その皿は男の両目の位置に、突き刺さる。
弾かれることもなく、肉へと沈み込んでいく。男は視界を奪われたことと、わけのわからないものが体内に侵入してくる恐怖で完全にパニックに陥り、誰かもわからない相手を突き飛ばして運良く部屋の外に出た。
砂に水が染み渡るように、皿はあっという間に男の体内に吸収されていった。視界が戻ったことに気付いた時、男は階段の前を腕を振り回しながら逃げようとしていた。
危なかった――目が見えるようになると、一段階パニックが静まる。それでも恐慌状態であることは変わらず、男はとにかく逃げようと階段を駆け下り始める。
――CRASH CUTTER CANNON
階段のコンクリートがいきなり炸裂した。
耳障りな金属音が唸りを上げる。古いパソコンが急な動作をした時のような、騒々しいアイドリング音らしきものを爆音で響かせ、それは姿を現す。
全身を覆う黒い甲殻のような装甲。頭部に突き立つ畏怖を具現化したが如き角。黒いはずなのに爛々と輝いて見える、顔の大部分を覆う巨大なライトのような眼。
本来はすらりとしているであろうその身体の右側には、右腕が変質した巨大な破砕機を重たそうにぶら下げている。
そして、その破砕機の先端を、黒い異形は男へと向けた。
爆ぜる。
男の頬を掠めたのは、甲殻を削ってできた弾丸だった。それが着弾した階段は爆発し、破片にぶつかって男は階段を転げ落ちる。
――ほーい
命乞いの声を上げようとした。だが男の口から出たのは、いやというほど聞いたあの不気味な声だった。
「粗悪品が。だが、河童である以上」
女の声だった。
「――懲罰」
破砕機を振り上げた黒い異形を、何者かが疾風のように蹴り飛ばした。
それもまた、異形であった。
長いローブらしきものに包まれ、茫洋とした身体の輪郭。実際、それが動く度に身体と空間は目まぐるしく入れ替わるように、非我の境界がバチバチと悲鳴を上げていた。
どこまでも曖昧なそれが大きく存在を主張しているのは。顔面に張り付いた二つの一つ目によってだった。
本来頭という領域に一つのみ鎮座することで異常性を表すべき巨大な目玉が、互いの領域を奪い合いながら顔面に二つ張り付いている。当然それが両眼という形で捉えられることはない。一つ目が二つという、怪物性が二乗された――異形の合の子。
「さっきから、なんなんだよオメーは」
黒甲冑のほうが、フランクというよりは柄の悪い声で相手を威圧する。
一つ目二つのほうは、無言を貫いていた。頭の中で一つ目がそれぞれ別の意思を持っているかのようにぎょろぎょろと動き回る。
――
無機質な機械音声が響き、一つ目二つが右腕を前に突き出すと、そこからうようよと白い腕が溢れ出す。
「なんだそりゃ。CCCドライバーの新型か?」
黒甲冑は破砕機に変質させたままの右腕でゴミでも吸い取るように無数に湧き出る白い腕を粉砕し、残骸を撒き散らしていく。
だが生き残った白い腕の一つが、男の身体を絡め取っていた。
一つ目二つは男を自分のもとへ引き寄せると、それまで四方八方に好き勝手動いていた両眼揃って、男を見つめる。
「――違う」
大きく腕を振るい、男は呆気なく宙へと放り投げられた。
一つ目二つは黒甲冑には目もくれず、虚ろな足取りで階段を上っていく。
「待てよ」
破砕機の銃口を向け、黒甲冑が鋭く射竦める。
「あたしはその先に用があんだ。案内してくれたりは――しねえよな」
階段の途中で立ち止まった一つ目二つは、とん、と右足を踏み下ろす。
轟音とともに、天井から巨大な足が落ちてくると、黒甲冑の身体を押し潰した。
男が残った意識で最後に見たのは、廃病院の床に倒れ伏した黒ギャルの姿であった。
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