一緒に、ともに、ひとり

「トオノの仕業――だけではないですね」

 笠井とともに焦げ臭い建物を検分しながら、私は誰にでもなくそう呟いた。

 昨日までカッパ製薬中央研究所だった、今は大部分が破壊され焼け落ちた建造物。あちこちについた破壊の痕は確かに〈コープス〉の武装によるものが多かったが、それにしてもこれだけの巨大な建造物を全壊に追い込むだけの威力は概念形成体ではそもそも出せない。

 人の手が入っている。何者かによって、研究所は爆破された。

 避難し逃げ延びた研究員は全体の半数ほど。死体は山のようにあり、身元はおろか性別不明になるまで焼けた死体も複数あった。

 そしてその合計数は、施設にいたはずの人数より少ない。

 幾人かが逃走している。その者たちがこの破壊工作の首謀者と考えていいだろう。

 トオノとアリスは見つかっていなかった。施設を破壊して回り、目下実行犯と思われているトオノが逃げおおせたのは当然として、アリスが見つかっていないのが気がかりだった。

 焼死体の中にアリスが紛れているかもしれないという恐怖を、ぐっと抑え込む。トオノが実行犯であるなら、アリスを見殺しにするはずがない。皮肉にもトオノのアリスへの親愛が、今の私の拠り所だった。

「それで、どういう風の吹き回しなんすかねぇ」

 北村健一が防護服姿で軽口を叩く。すかさず小林博嗣が叱責するが、北村はへらへらと笑いつつ、だが詰問するような調子で私を見てきた。

「いやー、俺もお嬢様には感謝してますって。命の恩人かどうかはさておき、恩人は恩人なわけですから。でもお嬢様と俺らは対立してるはずじゃなかったんじゃないかなーと思って。いきなり手を貸せって言われても、ねえ?」

 私は返答しない。彼らに信頼を置いてもらう必要はない。ただ人手が――カッパ製薬から離れた立場の人手がほしかったから声をかけただけにすぎない。目的を達せばまたすぐに防除班とは対立することになる。

「今のトオノを放置するのは危険すぎる。対処にあたるにはCCCドライバーが必要だ。お嬢様に手を貸すのは正しい判断だろう。俺たちの監督責任と――俺の個人的な責任のためにもな」

 岸順一郎は暗い顔で北村を諭す。自己複製する河童の〈ディスク〉を持ち逃げしようとした――トオノの言っていた通り、この男はあの〈ディスク〉を自分の保身のため、密かにカッパ製薬に上納しようとしていた。それに気付いたトオノに〈ディスク〉を奪われ、半死半生の状態で引きずり回された。

 それでもまだ防除班に残っているのは、彼にはほかに全く行き場がないからだ。防除班の面々もそれをわかっており、岸を責めることなく背中を預けている。

 防除班との一時的な協力関係。その目的は、トオノの捕縛とアリスの奪還。驚いたことにアリスの名前を出すと、防除班のメンバーは皆すんなりと頷いてくれた。ともに死線をくぐり抜けてきたという仲間意識が、彼らには確かにあった。

 現場の検分を終え、私たちは被害の少なかった本社ビルのロビーに固まった。それでもあちこちのガラスが粉々に砕けており、爆発の規模の大きさを物語っている。

 身元不明の死体含め、行方がわかっていない職員のリストをタブレット端末に表示した岸がそれをテーブルに置く。

「この中で重要なポストに就いている者は、まず赤松トネですが」

 トオノを預けたあの女は、最も死んでいる確率が高く、同時に最も生きている確率の高い人物だ。暴走したトオノの被害を真っ先に受ける立場であり、トオノの暴走をそそのかすだけの狡知を持ち合わせた怪人である。

