殺戮者と料理人

「へえ、似合うじゃん。アリスちゃんセンスいいよ」

 小林の元店舗兼住宅に戻ると、アリスは抱えて帰ってきた荷物をトオノに向かって放り投げた。

 トオノは戸惑うように数度アリスの顔を見て、アリスが全く視線を寄越さないのを見てとると、ビニール袋を開いてその場で中の衣服を身に着け始めた。

 北村と小林が世話を焼きながら、どうにかこうにか着替え終えると、北村が満足げにアリスに声をかけてきた。

 アリスは、当然のようにそれを無視した。

「兵頭。騒ぎを起こしたらしいな」

 岸が落ち着いた、だが厳めしい声で問い詰めてくる。笠井はいない。恐らくアリスの起こした面倒事をこの場の面々に話して、そのまま方々へ便宜を図りに出たのだろう。

「トオノは、少なくとも外見は人間の子供だ。それを公衆の面前で――」

「わーってます」

「兵頭――」

「わかってんだよ!」

 アリスは自分に対して怒りをぶつけるように怒鳴った。

 本当はなにもわからなかった。トオノを見る度に湧き起こる苛立ちも、衣服を買ってやろうなどという考えに至った理由も、沙羅と目を合わせた時の慙死したいまでの苦痛も。

 だから、ぶつけた。わけのわからないものをそのまま、暴力として。それに都合のいい――そして自分でも納得できる、河童という存在であるトオノに向かって。

 だが結局、アリスはなにも納得できなかった。河童を殴れば懲罰になるとばかり思っていた。懲罰という大義名分さえあればアリスは河童などいくらでも殴ることができた。それはそのまま、アリスへ納得できる充足感として還元された。

 トオノを殴る度、アリスはバラバラになっていった。

 なにかが――なにもかもが違うのだと理解しきっていた。だけどなにもわからないから、トオノを殴った。これは懲罰だと――懲罰であるのならアリスを満たしてくれると妄信していた。

 残念ながら、トオノには懲らしめるべき理由も、罰すべき罪科も存在しなかった。

 存在そのものが懲罰に値する。河童とはそういうものだとわかってはいる。

 だがそれは、所詮はルーティンワークにすぎない。

 〈ディスク〉ありきであるから、懲罰ありき。〈ディスク〉内へ情報を蓄積する形成体である河童を、河童懲罰という作法で適切に処理し、〈ディスク〉の排出を促す。

 河童懲罰とはその技術体系でしかない。少なくとも、カッパクリーンセンター防除班内においては。

 アリスは別にトオノから〈ディスク〉を回収したかったわけではない。殴りたかったから、殴った。目的のない暴力は懲罰になりえない。

 いや、目的はあったのだ。

 理由はわからない。それでもアリスはトオノを殴るしかなかった。

 苛立ちをぶつけるためか。

 服を買ってやった返礼か。

 遠くへ行ってしまった沙羅への精一杯の言い訳か。

 アリスは沙羅以外に見られてはならない。アリスは沙羅以外を見てはならない。

 トオノへ向ける視線はもっと、冷酷であるべきなのだ。

「アリス、見て」

 瞬時に頭に血が上る。

 トオノがアリスの買った服を着て、こちらを見ている。自分を見ろと宣っている。

「兵頭!」

 気付くと岸に羽交い絞めにされていた。我知らず立ち上がり、懲罰の際に用いるナイフを手にとっていたらしい。

「アリス」

「黙れ」

 岸の制止も構わず前に出ようとするが、大の大人である岸にしっかりと動きを封じられてかなわない。その腕をナイフで突き刺してしまうまでの考えに至らないほど、アリスは目の前の河童にしか眼中になかった。

「アリスは自分で思っているより、見てもらえている」

 トオノは、少しだけ唇の端を歪めるような顔つきを作ってみせた。

 騙されていた――まず頭に浮かんだのは逼迫した懸念だった。

 擬態準位デミの河童が人間の姿のまま形成体を維持し続けた記録は存在しない。そうなった場合、どこまでの意識や思考が発露するのかも当然未知の領域だ。

 トオノは幼い子供の像をしている。所作や挙動、言葉遣いもそれに準じたものでしかなかった。

 だがそれは外見に表れるものでしかない。擬態した像に準じた思考に終始する――はずはなかった。未知の情報の蓄積された〈ディスク〉を核に形成された意識が、そんな程度でとどまっているわけがなかったのだ。

