CCC 河童懲罰C***
――河童懲罰って知ってる?
そんな流言がこのごろインターネットで飛び交っている。
北村健一は玄翁で甲羅を砕いたカミツキガメを足で踏みにじりながら、スマートフォンに流れてくる「河童懲罰」なるワードをスクロールしていく。
あれから一年が経った。
カッパ製薬中央研究所爆発事故。世間にはそう発表された、赤松トネ――およびその裏に潜む「研究会」なる組織による破壊工作。
その結果、カッパ製薬は〈
当然、河童懲罰の実働部隊であったカッパクリーンセンターは倒産。防除班も全員が解雇された。
笠井雅也は本社に戻り、今回の事態の収拾に奔走している。一年が経った今でも忙殺されているらしく、役職もはるかに高くなっているらしい。
岸順一郎は再建されたカッパ製薬中央研究所に当初の契約通り研究員として招かれることとなった。複雑な思いがあっただろうが、真実の一端を知る者として職務を全うしている。
小林博嗣は「詰め所」だった店舗を再開することができるようになり、毎日特殊な食材を前に奮闘している。その異常性がとあるインフルエンサーに取り上げられたことで局所的に知名度が高まり、客足は伸びているらしい。
そして北村は、以前と変わらず虐殺を楽しんでいる。
どこにも属さず、誰の許可も取らず、外来生物をターゲットにそれらを惨たらしく殺して回る日々。
しかし、いい加減この町でも派手に動きすぎた。カッパ製薬のあるこの土地には防除班のころから長く滞在している。害獣駆除会社社員という後ろ盾を失った今、北村の顔とこの虐殺行為を見咎められ始めていてもおかしくはない。
そろそろ頃合いか。防除班で得た給金はしばらくの路銀にしてもお釣りがくる。
「しかし――河童懲罰、ねえ」
河童はまだこの町に巣食っている。だが〈
そんなタイミングでインターネット上に現れた珍妙な流言。河童懲罰。
――河童は懲罰です。
――出た! 河童懲罰士!
――気をつけるサラ、奴は黒ギャル河童懲罰士サラ。
なんとも微笑ましい光景だと眺めていたが、最新の投稿に思わず目を奪われた。
黒ギャル河童懲罰士――その名称が指し示す人物を、北村は知っている。
北村はより注意深く、河童懲罰という単語を追っていく。
人を襲う河童。それを懲罰する者を懲罰士と呼ぶ。まず、この前提条件。
その上で、全く別の文化圏――本名でSNSをやっているような者たちの間でも、河童懲罰というワードが飛び交っていることに気付く。
プロフィールを確認して、呻く。彼らは皆、この町近辺在住であると――ご丁寧にプロフィールに出身校や学年まで――書いてあった。
――河童を見た。
――河童懲罰士を見た。
――黒ギャル河童懲罰士を見た。
どういうことだと安全靴でカミツキガメをぐりぐりと押し潰しながら、北村は考えを巡らせる。
河童はわかる。奴らはまだこの町に残っている。
河童懲罰士も――まあわかる。それは以前の北村たちのことだからだ。今は活動していないし当時もカッパクリーンセンターという偽造会社の名を使っていたが、実際に河童を懲罰していたことに変わりはない。
だが――黒ギャル河童懲罰士?