 それに加えて私の秘密や、トオノの本質についても理解している。謀殺されてもおかしくない知識を持ち、謀略を巡らすことが可能なポジションにいる。

「赤松さんの捜索を第一に。彼女は私の主治医です」

 それだけで赤松の重要性に笠井や岸は感づく。

「あとは所属もバラバラな木っ端研究者ばかりですが、赤松とのつながりを洗ってみましょうか」

「そうですね。同時に、それぞれの身元もしっかりと。カッパ製薬の技術を外部に流出させようと動いていた者の犯行の可能性もあります」

「データは取れたから、あとはドカンですか? やることが派手だなあ」

 北村がまた茶々を入れるが、私はわざと真面目くさった顔で頷く。

「それをやられるだけの技術を、カッパ製薬は持っているんですよ」

「――あー、それもそうっすね」

 ぎこちない笑みを浮かべて、北村は納得する。

 カッパ製薬の技術――〈ディスク〉、河童、懲罰のシステムがもし外部に漏れれば、どんな惨事が巻き起こるか。現状、河童の発生はこの町の中だけでとどまっているが、〈ディスク〉を外部に持ち出し、河童の発生を全国規模で起こそうとすれば、〈ディスク〉の回収は困難を極めることになる。つまりそれだけ河童が野放しにされ、捕食準位イーターにまで遷移する河童の数も増え、直接の被害者も多発するだろう。

 せっかくお上からお目こぼしを受けてこの町を実験場にして行っていた河童懲罰も、そんな事態になれば目をつけられたくないような国家機関に捕捉されてしまう。私は直接は知らないものの、カッパ製薬が警戒している表に出ることのない裏の国家機関は存在するという。そして奴らは容赦をしないとも。

 だがその網をかいくぐってでも持ち出してしまいたいほどには、〈ディスク〉のシステムは魅力的だ。なにせ未来を否定し、手っ取り早く現在にとって未知の情報を恒常的に手に入れることができる。製薬会社以外にも、喉から手が出るほどほしいという者はいくらでもいるだろう。

 そのためにこんなことを起こすくらいは、平気でやる。

 だが、その程度の考えの連中に、トオノは手に余るのではないか。トオノは確かに魅力的な検体だが、それ以上に危険な怪物である。

 となると、それを御しきれるような人物は――やはり赤松くらいしか思いつかない。

 小林が振動する携帯端末を取り出し、失礼、とひとこと断ってから耳にあてる。

「『外回り』からです。追い込みをしていた捕食準位イーターを捕捉。場所は――」

 この町に巣食う捕食準位イーターの懲罰は〈コープス〉の投入以降防除班が多く行い、残ったものはほとんど私――〈カース〉が独自に懲罰してきた。それでも知能の高い捕食準位イーター全てを懲罰できたわけではなく、「外回り」による追い込みは日々続けられていた。

 どうする――と皆が私を見る。私は不敵に笑って、もちろん――とCCCドライバーを取り出す。

「河童は懲罰です」

 防除班のバンに乗って捕食準位イーターを追い込んだ地点に向かう中、私はCCCドライバーに提げられた〈ディスク〉を一枚一枚確認していた。

 これをCCCドライバーの機能発動キーとして使うのではなく、全て私の中へと取り込み、基礎スペックを向上させて――私は〈コープス〉に勝てるだろうか。

 私は自分で作り、野に放った〈ディスク〉を確かに取り込んだ。無数の人間を食い殺し、その可能性を奪い取った〈ディスク〉を己に取り込むことで、私は未来への可能性を強制的に発芽させようとしていた。

 正直、あそこまでやったのだから――という思いはあった。あれだけの数の人間を殺し、その後も殺し続けるように学習させた〈ディスク〉に詰まった可能性を取り込めば、私にだって可能性の発露くらい起こってもいいはずだと。

 だけど残念ながら、私の底には穴が空いていた。トオノへとそのまま流れ落ちるための穴が。

 私がいくらあがいても、それらは全て私を通り抜けて、トオノへと伝っていってしまう。だから〈コープス〉とあそこまでの差が生まれてしまった。私の取り込んだ〈ディスク〉と、そのコピー元である〈ディスク〉をも取り込んだトオノに流れ込んだ可能性は、擬態準位デミに人間となんら変わらない――それ以上の知性と感情を与えるに至った。

