河童の作り方

「自己複製する河童?」

 沙羅のCCCドライバーが起動したことをモニタで確認。異常がないか目を光らせながらも、佐々木ささき悦治えつじは赤松の言葉を注意深く聞き返す。

「はい。自身の〈ディスク〉を焼き増しし、人間に強制的に挿入することでバックアップをとる個体です」

「そんなもん――なんで発生したんです?」

「元となった〈ディスク〉が学習したからでしょうね」

「学習って――人間の手が入ってないと無理じゃないですか。それも一回じゃない。繰り返し外部から同じ工程を踏まないといけない。〈ディスク〉を人間に直挿しするなんてこと、さすがにウチでも早期に凍結された最悪の考えですよ」

「はい。だから、それをやった人がいるのだということです」

 佐々木は交戦状態に入った〈カース〉の数値を見ながら、手元の携帯端末で笠井にこの情報を流していた。


 ――CHAIN

 北村を金色の鎖が拘束する。

 すでに〈カース〉へと姿を変えた沙羅は、どこか恍惚とした足取りで悶え苦しみ続ける北村を懲罰しようと詰め寄っていく。

「待ってください」

 エアガンの銃口を〈カース〉の額に向け、小林が割って入る。

 沙羅は気にする様子もなく、さらに一つ歩を進める。足を踏み出した途端、小林は発砲した。

 充分な殺傷力が出せると言っても、それは人間の武器の範疇。弾丸は〈カース〉の装甲に傷一つさえつけられない。

「お嬢様」

 笠井がいつも通りうやうやしく頭を垂れながら沙羅の前に出る。

「あれは、北村は〈ディスク〉を直挿しされたという認識でよろしいのですね」

 沙羅は笠井が寸前に携帯端末に目を走らせていたことを見逃していない。不興げに鼻を鳴らすと、やっと歩みを止める。

「その通りです。それはもうただの河童です。懲罰することに、なにか不満が?」

 純白の異形に詰め寄られてなお、笠井は退こうとはしない。

「助ける方法は」

「知りません」

 笠井はそこで小さく笑った。

「『ない』ではないのですね」

「〈ディスク〉を引き抜けば――まだ完全に癒着しきってないなら、助かるかもしれねーっすけど」

 ぞっと――炎で焙られたような寒気が走る。

 沙羅は〈カース〉の装甲越しにアリスを見ていた。

「どうしたの、アリス」

 小首を傾げる沙羅。

「私たちがやったことを、忘れたの」

「――わざわざ人死にを出すこたねーだろ。ついでの実験だよ、実験」

「変なアリス。あんなにたくさん、実験ころしたのに」

 ああ、そうだよ。アリスは絶対に忘れない。それが沙羅と交わした、永遠に切れることのない契りだから。

 あの日――アリスが決して沙羅の手を離さないと決めた日。

 高校生の時に沙羅と二人で懲罰した捕食準位イーターの〈ディスク〉。沙羅はその〈ディスク〉を、クラスの人間に順々に挿入していった。

 直挿し――カッパ製薬でも最初期に数例しか行われていない、禁断の実験。

 河童の〈ディスク〉を生きた人間に挿入するとどうなるか。

 最初の一人。生徒会長をやっていた男子にアリスが肩に手を置くふうを装って〈ディスク〉を挿し込むと、彼はまず嘔吐した。

 確か現代文の授業中であったと思う。担当の教師は沙羅によって買収され、そのコマにだけ急用が入って自習となっていた。

 胃の内容物を全てぶちまけても嘔吐は止まらず、やがて彼の口からは絶え間なく水が流れ出るようになった。

 沙羅はそこで〈ディスク〉を抜き取った。気を失った生徒会長を心配しておそるおそる駆け寄った保健委員の女子に、沙羅はさりげなく〈ディスク〉を突き刺した。

 こちらも先ほどの男子と同じ経過をたどった。沙羅は不満げに鼻を鳴らすと、同じように〈ディスク〉を抜き取って手近にいた女子の腹に挿し込む。

 今度は嘔吐をしない。倒れた二人の生徒へふらふら歩み寄ると、男子のほうの腕を持ち上げて、手の甲にかぶりついた。

 じゅく、と果実のつぶれるような音。男子の手の甲には白い骨が露わになっていた。

 男子の手の甲を食い千切った女子は、数度咀嚼して耐えきれなくなったように嘔吐した。

 また〈ディスク〉を引き抜く沙羅。

「見て、アリス。これが私のなろうとしているもの」

 アリスと沙羅を除いたクラス全員、三十六人の死体。それらは皆身体のあちこちが食い千切られ、口には一様にべったりと血液と肉片がこびりついていた。

「おぞましいでしょう。けがらわしいでしょう。これだけの人間を殺してなお、私が生きるには足りないでしょう。この〈ディスク〉」

 沙羅はクラス全員に代わる代わる挿入した〈ディスク〉を摘まんでみせる。

「これが完全な河童へと成長して、それを私たちが回収しても、まだ足りない」

 教室に入ってきた次の授業の教師に、驚く間も与えずに〈ディスク〉を突っ込む。

 奇声を上げて、教師の身体が膨張し、あちこちに無数の人間のパーツと河童のパーツが形成されていく。

「やっぱり形成準位フォーマにしかならないみたい。この河童が捕食準位イーターにまで遷移して、いっぱい、いっぱい人を食い殺すまで、一年くらいかしら。CCCドライバーが私の手に入るまでもそのくらい。その時には、ねえ、アリス」