それは――まるで。
「捜したぞ」
革靴の音を響かせて、見慣れた顔がスーツ姿でこちらにやってきていた。
田舎の用水路にはなんとも似つかわしくない――が、この歪んだ企業城下町では往々にして起こり得る光景でもある。
「なにかご用で?」
北村はとっくに死体となっているカミツキガメを用水路の中へと蹴り飛ばし、おどけた調子で相手を挑発する。
「仕事だ」
「はあ、生憎俺は現在無職でして」
「復職しろ」
「なるほど。じゃあ、こうお呼びしてもいいんですかね?」
班長――北村の呼びかけに、笠井は卑屈に笑って答えた。
笠井は乗ってきた改造バンを指さす。懐かしの防除班の公用車だ。
「北村、殺すんならウチに持ってこいって言ったのに」
バンに乗り込むと、防護服姿の小林が北村の安全靴に付着した肉片を見てそう溜め息を吐いた。
「久しぶりの挨拶がそれか。それよりいいのかよ? 一応堅気の繁盛店のシェフがこんな仕事して」
「俺たちにはやり残したことがある。そうだろう」
同じく防護服を着た岸が難しい顔で腕組みをしたまま呟く。小林は頷き、笠井が助手席に乗り込んだのを確認するとエンジンをかけようとするが、北村は待ったをかけた。
「やり残したこと――俺はどうも察しが悪いんでいまいちよくわからないんですが、これと関係あったりします?」
北村は自身のスマートフォンから防除班の携帯端末にスクリーンショットを数枚転送した。
各々が自身の端末で確認し、笠井がその通りだと頷く。
「何者かが河童を懲罰している。それも、こんな噂が広まってしまうほど、派手に」
全員が押し黙った。
河童と化した兵頭アリス。その前に現れた赤松トネ、菅原沙羅、トオノ。
防除班が再び現場に戻った時に確認できたのは、肉塊と化した赤松の死体と、意識不明の沙羅だけだった。沙羅は速やかに救急搬送され、あらゆる手が尽くされたが、翌日死亡した。
トオノは現場に残された破損したCCCドライバーのデータから、間違いなく消滅しているもののと結論づけられた。というよりも、爆発事故の時点ですでに消滅していたはずのトオノを、CCCドライバーが無理矢理〈コープス〉として稼働させていたことが判明した。つまり〈コープス〉のCCCドライバーだけが残っていたということは、その持ち主であるトオノが存在しているはずがない。
問題はもう一つのCCCドライバー――沙羅の持っていたものが現場から消失していたことだった。
そして、生死不明のままの兵頭アリス。
そこにきてこの河童懲罰という流言。加えて「黒ギャル河童懲罰士」などという世迷言が飛び出す始末。
一笑に付すことができないのは、防除班にとって当然だった。
「我々の目的は、無許可で河童懲罰を行っている者を摘発。これを拘束する」
「表向きは、ね」
笠井の立場上言えないことを、北村は軽薄に付け足す。いつもなら咎められるはずの発言だったが、皆無言で首肯した。
幸い、河童の出現位置特定システムはこの一年で復旧している。車中で「外回り」が担っていた慣れない作業をしながら、北村が河童を一体捕捉する。
「
位置データを各端末に送信。小林がハンドルを切り、目的の河川敷へと向かう。
町を流れる川の中でも、広く整備された河原が広がり、休日には家族連れがピクニックにくる。河童を捕捉したのはそんな場所だった。
平日の昼日中。学校も長期休暇中ではない。それでも河原には散歩をする老人やベビーカーを押して歩く母親などの姿が見えた。
「警戒線引きますか」
車をとめた小林が笠井に判断を仰ぐ。
「そうだな。だが川端だけでいい。私たちにはまだ河童懲罰は認められていない。この河童は未確認の河童懲罰士なる者をおびき出す餌だ。下手に刺激せず、獲物がかかるのを待つ」
小林は頷くと車を降り、バンの荷台に入った非常線とカッパクリーンセンターの立て看板を手に、川辺へと駆け足で向かう。不審に思って声をかけてくる相手には頭を下げながら業務であることと、危険はないがこの場から離れるべきであること、不安を強いることへの謝罪を矢継ぎ早に繰り出してあしらい、すぐに警戒線を張り巡らせる。