 私には、なにも与えないまま。

 では、あの虐殺はなんだったのだ。ただ三十数名の命を奪って、得たものはなにもないのか。

 いや――私は心臓に釘を打ち込まれるような痛みと、自傷の悦楽に陶然とする。

 アリスが永遠を誓ってくれた。私が罠にはめ、奈落へと引きずり落とした彼女はそんなことも知らぬまま、私と一緒にいてくれると言ってくれた。

 どれだけ魂の底から流れ出ようと、アリスが私と一緒にいてくれた時間は消えることはない。それは間違いなく、私が得た確かなものだった。

 もう、私にはアリスしか己を証明する手立てがない。それでいい。それで充分すぎる。

 だから、アリスは必ず取り戻す。

 山の中を流れる川にかかる橋の上に停車したバンから降り、散開する防除班を見送りながらその場でCCCドライバーを腰に巻く。

 どれだけ〈ディスク〉を取り込もうと全て無駄なのではないかと、考えたりはしない。

 私の得た可能性が全てトオノへと移るだけだとしても、私は河童を懲罰するしかない。

 渡されたインカムに通信が入る。

「発見。だいぶ人間っぽいですね」

 北村が河童を見つけたらしい。彼の位置を端末で確認。防除班が周囲を覆うように集まっていく中、私は陣形を無視して駆け出した。

ディスク〉を一枚腰から引き抜き、CCCドライバーをタップして排出させたトレイに乗せて押し込む。

 ――DISC SAUCER

 読み込みの駆動音。すぐに完了の指示音声。

 ――CAPPA

「――川立ち男」

 ――CHOBATSU

 最終確認。それに声で応じる。

「氏は――菅原!」

 ――CURSE

 あたりに白い火花が弾ける。純白の河童懲罰士へと姿を変えた私は、湧き起こる昂揚感を丹田に力を込めて押しとどめ、無言で疾駆する。

「待った、待った待った!」

 概念形成体の装甲の下で着けたままになっていたインカムから、北村の慌てた声が響く。

 それで止まる私ではない。目の前の河童を速やかに懲罰する。〈ディスク〉を片っ端からこの身体に取り込み、力を――可能性を得る。そしてトオノの居所を突きとめ、アリスを奪い返す。

「こんなに早く見つかるとは予想外ですが、まあそれだけ遷移のスピードと食欲が凄まじいということですね」

 森の中の開けた場所で、北村が河童に組み伏せられていた。

 その様子をハンディカメラを手に撮影している女。

「赤松さん」

 私は上気する身体を努めて落ち着かせながら、その女に詰め寄る。

「ああ、どうもお嬢様。お世話になりました。カッパ製薬のほうは辞職させていただきましたので」

「なにを――」

 私に気付いてカメラをこちらに向けていた赤松は、私の視線を誘導するようにカメラを再び北村のほうへと向けた。

 北村を押さえつけている河童が、私に気付いたのかゆっくりと顔を上げる。

 黒く焼いた肌。けばけばしく施された化粧。わかりやすく俗世との隔たりを生むための、彼女の武装。

「アリス」

「沙羅」

 私の名を呼んだ途端、アリスはぎゃっと悲鳴を上げ、北村を放り出してその場でのたうち回った。

「まだもとの自我が残っていますね。抵抗するだけ苦しむんですが、観察するには都合がよい」

「赤松さん、説明をしてください」

 私は返答によってはすぐにでも赤松の首を刎ねられるように身構えながら、冷静であることを装って問いただす。

「そうですね。そもそもなんでカッパ製薬が〈ディスク〉というシステムにたどり着けたと思います。河童の秘薬の伝承が残っているとはいえ、もともとは真っ当なただの製薬会社です。それがなんでまたこんな気の狂った所業を行うようになったのか」

「訊いているのは――」

 そんなことではない。アリスになにをした。だが赤松は気にもとめず、淡々と話を続ける。

「私は外部から派遣された技術者なんですね。手取り足取り教えてくださいと、カッパ製薬に招聘されたわけです。それで、だいたい用がすんだので、辞職させていただきました。面倒な資料を残さないように手配してですね」

