河童釣り

 笠井の話を聞き終えると、菅原真司しんじ――カッパ製薬終身名誉会長は一つ溜め息を吐き、

「それだけかね」

 笠井が返答に窮すると、ベッドに横たわったまま豪快に笑いだした。

 笑いすぎてせき込み、笠井は慌てて気道を確保して落ち着くように声をかけた。菅原はだがせき込んだまま笑い続け、しまいには喀血する。

 この男もまた、原因不明の病に身体を蝕まれている。残された時間は沙羅と同じか――あるいはもっと短い。

「なに、気にすることはない。あいつの好きなようにやらせればよい」

「しかし、お嬢様は一体――」

「笠井」

 やっと笑うのをやめた菅原は、仰向けのまま鋭い眼光で笠井を射竦める。

「お前は菅原の家によく仕えてくれた。生まれた時から世話をしている沙羅に私情を交えようとも文句をつけはせんよ。だが、だからこそ、お前には知らないでいたほうがいいこともある」

「会長はやはり――ご存知なのですね」

「見くびってもらっては困るね。あの子がこそこそと動いているのに気付かぬほどの間抜けではない。なんなら、赤松くんや技術部に沙羅に協力するようにと私のほうから口を利いててやったほどだよ」

「CCCドライバーのチューンナップ――いえ、試作機と、全く別の理念で作られた特注機の二つを開発したことに意図があると考えていいのですね」

 また笑いだす菅原。その息には血や痰が絡まり、ごぼごぼと音が鳴った。

「お前は、〈ディスク〉をなんだと思う?」

「――河童を懲罰することで得られる記憶媒体だと認識しています」

「いや、いや。そんなビジネス上の言葉遊びではなく、そもそも〈ディスク〉とはなんなのか、だよ。なぜそこに我々にとって未知の情報が詰まっているのか? なぜそれを河童が保持しているのか? 情報を抜き取って河童に返却すると、また情報を詰め込んで河童が形成されるのはなぜか?」

 笠井は黙したまま立ち尽くす。その解答が菅原からもたらされることはないことはわかりきっていた。この男はどこまでも人を試す。沙羅もその一人であり、新たな駒として笠井を盤面に置くことでさらに多くの人間を試し――狂わせる。

「では、私どもが独自に動くことをお許しいただけますか」

 菅原はそこで初めて不審げに眉を顰めた。

「お前が徒党を組むのか?」

「ええ。今の私は、カッパクリーンセンター防除班長ですから」

 ごぼごぼと笑い、菅原はよろしいと頷く。

「防除班に課されたノルマは当然これまで通りだが、その上で、自由に動くことを許可しよう。お前の権限も自由に使ってよいし、私のほうからも手を回しておこう」

「ありがとうございます」

 深々と一礼し、笠井は菅原の本家を後にした。

 庭には粉々に砕けた巨石の残骸が散らばっていた。

「お疲れさまです。どうでした?」

 家の前に停めた黒塗りのセダンで待っていたのはスーツ姿の小林だった。いつもの武骨なバンでこの屋敷に乗りつければ悪目立ちがすぎる。偽装というよりは、単純に笠井の体面の問題だった。

「会長から許可をいただいた。これより防除班は――〈カース〉の無力化および、CCCドライバーの回収のために動く」

 小林の運転する車中で笠井は防除班に通達し、さらに岸に独自の指令を出した。

 詰め所――小林の旧店舗兼住宅に戻ると、笠井は真っ先にトオノのもとへと向かった。

 アリスが防除班を離れてから、トオノは目に見えて憔悴していた。幸い以前に一度〈カース〉と交戦した以外で〈コープス〉の出番はなく、普段はずっとアリスのものだった部屋の中でうずくまっているか、出動の際にはバンの中で縮こまっているかだ。

