特別応接室
うるさいと文句を言う者はいない。ここの防音は完璧だ。
カッパ製薬本社内、特別応接室。名前だけは立派だが、目に映る光景は無機質で殺風景なことこの上ない。外側からロックされたドア。明かり取りの窓すらなく、部屋の照明は無駄に眩しいLEDライトが一つ。簡素なベッドと、すぐ横には便器。
入ったことがないのでわからないが、今時独房でももう少し丁寧な造りをしているはずだ。
一年前から、桜はここで暮らしている。
桜がここに収容されるより、さらに一年前。カッパ製薬本社工場で、原因不明の爆発事故が発生した。
桜の両親は、カッパ製薬で研究者として働いていた。そして二人とも、事故に巻き込まれて死んだ。
カッパ製薬は事件を徹底的に隠蔽した。明らかにすべきところを全く明らかにしないのに、マスコミはどこもそれに疑問を呈さないし、突っ込みもしない。見事なまでにメディアを掌握していることを、こんな場面で堂々と見せつけてくる。
被害者遺族となった桜には相当額の見舞金や支援がカッパ製薬から寄せられたが、それを受け取ることはどうしてもできなかった。
カッパ製薬が事実を明らかにするまでは。
そう言うと、担当のケースワーカーは失望したような目をした。
そんな時はこないのだと、知っていたのだと思う。だけど桜は頑なだった。そうして自分を徹せるだけの若さと無鉄砲さがあった。
だが――当然、事態がなんの進展も見せない日々が過ぎていき、桜は次第に抑えられない苛立ちに神経を炙られ続けるようになっていった。
苛立ちは怒りとなり、やがて暴力へと変わった。
目につく限りのカッパ製薬関連の物品に、桜は当たり散らした。街中でカッパ製薬の関係者だとわかる人間を見つけると、わざわざ喧嘩を売りにいったこともあった。
自分の両親が、そもそもカッパ製薬の人間であったという事実すら都合よく忘れ、桜は苛立ちを外へと吐き出し続けた。
そんな時だった。
黒ギャル河童懲罰士に出会ってしまったのは。
以来、桜はずっとここで監視されている。学校に通うことは認められたいたし、自由になる時間もあるにはあったが、妙な動きを見せればすぐさま監視の目を光らせるカッパ製薬の社員が駆けつける。この町にカッパ製薬の目の届かない場所などなかった。
どうせ家に帰っても、優しかった両親はもういない。それならばどこに帰ろうとも同じことだった。
音もなくドアが開いた。まさか壁を蹴るのをやめろと言いにきたわけではなかろう。
顔を上げると、桜と全く同じ姿をした少女が笑顔で立っていた。
「――コン。なんの用だよ」
「桜。私たち、出られるんだって」
そう言われても、喜ぶことはない。どうせどこに行こうとなにも変わりはしない。
桜の像をトレースしているこれは、河童であった。
河童――カッパ製薬がそう呼称する怪物。その、最終段階である
この河童――コンは、なぜだか桜の姿をとっている。桜がコンと出会ったその時に、黒ギャル河童懲罰士は現れた。
そして、桜に目星をつけた。
やがて自分の目的のために、桜の肉体を使うマーキングをしていった――らしい。
だからカッパ製薬が桜を軟禁し続けているのは、その脅威から桜の身を守るためという大義名分があった。
そこから放逐するというのなら、喜ぶわけにもいかない。頼りない自分の力だけで、いずれやってくる黒ギャル河童懲罰士から自分の身を守らなければならないからだ。
コンと桜は違う特別応接室に収容されている。桜自身はたまに面談のようなものがあるだけだが、河童であるコンの場合は違うのだろうというのはなんとなくわかる。特に、いつからかコンの様子が明らかに変わってからは。
コンは最初、桜のカッパ製薬への怒りをその身に写し取った。河童は擬態準位に遷移する際、人間の感情を一つ強烈に自分の中に展開し、己の骨組みとする。コンが私に擬態する時に選び取ったのが、怒りだった。
だからコンは当初、私よりも苛烈にカッパ製薬に対して敵愾心を剥き出しにし、隙あらば破壊しようと暴れた。
それがいつの間にか、理性的な会話が可能なまでに落ち着いてしまった。その間にカッパ製薬が、コンになんらかの処置を施したのは明らかだろう。
コンに手を差し伸べられ、仕方なく桜は立ち上がる。体温まで桜と全く同じらしかったせいで、手を掴んだ感触が薄い。
「おっ、桜ちゃん。久しぶり」
軽薄な調子で声をかけてくる男の顔を見て、桜はげんなりと肩を落とす。
市内に出没する河童を懲罰するカッパ製薬傘下の実働部隊、カッパクリーンセンター防除班の一員であり、桜を暴走するコンや黒ギャル河童懲罰士から守ってくれた人物――客観的に見るとそうなることがたまらなく腹立たしい。
「北村さんがなんで出てくるんすか」
「あれ? 聞いてない? 桜ちゃんとコンちゃんは、しばらく防除班預かりになるんだけど」
「はあ?」
コンの顔を窺う。にこにこと穏やかな笑みを浮かべたまま、表情を変えない。
「なんか、新型デバイスができたから、その運用実験をかねてコンちゃんに懲罰を任せるって話で。俺らはそのバックアップ。桜ちゃんもサポートに加わるようにって」
そこで北村は急にぐいと顔を桜に近づけ、小さく「合わせて」と囁く。
桜は演技でもなんでもなく、単純に舌打ちをした。
「わかりましたよ。ついてきゃいいんでしょ」
「オーケー。それじゃあ、新居にお引っ越しといきましょ」
二年前の爆発事故の傷痕をまるで感じさせない、カッパ製薬本社のエントランスを抜ける。正面ゲートの前に大型のバンがとまっており、無言で乗り込んだ北村に続き、桜とコンも中に入る。
「早く出せ! 人攫いなんて初めてなんだからな! 手汗がやばい!」
「慌てるなよ。堂々といこう」
バンはゆっくりと、カッパ製薬本社の敷地を抜けていった。
どういうことだかわからずに座席に座っていた桜に、大きく安堵の息を吐いた北村から、ぐっと拳を突き出された。
「桜ちゃん救出作戦。第一段階ミッションコンプリート」
「浮かれるなよ北村。問題はこれからなんだからさ」
運転席に座っているのは防除班の
「あの……どういうことっすか?」
桜の疑問に、北村が大きな手振りで答える。
「まず、桜ちゃんとコンちゃんが防除班預かりになるっていうのは本当ね。新型デバイスが開発されたのも本当。だけど、俺たちはそれを使わせたくない」
桜の脳裏に、あの黒ギャル河童懲罰士の姿がフラッシュバックする。あれも、カッパ製薬が製造したデバイスを使っていたと聞く。
「だから、受け取るべきものを受け取らずに、桜ちゃんとコンちゃん捕まえてとんずら決め込んだ」
「これから俺たちは、行方をくらませることになる」
小林が緊張した声で言いながらハンドルを切る。
「一応、アテはあるのね。順さんが昔ちょっと関わったとこが、名前変えてまだ生きてるみたいでさ。あっ、小林。あの子じゃない?」
北村が前の歩道を歩く、桜と同じ学校の女子制服を着た少女を指さす。
小林はブレーキをかけ、バンをその少女の横にとめる。
少女はなんの躊躇いもなく、バンの中に乗り込んできた。
「カッパクリーンセンター防除班、北村健一さん、小林博嗣さん。そして
返答の代わりに、小林はアクセルを踏んだ。
「初めまして。私は鹿村キボウ。内閣官房特定大規模テロ等特別対策室情報防疫班の
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