 この河童は、この小さな体躯の中で、およそ人間には想像もつかないような思考を続けている。それを表層化させることなく、あくまで子供のふりをしたまま。

 トオノは顔をくしゃっと歪めて、普段通りの顔つきへと戻る。

「北村くんも、小林くんも、岸くんも、笠井くんも、みんな、きちんとアリスを見ている」

「えー、俺らくん付けなの? トオノちゃん」

 茶々を入れつつ、北村は素早くアリスの手の中からナイフを奪い取る。

「大丈夫だよ、アリス。アリスを見てくれる人は一人じゃない」

「お前に――」

 岸の身体ごと、アリスは一歩前に出る。それほどまでの激昂だった。

「なにがッ――」

「わかるよ。アリスは、わたしの大切な人だから」

 やめろと、黙れと叫びたかった。叫ぶべきだった。

 だが愚直にも正面からアリスを見据えるその目に、アリスの意識は吸い込まれていってしまった。

「俺たちは金のために動くビジネスチームだ。だけどそのためには、良好な人間関係が不可欠でしょ?」

 北村が笑って、アリスから奪ったナイフをもとの場所に置く。

「いや、北村と仲良くしたい人はいないと思うけど……」

 小林が至極真っ当な意見を言うと、岸がアリスを解放する。

「一応、俺たちもお前のことは気にかけてはいる。お嬢様のご学友としても、同じチームの同僚としても」

「やめて――」

「残念だけど、もう遅すぎる。俺たちは長い間一緒に過ごしすぎた」

 小林がそう言って夕食の用意のために立ち上がる。

「北村、今日はなに獲ってきたの」

「ヌートリア。肉食いたかったからさー」

 北村健一。特定外来生物及び要注意外来生物を無認可で目に入ったものから殺戮しながら日本中を旅して回る生活を送っていた男。

 防除の認可も取らず、ただ「スカッとしたかったから」という理由だけで命を奪い続けた人間に、地域住民は当然おぞましい以外の感情を抱かなかった。

 たとえ地域の生態系を乱す特定外来生物だとしても、普通の人間は生命を奪うことに強い抵抗を覚える。

 そして北村は、それを楽しんだ。

 ガビチョウをボウガンの的にし、ブラックバスを干物にして湖畔を埋め尽くし、生きたアライグマを頭陀袋に詰め込んで車道の真ん中に放置した。

 通報されそうになる頃合いを見計らって、北村は別の土地に移動し、同じことを繰り返した。

 しかし全国津々浦々を行脚して回った結果いよいよ逃げ場がなくなり、警察に厄介になる前に彼の身柄を確保したのがカッパクリーンセンターだった。

 北村としても身を隠せる組織は都合がよかった。それに加えて、カッパクリーンセンターの表向きの業務は害虫害獣駆除である。北村は野で培った生物を殺すための技術を、ここで最大限に活用することができる。カッパ製薬には北村の蛮行を駆除行為だと偽装してしまうだけの力があった。

 そうして北村が持ち帰った死体を、小林が調理する。最初は北村の無茶苦茶な殺し方に料理人として小林が真っ向からぶつかり、互いに罵詈雑言をぶつけ合った結果、今ではこうして気心の知れた猟師と料理人のごとき関係に落ち着いている。北村も小林の料理を食べて存外感じ入った部分もあったらしく、小林が調理する分には新鮮かつ清潔な食材を提供することに努めるようになっていた。

「あたしは、違う」

 そうはならない。なってはならない。

 アリスは沙羅しか見てはいけない。沙羅だけがアリスを見てくれるから。

「アリス、ねえ、笑って」

 アリスは店を飛び出した。トオノを殴ることすらできず、おめおめと逃げ去った。

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