「あなたが――」

「ああ、なにからなにまでやったわけじゃないですよ。というよりほとんどなにもしていません。『研究会』から派遣された技術者は結構いましたから、そろそろいいですよね? と打ち合わせをして、あとは任せました。ただ、困ったのはあの河童です」

 トオノ――この場にその気配はない。

「あれと兵頭アリスさんこれを検体として持ち帰ろうとしたら、激しく抵抗されまして。制御システムからCCCドライバーに負荷をかけて、なんとか無力化には成功したんですが、逃げられてしまいました。ただ、ご覧の通り兵頭アリスさんは順調に河童へと変化していますから、あれはもう消滅したと思っていいと思います」

「アリスを、どうする気ですか」

「人間から河童への変異を観察します。その過程で必要となる尻子玉および捕食する人間はこちらで手配しますのでご安心を」

「――それだけ?」

「それだけですね」

 ――CORONA

 白熱光が爆ぜる。

「ふざけるな」

 目に見える一帯を全て焼き尽くさんばかりの怒りの炎が巻き起こる。

「おっと」

 赤松は白衣のポケットに手を入れてすぐに引き抜く。

「ぐ――」

 身体の表面が沸騰するかのような悪寒。鉛のように重くなっていく肉体と意識。概念形成体の装甲のあちこちから、体内を流れているはずのストリームが噴出する。

「制御システムは当然保持していますので。早く展開を解除しないと死にますよ」

 獣のごとき雄叫びが上がる。

 ――CUTTER

 赤松の右腕が千切れ飛んだ。

「あら」

 噴水のように肩から血を撒き上げ、赤松はその場にどうと倒れる。

 赤い河童懲罰士〈コープス〉――トオノが、上空から振り下ろした刃をさらに倒れた赤松へと突き立てる。頭、首、背中。何度も確認するように貫いていると、やがて刃はぼろぼろと砕けてしまった。赤松はとっくに原型をとどめていない。

「お姉ちゃん」

 喋るトオノの声はノイズが入ったように不鮮明で耳障りだった。

「トオノ。アリスを守ってくれたのね」

 私の声もトオノと似たようなものだった。発声するだけで喉が焦げつくように痛む。

「うん。詫び証文を書かされたから」

 私はひび割れた笑い声を上げた。トオノも照れ臭そうに笑う。

 そうか、そうだった。トオノは必ず、アリスを守る。

 私がそう約束させた。

 だけど、残念だ。

 私とトオノの考えは、完全に食い違っている。

 トオノはトオノとして、アリスを守ろうとし、アリスを欲した。その結論が、アリスに自身のバックアップ〈ディスク〉を打ち込むという暴挙だった。

 自分が消滅したあとも、アリスを守り続けるために。自分がアリスに成り代わってでも、その個体を守り続けようとした。

 それがアリスであるかどうかは問題ではなかった。トオノにとっては目の前にいるその個体こそがアリスであり、それを存続させるために――あるいは、心の底からアリスという個体を独占したいと願ったために、自己複製する〈ディスク〉を打ち込んだ。