「ああ、あたしも一緒にいる」

 絶対だ――死体の山の上で、アリスは高らかに誓った。


 なにを間違えた。なにが変わってしまった。

 沙羅のためならば、何人死のうが構わない。現にアリスはその地獄が目の前に顕現するのを傍観していたではないか。

 なのになぜ、いまさら人間一匹の命を救うような真似をする。

 沙羅の目を見るのが怖い。装甲に覆われて直接の視線を交わすことはできないが、その奥の目が少しでもアリスに不信を向けようものなら――アリスは到底耐えられない。

「そうね。〈ディスク〉さえ回収できれば問題はないわ。下請けとはいえ、従業員を殺すのもいろいろと面倒ですし」

 沙羅は一歩の踏み込みで北村の面前にまで移動し、しげしげと身体を検分する。

「痛いですよ」

 北村の首の裏に指を突っ込み、中に入ったそれを引っかけると、一気に引き抜く。

 絶叫が上がる。だがそれはあくまで、人間の発するものだった。

 ――EJECT

 装甲となる概念形成体の展開を解除した沙羅の手の中には、一枚の〈ディスク〉が収まっていた。

 倒れた北村に小林が駆け寄る。しきりにひらひらと振られる手の動きからして、どうやら平気のようだった。

「サンキュー、アリスちゃん」

 小林に肩を貸されて立ち上がった北村は蒼白な顔に精一杯の軽薄な笑みを浮かべてそう言った。

「礼はいらねーっす」

 そう返しつつ、アリスの目は沙羅から離れない。

 沙羅がCCCドライバーをタップし、排出されたトレイに手に持った〈ディスク〉を装填する。

「あっ――」

 アリスは我知らず声を上げていた。それをやるのは自分の役目だと、勝手に思い込んでいたから。

 トレイを押し込み、ドライバーをタップ。CCCドライバーの駆動音がやけに長く響き続けた。

 自身に流れ込んでくる〈ディスク〉内の膨大な情報に呑まれないよう、深く息をしながら平静を保とうとしている沙羅に駆け寄る。肩を抱いて、力を抜くように促し、沙羅はアリスへとゆっくりと身を預けた。

「お嬢様、まずは弊社の社員への温情、痛み入ります」

 深々と頭を下げる笠井。小林も不承不承であるが頭を下げ、隣で手を振っている北村の頭を無理矢理押し下げた。

「話ならあとでいいっすか? 沙羅は今――」

 アリスの言葉を沙羅が手で遮る。言葉を飲み込んでしまったせいで、胸が詰まるような圧迫感に押しつぶされそうになる。

「では、CCCドライバーを返却していただきます」

「あら」

 アリスが瞬時に壁になろうとしたのを、沙羅は優しく押しのけた。

「これは私の私物ですよ」

「我が社の機密の塊を、一介の民間人に預けておくのは危険だと判断しました」

「あなたが、ね」

「まさしく」

 挑発するように言う沙羅に対し、笠井はあくまで慇懃に応じる。それが無礼だと映って当然であったが、笠井の言葉は常にどこか切迫しており、わがままを続ける主人をどうにかなだめようとする使用人そのものであった。

「それより、そちらで回収した〈ディスク〉はどうしました? 読み取りが終わっていないようなら、こちらに渡していただけると助かるのですけれど」

「岸サン――」

 アリスは異変に気付いて沙羅を抱えたまま背筋を伸ばし、周囲をぐるりと見渡す。

 岸の姿がない。

「〈ディスク〉は、現在輸送中です」

 沙羅は少し考えるように目を伏せる。防除班にこの自己複製を学習した〈ディスク〉の情報が流れたのはつい先刻。それもごく小さなものでしかない。加えてこの〈ディスク〉をカッパ製薬本社に持ち込むかを判断する時間も権限も防除班にはない。

「まさか」

 沙羅の顔から血の気が引いた。

 アリスは初めてみる沙羅の表情にぎょっとしてしまう。いつもあれほど余裕を浮かべて憚らないはずの沙羅が、ここまで周章している。沙羅を怯えさせている事態よりむしろ、沙羅が怯えているということ自体にアリスは危機感を覚えていた。

「少しでも考えるだけの頭さえないのですか」

 沙羅は笠井を明確に詰った。

「この〈ディスク〉の持つ性質を把握しているのですよね? であるならすぐに岸さんを呼び戻しなさい。擬態準位デミの河童にこの〈ディスク〉を与えたら、取り返しのつかないことに――」

「ううん、そんなことはないよ」

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