死体と呪詛
この町の河童懲罰は今、カッパクリーンセンター防除班が仕切っている。彼らの主な獲物は
沙羅――〈カース〉がそれらを本腰を入れて殺し始めれば、彼らは生活すらままならなくなるだろう。沙羅自身はそんなことを歯牙にもかけない。今まで積極的に
だが赤松の診察で沙羅の方向性が変わった。全ての河童を懲罰し、〈
そうなれば当然、防除班との衝突は避けられない。
傍受している「外回り」からの情報をもとに廃工場の汚水浄化槽にバイクで乗りつけたアリスと沙羅は、同時に現れたバンから降りてくる防除班の面々と相対した。
トオノの姿はない。アリスは我知らず安堵の息を漏らした。
「ありゃりゃ、お嬢様とアリスちゃん。どういったご用件で?」
北村が相変わらずの軽口を利くが、岸がそれを制した。
「兵頭、お前はそれでいいのか」
アリスは極めて自然に、侮蔑の笑みを浮かべることができた。
「は? なに言ってんすか。あたしはあたしのやりたいようにやるだけっすけど。防除班に入ったのも、後付けでしかねーんすわ」
「そうか」
「そうっす」
「そうは見えなかったものだからな」
アリスが気色ばむのを、沙羅が穏やかな笑顔で止める。
「大丈夫。大丈夫よ、アリス」
ああ――大丈夫に決まっている。こうして沙羅の声を聞いて、その笑みさえ見ていられたら、なにも不安に思うことなどない。
「笠井」
「なんでしょう、お嬢様」
防除班班長の笠井がうやうやしく頭を垂れながら沙羅の言葉を待つ。
「これから私がこの場の河童を懲罰します。防除班の皆さんは撤収していただけませんか」
「私個人としてはそうしたいのですが、カッパクリーンセンターおよびカッパ製薬としては――看過できかねます」
「あら」
挑発的な笑みを威嚇するように浮かべた沙羅に、笠井は畏まったまま続ける。
「大変申し上げにくいのですが、お嬢様もまた、CCCドライバーの被検体の一つと認識しております。ですが、お嬢様がお持ちのCCCドライバー、それには、〈
「よく調べたわね。私個人のCCCドライバーの情報は最重要機密のはずだけれど」
「なぜ最重要機密に設定されたのか――疑問に思ったのはそこです。加えて上層部にも開示されていないともなれば、考えられる可能性は自ずと限られてきます」
お嬢様――笠井はそこだけ、長い時間と親愛を感じさせる声音で訴えた。
「なにをお考えになられているのですか」
「あなたの考えている通りだと思うわ。ええ、造反よ」
笠井は口を開きかけて、やるかたなしとばかりに肩を落とした。
「防除班、全員配置につけ」
「班長……?」
狼狽する小林を小突いて引っ張り、北村がアリスたちに背を向けて奥に進んでいく。
「邪魔が入った場合は」
岸が笠井を試すように確認をする。
「排除しろ」
無言で北村たちのあとに続く岸を見送り、笠井は沙羅と向き合う。
「河童懲罰はカッパクリーンセンターが許諾を得て行う業務です。それを妨害するのなら、しかるべき対処をとらせていただきます」
「そう」
――CCC DRIVER
「沙羅……?」
CCCドライバーを腰に巻いた沙羅に、アリスは思わず戸惑いの声を上げてしまう。
沙羅はきょとんとアリスの顔を見て、大丈夫だと笑った。
「トオノ!」
――CCC DRIVER
バンから躍り出た子供の姿をした河童――トオノはすでにCCCドライバーを装着していた。
「アリス……」
潤んだ目で見つめられ、どっと冷や汗が吹き出す。忘れていたのに――忘れることができていたのに――なんであたしを見ていやがる。
「アリス」
そっと抱き寄せられ、沙羅の呼気を感じるまで顔が近づく。急激に身体から熱感と悪寒が消えていき、アリスは沙羅で満たされる。
――DISC SAUCER
アリスは導かれるままCCCドライバーをタップし、沙羅の中に〈
――DISC SAUCER
トオノが自分の頭から〈
――CAPPA
「川立ち男」
「――川立ち男」
――CHOBATSU
「氏は菅原」
「氏は――菅原!」
――CORPSE
獣の咆哮。赤い河童懲罰士〈コープス〉は唸りを上げながら目の前の相手を標的に定める。