ご迷惑をおかけしております
害虫・害獣の駆除をしています
危険ですので立ち入らないでください
CAPPA CLEAN CENTER
立て看板を設置し、歩哨のようにその場に立つ。声をかけてくる者には愛想よく同じことを繰り返し、流れるようにあしらっていく。
「おい」
集音マイクが小林に向けられた柄の悪い声を拾う。
「なにかな?」
小林が相手をしているのは、アリスと沙羅が通っていた高校の女子制服を着た少女だった。
「カッパ製薬のとこだろ、これ」
少女は立て看板を指さして詰問する。その程度で動揺する小林ではないと皆わかっていたが、いやな緊張感が車内に立ちこめる。
「ああ、河童? これね、ウチのマスコットキャラクター。かわいいでしょう」
金属がひしゃげる音。少女が立て看板を蹴り抜いた。
「カッパ製薬だろ? なあ、カッパ製薬なんだろうが」
「どうします?」
岸がすぐにでも飛び出せるように身構えながら指示を仰ぐ。
「相手は一般人だ。手は出せない。小林に任せるしかない」
「いやあ、この時間にこんなとこで社会人に喧嘩ふっかけてくる高校生がまともだとは思えませんけどねえ」
ガシャン、ガシャンと看板を蹴り続ける音。
「あの事故で、あたしの両親は死んだ」
小林はやめるようにジェスチャーをかけるが、少女の言葉を聞いて動きが止まる。
「なんだよ――事故でしたですむかッ。なんでまだデカい顔してこの町に居座ってやがんだ。潰す、潰す、潰してやる」
そう叫びながら立て看板を踏み潰していく少女を、北村は微笑ましく見守っていた。
なんのことはない。この町ではよく見る光景だ。カッパ製薬がこの町を支配している以上、見えないところには無数の敗北者が転がっている。成長戦略のためには人の命を平気で奪うような企業だと、北村たちが一番よく知っている。
河童の位置をモニターしていた機材が警告音を発した。北村は使い慣れないそれを悪態を吐きながら操作し、なにに対して警告を発しているのかを突きとめる。
「小林、近くの河童が概念形成体を構築――と、これは、おいおい……」
モニターには
色分けすることを想定していない準位――未だ四例しか報告されていないゆえの無色。
「
「出ます」
岸が防護服の下に改造エアガンを隠して車から降りる。
「なにが起こるかわからない。お前も出ろ」
「話がわかる奴だといいんですけどね」
電気警棒を隠すこともなく手に持って、北村も岸のあとに続く。
「はいこんにちはー。ここね、ちょーっと危ないんだわ。下がってねー」
警棒を持った防護服姿の男に突然そう言われれば、誰でも怯む。北村の狙い通り少女はぎょっと目を剥き、軽薄な笑みを浮かべた北村に誘導されるがまま川辺から離されていく。
「ア――アアア――カッパ製薬」
少女と同じだが、ぎこちない声がした。北村は素早く目を走らせ、少女の足元に仰向けになっているそれを見つける。
少女と全く同じ姿をしているが、身体全体がびっしょりと水に濡れている。
近くにいた少女に擬態した――
「潰す。潰す。潰す。カッパ製薬」
感情――
どうにも話が通じるようには思えないので、北村は足元の河童を思いきり蹴り飛ばした。
その動きで、ようやく少女も異変に気付く。
「なに、あれ。あたし……?」
「めんどいな。班長、この子の一時保護願います。
「ないな。現場判断だが、どうする」
小林と岸がそれぞれ銃を構える。
「懲罰、開始」
――CCC DRIVER
駆け出そうとした三人の足が、ぴたりと止まる。
「ひよふすべよ」
地の底から響くような、くぐもった不鮮明な声。
黒く焼いた肌。その肌を大きく露出させるために計算されたビスチェとミニスカート。だがその着衣は泥と血で汚れ、あちこちが擦り切れている。
「約束せしを忘るゝな」