 ならば――やっと、答えが見えた。

 ――CHAIN

 CCCドライバーをタップ。漏出し続ける概念形成体に無理を言わせ、金の鎖を構築。トオノに向けて放つ。

 ――CRASH CUTTER CANNON

 すかさず三度ドライバーをタップしたトオノの右腕に、あの破砕機砲が構築される。私の放った鎖を破砕機で呑み込み、照準をこちらに向けて弾丸を放つ。

「北村!」

 防除班の全員が北村の救助に現れる。悶え打っているアリスを目にして岸が前に出ようとするが、私は身体から白熱光を放って警告する。

「北村さんを連れて、すぐにこの場を離れてください。アリスは私に任せて」

「しかし、お嬢様――」

 笠井が食い下がるが、私は小さく笑って彼に悟らせる。

 ――CORONA

「今までありがとう、笠井」

 絶句した笠井を小林が抱えて駆け出す。次の瞬間には私の身体から発せられた白熱光が、周囲を焼け野原に変えていた。

 それでもまだ、トオノは立っていた。武装を展開させておくだけの力も失い、右腕がぐしゃぐしゃの肉塊に変わり果ててもなお、〈コープス〉の姿のままで。

 トオノが己を奮い立たせるために雄叫びを上げると、私もそれに応じて身体中を駆け巡る破滅という熱を吐き出すように絶叫した。

 CCCドライバーを三度タップ。

 ――CRAZY CRUEL COMBAT

 トオノに掴みかかり、殴り、蹴る。優雅さも余裕も微塵もない、ただ激情のみによって放たれる肉弾。

 殴るたび、指先が砕けていく。蹴るたび、関節が外れていく。それでも私は身体を振り回した。トオノも同じく全身を壊しながら、私の拳に拳を返してくる。

 どのくらい殴り合っただろうか。とても不格好な殴り合いは、やはり不格好な形で幕を下ろした。

 どちらも身体を動かすことができなくなって、相手に折り重なるように地面に倒れていた。

「お姉ちゃん」

 トオノの声は先刻聞いた時よりもさらに酷くなっていた。きっと私も同じか、それ以上の聞くに堪えない声になっている。

「わたしはCCCドライバーで概念形成体を構築しているから、まだ生きている。中身のわたしはもう、死体なの」

 だからアリスに打ち込んだ〈ディスク〉が展開を始めた。トオノはいま、文字通りの死体の河童懲罰士となっている。

「だから、早く」

「――どうして」

「わたしの気持ちは、お姉ちゃんにもらったものだから。わたしがアリスが好きなのは本当の気持ち。なら、それは――」

 私は身体を重ねたトオノを優しく撫でた。CCCドライバーを、最後の力を振り絞ってタップする。

 ――CAPTURE

〈カース〉の口にあたる部分が大きく開く。まずは肩から。私は私にもたれかかる〈コープス〉を、ゆっくりと捕食していく。

 トオノをすっかり平らげると、私は芋虫のように這って未だ悶え苦しんでいるアリスへと近づく。

「アリス」

「沙羅……」

「アリス、そういえば、私の誕生日を教えてなかったわね」

「ああ。一回くらい、祝わせてほしかったな」

「じゃあ、お願いしようかしら。明日よ。明日で私は二十歳になる。でも、ごめんなさい。間に合わなかった。私は結局、呪いには勝てなかった」

「なに言ってんだ。トオノを食い殺したんだろ。なら――」

「ううん。駄目なの。〈ディスク〉を全て回収できていない。トオノの存在は、言ってしまえば穴だった。トオノを排除できたとしても、それは見えなかった障害をどけただけにしかならない。結局は〈ディスク〉の全回収を果たさなければ、私に未来がないのは変わらない」

「なら、あたしを食え。あたしはトオノになりかけてんだろ。それに昨日から今日まで、何人も人間を食った。どうせあたしは終わりだ。なら、沙羅に食われたほうが、よっぽどいい」

「逆よ、アリス」

 ――EJECT

 CCCドライバーから〈ディスク〉を排出させる。私に残った全てを宿した、私という可能性そのものを。

「アリスが私になって――ううん、私を、アリスにして」

 自己複製する〈ディスク〉。私とアリスが生み出した最悪の代物を、私は確かに自分の中に取り込んでいる。

 ならば、私もトオノと同じことができる。トオノがアリスの中に自己を保存したように、私がこの〈ディスク〉をアリスに挿入し、アリスの中に私を保存することが。

 うまくいけば、アリスの中で私とトオノが拮抗し、アリスの自我の侵食を食い止めることができるかもしれない。可能性は低い。三つの自我が混ざり合い、アリスが目も当てられない状態へとなり果ててしまう恐れのほうがよっぽど大きい。あまりに危険な賭けだ。

 だけどアリスは、笑って受け入れてくれた。

「沙羅にめちゃくちゃにされるんなら、悪くないし」

 私は感覚のなくなった指で〈ディスク〉を掴み、アリスに向ける。

「ごめんなさいアリス。もう力が入らなくて。アリスから、お願い」

 アリスは最後に私に優しくキスをして、〈わたし〉を自分の身体に迎え入れた。

 ――ああ、溶けていく。

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