――CURSE
「さあ、河童懲罰を始めましょうか」
舞い散る白い火花。白い河童懲罰士〈カース〉は音吐朗々、美しい所作で目の前の相手を挑発する。
――CUTTER
トオノが右腕の装甲を再構築した刃で沙羅に迫る。凶暴だが粗雑に振り回される刃を沙羅はするするとかわし、時には刃の腹に打撃を加えて往なして見せた。
沙羅はトオノをまともな間合いにすら入らせない。トオノには自らをも巻き込む装甲を炸裂させる奥の手がある。だが確実に決めるためには相手と肉薄しなければ自分だけが損壊してしまう。
――CHAIN
沙羅の金の鎖が間合いの外からトオノを締め上げる。
――CLOSE
沙羅の身体から分離した鎖は、それ自体が意思を持つようにぎりぎりとトオノの身体を締めつけていく。装甲が軋み、ひびが走り、陥没していく。
――CRUSH
トオノの身体ごと、金の鎖が弾け飛んだ。
耐えきれなくなったトオノが、この状況を打破するために自爆を行ったのだ。外皮のあちこちが剥げ落ち、内部を巡る概念形成体の
CCCドライバーをタップしようとするが、関節の外れた腕ががくんと一段落ちる。
沙羅は崩れ落ちそうになるのを前傾姿勢でなんとかこらえているトオノにゆったりと近づき、その足をつま先で小さく突いた。
それだけでトオノは派手な音を立てて地面に転がった。
激痛でのたうち回りたいのだろうが、それすら不可能なほどにまで身体が粉々になっている。沙羅は屈み込むと、〈コープス〉の右目に貫き手の構えをとった右手を向けた。
陶器の割れるような音。〈コープス〉の右目だった装甲は無残に砕け、その下のトオノの目にまで達する深さまで、沙羅の右手は差し込まれていた。
生々しい音とともに沙羅の手が抜かれる。〈カース〉の純白の装甲の先には、赤黒い粘液がべったりとついていた。
〈コープス〉の頭部を無造作に蹴り、左側を上に向ける。次は左目に同じことをするつもりだ。
地面に着いた〈コープス〉の右目の残骸からぼたぼたと粘液が垂れる。アリスはわけのわからない焦燥感に駆られて覗き込むと、その奥のアリスをまっすぐに見つめる瞳と目が合った。
「沙羅――!」
アリスは思わず切迫した声を上げる。
沙羅は〈カース〉の姿のまま、普段と変わらない動きでアリスのほうを向き、首を傾げる。
「どうしたの? アリス」
瞬間、呼吸が不可能となった。
喉が干上がる。ねばついた悪寒が全身に張りつく。身体中の水分が全て脂汗となって吹き出したようだった。
「ねえ」
〈カース〉はすでにトオノから狙いを外し、アリスに向き合っていた。
「どうしたの?」
「――急ごーぜ」
言葉を出すと、どうにか呼吸ができるようになる。
「防除班の連中に先越されたら無駄足じゃね? とっとと〈
「それもそうね。笠井もとっくに行ってしまったようだし」
沙羅はトオノの身体を蹴って仰向けに転がす。アリスは声が出そうになるのを唇を噛んで必死にこらえた。
CCCドライバーに手を伸ばした沙羅は、ドライバー部分をタップする。
――EJECT
トオノから排出された〈
――EJECT
――EJECT
――EJECT
――EEEEEJECT
大量の〈
「先に行くけれど」
「ああ、すぐ追いつく」
沙羅は大きく跳躍して、河童と防除班との交戦に割り込みに入る。
アリスはそれまでできなかった息をどっと吐き出し、膝に手をついて必死に呼吸を整える。
ふらつく足で転がったまま微動だにしない〈コープス〉のもとに行くと、屈み込んでCCCドライバーをタップする。
――CURE
〈コープス〉の形成体がゆっくりと修復を始めた。さすがにここまで破損すると、一瞬というわけにはいかないらしい。
「これだけだ」
すぐに身体を起こし、浄化槽の奥に向かう。
「アリス……」
くぐもった声で呼ばれるが、アリスは目もくれずに沙羅を追いかけた。
その目を見てしまったら、またわけのわからないことをしでかしそうで怖かったから。
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