腹部へと手を深々と突き刺し、苦悶に顔を歪めながら引き抜くと、その手には〈
腰に巻いたCCCドライバーをタップ。排出されたトレイに〈
――DISC SAUCER
耳を劈かんばかりの読み込みの駆動音が鳴り響く。まるで中で回転する〈
――CAPPA
「川だち男」
――CHOBATSU
「うぢはすがはら」
CCCドライバーと、その装着者が同時に絶叫する。あまりの負荷にお互いが耐えられないように、絶叫と絶叫で根本的な破滅を紛らわしているかのようだった。
――CASE
漆黒の概念形成体の甲殻に覆われた、仮面の河童懲罰士。〈カース〉と同じ兜のような角を生やし、〈コープス〉と同じライトのような、だが黒く染まった巨大な眼が輝く。
識別コード――〈ケース〉。
「あー、お久しぶりっす。悪いんすけどちょっとどいといてもらえます? そいつ、あたしが懲罰するんで」
「アリスちゃん……なのか?」
北村が急に人間らしい言葉を話すようになった〈ケース〉に訊ねると、以前のアリスと変わらない愛想のない溜め息が返ってきた。
「まあ、そんなとこっす。今はこの姿になってねーとまともに会話もできねーけど、まあ、あたしの目的のためには関係ねーっすから」
「目的?」
岸がエアガンを構えることも忘れて〈ケース〉に向き合う。
「沙羅と、ついでにトオノを、復元する」
「兵頭――そうか、あの〈
岸はすぐにアリスの身に起こった事態を推察してしまう。どういうことかと北村と小林が訊ねると、岸はアリスの身に起こったであろうことを話した。アリスもそれを訂正することがなく、どうやら岸の推察は的確なようだった。
「お嬢様とトオノちゃんを復元って……それは」
自己複製する〈
「いまさら何人死のうが知ったこっちゃねーんすわ。まあまだその段階までは進めてないんで、地道に河童を懲罰して〈
「カッパ製薬、潰す」
一気に距離を詰めて飛びかかってきた
そのまま拳を振り抜き、河童は宙でくるくると回転しながら地面に転がる。
〈ケース〉は自分が殴り飛ばした河童ではなく、怯えて震えている、河童と同じ姿をした少女へと目を向けた。
「使えそうじゃん」
ゆっくりと少女へと近寄り、上から顔を覗き込む〈ケース〉。
「な、なんだよ――」
「なあ、お前、河童懲罰って知ってる?」
再びこちらへと突っ込んでくる河童を見ることもせずに脳天に肘鉄を叩き込み、地面にぶつかった河童を踏み潰す。
「見せてやるから、よーく覚えとけ」
目の前で行われる河童懲罰を見せつけられた少女は、やがて壊れた笑みを漏らし始めた。
〈
――EJECT
軋む音を立てて排出された〈
「兵頭さん……!」
呼び止めようとする小林を、北村は手で制した。
あれは、もう駄目だ。
少なくとも今は、人間の言葉の通じる状態ではない。ただ己の中に抱え込んだ死体と呪いによって突き動かされるだけの、河童でも人間でもないなにかだ。
擬態された少女は震えながら腰を抜かしていた。
「河童懲罰――黒ギャル河童懲罰士――ハハ、マジ、か……」
「これ、どっちも本社に移送ですかね」
河童の拘束を始めた岸と小林を見ながら、北村は少女を助け起こす。
アリスはきっと、また現れる。
この少女を素体として使うために。
河童懲罰という言葉と、その実態を明らかにし、もう引き返せないところまで少女を突き落とす。現にこの少女はこれからカッパ製薬で保護される。カッパ製薬の秘密の一端を知ってしまった少女は自由を奪われ、カッパ製薬の監視下に置かれるだろう。
そうなればむしろ、アリスにとっては好都合だ。
河童懲罰に取り憑かれてしまった少女――そうした人間を、黒い河童懲罰士はこの町に生み出し続けている。彼女自身が河童懲罰という流言そのものと化して。
そして彼女たちはいつか必ず、河童懲罰に向き合う時がきてしまう。
その時にまた、〈ケース〉は現れる。
〈
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