 笠井はアリスの使っていた部屋にノックもせずに押し入り、ベッドの上に腰かけたままうなだれているトオノに詰め寄った。

「トオノ、河童について、〈ディスク〉について、お前の知っていることを全て話せ」

 反応はない。笠井は強硬手段に出るべきかとベルトに仕込んだナイフに手をかけるが、ふとトオノの目を見て言葉をなくした。

 トオノは防除班にいる間に、日に日に人間らしさを増して――学習していった。アリスが去る前までは、すっかり人間の子供そのものの言動を身につけていた。それが擬態準位デミの河童の習性だったとしても、そんなトオノの姿に心を和まされていた。

 だが今のトオノの姿はどうだ。まるで魂の抜けた人形。最初に防除班の前に現れた時のような、感情をまるで感じさせない無機質な目――いや、以前よりももっと酷い。

「トオノ……?」

「メモリ枯渇。形成体維持を第一。キャッシュクリアを実行中」

 自らの失態に気付き、笠井は我知らず悪態を吐く。

 防除班はずっと、形成準位フォーマおよび操作準位ソーサーの懲罰に向かってきた。おそらくそれも沙羅の差し金だろう。自分で捕食準位イーターを懲罰する時に邪魔が入らぬように、〈コープス〉の出動を未然に防いでいたのだ。

 結果として〈コープス〉が直接河童の〈ディスク〉を取り込まない状態が続き、擬態準位デミであるトオノは衰弱していった。〈ディスク〉を直接読み込まなければ形成体を維持できないのが擬態準位デミであると確かにトオノは自分の口で言っていた。

 それに気付かず、懲罰した河童の〈ディスク〉を全て律儀に返却し続けた防除班はとんだ間抜けだった。最重要戦力である〈コープス〉の維持のため、現場判断で〈ディスク〉のいくつかをトオノに与えておくべきだった。

 いや、全ては互いの無知と無理解ゆえの問題だ。防除班がもっと早くトオノから情報を引き出せていれば――トオノという存在について、あるだけの情報をカッパ製薬から盗んでおけば――アリスの口から、沙羅の計画の一端でも話させるだけの関係を築くことができていれば。

「今からでも――遅くはないか」

 笠井はまずカッパ製薬内の自分の直属の部下たちにトオノに関する資料を入手するように指令を出す。

「『外回り』から河童の情報入りましたよーっと。操作準位ソーサーと推定。場所は山ん中のため池ですって」

 階下におりた笠井に北村が防護服に着替えながら報告する。

「今回、〈ディスク〉の読み取りと返却は行わない」

 笠井もまた防護服を身に纏いながら、集まった面々にそう告げる。

「トオノですか」

 岸が苦々しげに呻く。どうやら岸はトオノの不調と原因について察しがついていたらしい。だが岸にとって河童懲罰と〈ディスク〉の返却は自身の進退に直接関わってくる重要なノルマである。トオノのために〈ディスク〉をちょろまかすことはどうしてもできなかったのだろう。

「そうだ。トオノ――〈コープス〉が防除班に預けられているということは、そのメンテナンスもこちらに一任されているということ。加えて〈カース〉と交戦する際には、どうしても〈コープス〉の力が必要になる。〈コープス〉は常時万全の状態を維持しておかなければならない」

「つっても、こっちも懲罰のノルマがあるわけですからねえ。回収した〈ディスク〉全部トオノちゃんに食わせてたら、こっちが食い上げになる」

「カッパ製薬に上げるだけの〈ディスク〉データは確保しつつ、トオノちゃんを食べさせるだけの〈ディスク〉を確保……。でも河童の出現情報は営業部から本社に送られているから、ピンハネはごまかせないんじゃ……?」

 北村と小林の疑問に、笠井はたったいま私用のスマートフォンに届いたメッセージを見て頷く。

「私の本社での部下に営業部に出向している者がいる。ある程度の河童の出現情報は、本社に回さずに防除班にだけ送られるよう便宜を図ってもらった。今回は――河童に逃走を許したと報告を上げる」

 着替え終わった防除班のメンバーは笠井の決断に無言で応じてバンへと乗り込む。

 山中に分け入り、農業用のため池へと徒歩で進む。

 山の斜面を大量の水が流れ落ちていた。操作準位ソーサーによる概念形成体の操作。くるぶしの高さまである水を北村が指さすが、笠井はまだだと無言で制止する。

 中腹の平らな地面に強引に掘ったようなため池。そこから概念形成体の水がとめどなく溢れ続けていた。河童の姿は目視できず。

 北村が薄ら笑いを浮かべながら、ため池の縁へと注意深く近寄る。手に持った電気警棒に電流を流すべく手元のボタンに触れる。

 瞬間、池の中から水かきのある手が北村の足を掴んで引きずり込む。

「北村!」

 小林が叫んで見る間に池へと沈んでいく北村の腕を掴もうと手を伸ばす。だが北村はそれを振りほどくように、手に持った電気警棒を池の外へと放り投げた。

「マーキング――されていたな」

 苦々しげに呟く岸に、小林がどういうことだと強く問い詰める。

「概念形成体を操作する――ならば操作して表出した概念形成体を使って、こちらの位置を把握することも可能なんだろう。ずっと流れていた水に浸かった俺たちの位置は、あちらさんには手にとるようにわかると思っていい」

「そんな操作準位ソーサーは今まで――」

「ああ、いなかった。いたとしても水を飛ばして攻撃に使うか……」

 三人は苦い顔で足元を流れていく概念形成体の水を見下ろす。

「水場を作ってそこから奇襲をしかけるか――だな」

 北村の投げた電気警棒を拾った小林は、ためらいがちにグリップ部分のボタンを見ていた。

「小林」

「待って。北村の安全が第一――っていう認識で一致してますよね?」

「ああ」

「この水に電流を流したとしても、人間が死ぬような威力はないのはわかってます。それで河童が飛び出してくるのもわかります。でも、北村は――どうなります?」

「上がってこられないような深さの池じゃないが、まだ池の中にいるかは、はっきり言ってわからない」

 河童は概念形成体の水の中を移動できる。その河童に捕まった北村が、本来の池の水以外の水の部分にもし沈んでいた場合、河童を水から引きずり出した時にどうなるのか。

 河童を引きずり出せば、概念形成体の水は消える。それだけの衝撃を与えられる電流の出力がこの警棒には備わっている。

 消えた水は、そのままなかったことになる。中に捕らわれている人間がどうなるのかは――データがない。

 笠井は舌打ちをして足を払う。笠井の足元の水から先ほどの河童の手が伸びていた。瞬時にその手を蹴り抜き、ひとまずの危機を回避する。

「移動しているな。北村は――」

 岸がなにか言いかけるも、小林の沈痛な面持ちを見て口を噤む。

 北村が連れ去れた時に、即座に電気警棒を突き立てていれば――北村が電気警棒を投げたのもそれを意図したものだった。取り返しのつかない後悔に押しつぶされそうになりながら、今できる最善の手を探るべく己を律し続けている。

「上がってこないところを見ると、上がることのできないところにいるっていうことですね」

 すでに河童は概念形成体の水中へと移動している。ため池に落ちただけなら、河童の拘束を解かれた時点ですぐに上がってきている。

「水を維持したまま、河童を引きずりだす」

 笠井の言葉を聞くと、岸が素早く腰から竹製の釣り竿を取り出し、先端の糸にキュウリを括りつける。

 小林は取り出したボトルから鉄粉の入ったジェルを防護服に塗っていき、笠井と岸も同様に全身を鉄粉でコーティングする。

 河童は鉄を嫌う。そのため、通常時の防除班の装備には鉄製品がほとんど用いられていない。懲罰しに向かう河童を、鉄の臭いでむざむざ逃がすわけにはいかないからだ。

 河童はキュウリを好む。そのため、特定の位置に河童をおびき出すトラップ用に防除班のメンバーは常にキュウリを携帯している。

 人間と第一接触を果たした河童にキュウリは通用しない。だが、全身を鉄で覆い、河童の嫌う臭いを発し続け忌避感によって存在を誤魔化し、そのただ中に好物のキュウリを浮かべておけば――そちらに食いつく。

 岸の竿がしなる。キュウリが概念形成体の水の中に沈んでいく。

 最高級の竹を使った竿だが、どこまでこらえてくれるかは心もとない。岸は呼吸を合わせ、一気に竿を振り上げた。

「こいつ――」

 釣り上げた河童の姿を見た全員が絶句する。その姿は人間のパーツに河童のパーツをつぎはぎしたような普段見る形成準位フォーマ操作準位ソーサーのものではなく、立派に河童として成立する怪物だった。

捕食準位イーター――北村っ!」

 先走りそうになるのを、小林はすんでのところで抑えた。

 捕食準位イーターを相手に〈コープス〉なしで懲罰を行ったことはこれまでになかった。この場の三人で的確に連携を取らなければ太刀打ちのできる相手ではない。北村がどのような状況にあるのかは――今は考えない。

「懲罰――開始」

 笠井の声で小林と岸が扇状に展開する。エアガンを次々に発砲し、すぐさま十字砲火クロスファイアの形に持ち込む。

 河童は、バリバリと音を立ててキュウリを貪り食っていた。着弾を気に留める様子すらない。

「小林!」

 銃撃を止めず、岸がハンドサインを出す。小林はエアガンを放り捨て、電気警棒を全開にして河童へと振り下ろした。

 河童はようやくギャッと悲鳴を上げる。これを好機と小林は警棒を何度も打ちつけ、ショックを与え続ける。

 十回を超えたあたりで、そろそろ拘束が可能ではないかと探りを入れながらの攻撃へと移行する。

 そこへ振り上げようとした腕が、戻らない。

 河童が電気警棒を水かきのついた手でしっかりと掴んでいた。電撃は依然流れている。だというのにそれをものともせず、直接捉えにきた。

 だが、小林は退かない。掴みかかってきた瞬間の身体の硬直に合わせ、滑らかな動きで河童の首へと荒縄を引っかける。

 その輪の端を、すかさず岸が掴んで一気に引っ張る。河童は首を絞められながら宙に浮く。素早く荒縄を手近の木にかけて、河童を吊るし上げる。

「時間がない。すぐに切断を開始する」

 小林は指示を受ける前に鉈を取り出していた。無言で河童の右腕に振り下ろし、切断する。間断なく左腕、右足と続けると、河童の頭から〈ディスク〉が排出された。

 読み取り機ではなく、用意しておいたチャンバーに〈ディスク〉をしまう。

「北村は!」

ディスク〉を失って吊るし上げられたままの河童を睨み、小林が声を荒らげる。

「懲罰という工程を踏んだ。河童は己の罪業を詫び、返礼を行うはずだ」

 岸は河童へと詰め寄り、言いくるめるようにそう言った。

 水が跳ねる音と、激しくせき込む音。

 ずぶ濡れの北村がため池の縁で、身体を震わせていた。

「北村! よかった――」

 駆け寄ろうとする小林を、北村が手の動きで強く制する。

「寄る――な」

「どうした」

 異変を察知した笠井がその場を動かずに訊ねる。

 せき込み続ける北村。やがて喉から血が飛び散り、呼吸ができずに喉を掻き毟る。

 そして嘔吐するかのように、北村の口からとめどなく水が溢れだした。

 口から流れ出る水は、あっという間に地面を覆っていく。

 概念形成体であることは明らかだった。それがなぜ、北村の口から出てくる――

「ああ、やっと見つけた」

 エンジン音が聞こえたと思った時には、二人はすでにバイクから降りてこちらに向かってきていた。

「お嬢様――」

「ねえアリス、やっとよ。私たちの想いの結晶が、こうしてまた戻ってきた」

「――ああ」

 沙羅とアリスは、全く様相の違う表情を浮かべて防除班の面々を見回す。

「沙羅、どうすんの」

「ええ、もちろん、河童は懲罰です」

 北村が、獣とも鳥とも虫ともつかない絶叫を上げた。

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