懲罰ではなく
アリスはトオノと並んで、空き家の前に置かれたカッパクリーンセンターの立て看板の横に突っ立っていた。
道行く人間が怪訝な目を向けてすぐに逸らすのはいつもと同じ。ただその後、聞こえないように「可哀想に」と呟く。
派手な格好をした姉と、ろくに着る者すら与えられない妹。そんなふうに二人は見られていた。トオノは擬態した時に形成される襤褸のような衣服しか身に着けていない。
イライラしながら、アリスは空き家の中からここまで聞こえてくる、北村の楽しそうな歓声に辟易していた。
久しぶりに、真っ当な懲罰の仕事だった。相手は
そのメンバーに、アリスは普段から入っていない。役割はいつもこうして立て看板の横で近づく住人を威嚇することだった。
つまりは新たに防除班預かりになったトオノもメンバーの勘定には入っておらず、こうして外で待機させられている。
「終わった。撤収するぞ」
インカムからそう笠井の声が響く。アリスは愛想なく返事をして、立て看板を持ち上げ、移動用のバンへと放り込む。
ぞろぞろと空き家から出てきた面々は、外見用に防護マスクをつけ直している。素早くバンへと乗り込み、小林の運転で現場を離れる。
「ふぃー、これで金がもらえるんだから楽しくてたまらないっすわー」
「お前だけだ。それは」
バンの後部座席に座る北村と岸がいつもと同じやりとりを交わす。アリスとトオノはその座席のさらに後ろ、荷台部分に取りつけた簡素な座席に座っている。
「でも
全員が押し黙る。
トオノ――〈コープス〉と
そのために開発されたCCCドライバーなのだから、これは当然である。
だがその圧倒的なまでの殺戮に、防除班のメンバーは誰もが少なからず恐怖していた。
迂闊に射程圏にまで踏み込めば巻き込まれる――そして、トオノもまた河童であるという事実に、みな口に出さないまでも大きな懸念を抱いていた。
いくら詫び証文を書かされたと言っても、所詮河童は河童。人間に擬態しているだけの化け物であることに変わりはない。
アリスは気付かれないよう、スマートフォンから片目を上げて、じっとこちらを見ているトオノの顔を窺う。瞬間、トオノの顔がぱっと輝き、強引に目を合わせようと前のめりになる。
「小林サン、ショッピングモールの近くで止めて」
カッパ製薬と覇を競うように、この町にも全国展開している大型ショッピングモールが最近できていた。
「買い物?」
「そんなとこっす」
アリスは防護服を素早く脱ぎ捨て、荷台に置きっぱなしにしてある私服に着替える。前の席の連中も慣れたもので、特に萎縮することもなく、ただ後ろを見ないように努めている。
車が止まると、アリスはトオノの腕を引っ掴んで荷台から降りた。これには全員が慌てて振り返るが、アリスはひらひらと手を振ってショッピングモールの敷地内に入っていく。
「アリス……?」
きょとんとした顔で、トオノがこちらを見上げている。
気に食わない。
沙羅からCCCドライバーを奪ったことが許せない。知ったような顔をしてアリスに取り入ろうとしてくるのが鬱陶しい。そしてこうしてアリスから手を差し伸べると、困惑してしまう愚鈍さが無性に気に食わない。
「服、買うぞ」
「服……?」
「そうだよ。お前と並んでるこっちの身にもなれや。そんな襤褸着て隣に立たれてると、あたしが悪者みてーな目で見られんじゃねーか」
それだけだ。それ以上の理由はない。さっさとすませてさっさと帰る。
「人間が多いの、少し、怖い……」
トオノはおそるおそる、アリスの手を取った。
音が出そうになるまで歯を軋ませながら、アリスは振りほどこうとはしなかった。人混みに巻き込まれて離れられると面倒だから――握りつぶさんばかりの強さでトオノの手を掴むと、トオノは満面の笑顔を見せた。
休日の田舎町のショッピングモールはそれなりに混む。とはいえ有り余った土地をふんだんに使用したフロア面積に対し、集まってくる人口の比率は高くない。すし詰めのような惨状には決してならないようにあらかじめ概算されているのだろうか。
フロアガイドを覗き込み、普段行くことのない子供服売り場を探す。専門店はわかりにくいのでショッピングモール会社の直営売り場に目を走らせる。
三階のおもちゃ売り場の横。トオノの手を引っ張ってエスカレーターへと向かう。
道々、すれ違う人たちの視線が痛い。
こんなことは初めてだった。
アリスは自身を触れてはならぬ相手として可視化した。それゆえにアリスに注がれる視線は、いつだって不審と嫌悪のこもったものだった。
当然のことであったし、望んで選んだことだった。だから痛みなど覚えたこともない。むしろ自分の表面をなぞっていくだけの薄っぺらい軽蔑の視線を心地よくすら感じていた。お前たちのほうが、よっぽど馬鹿だ――心中でそう嘲笑いながら、アリスは糊塗した己を誇示してきた。
だが、なぜだ。トオノの手を取りショッピングモールを突っ切っていくアリスに向けられる視線が、肌を焦がすまでに痛くてたまらない。
襤褸を着たトオノ。アリスに引っ張られるままについてくるトオノ。困惑と人の多さで不安げに目を泳がせ続けるトオノ。
邪魔で仕方がない。すぐにでも手を離して蹴り飛ばしたい。だけどそんなことをすれば、今よりももっと痛みを覚えることもわかっている。
沙羅はアリスを見てくれた。
トオノはアリスしか見えていない。
だから、トオノと一緒にいることで、アリスは他者から見られてしまう。
見るな。見るな。あたしを見ていいのは沙羅だけなんだ――。
エスカレーターに横並びになって、三階まで上がる。子供服売り場は下着売り場の奥。アリスは依然無言のまま下着売り場の中を横断する。
やっと子供服売り場にたどり着いたものの、アリスは自分が子供というものをろくに知らないことに気付く。
まず、子供の背丈の幅は広い。目安となるべき年齢も、トオノは単に人間に擬態しているだけであるからわからないし、目算できるだけの勘もアリスは持ち合わせていない。
店員に訊ねるのだけは避けたかった。この取り合わせを見て不審を抱かない者がいないのはここまでの道程でいやというほど味わったし、それをごまかすだけの口のうまさが自分にないことも知っている。
仕方なしにアリスは目に入った服をトオノの身体の前に合わせ、おおよそのサイズを測ることを繰り返した。試着させるにはトオノの格好はあまりに不潔であったから、一発勝負になるだろうとアリスは慎重に子供服を選び続けた。
電子マネーで会計をすませ、ぎっしりと服の詰まったビニール袋を抱えて、空いているほうの手でトオノを手を掴んで足早にショッピングモールの出口を目指す。
「アリス?」
息が、止まった。
専門店街の立ち並ぶ吹き抜けの通りから、沙羅がこちらに歩いてくる。
「痛っ――」
アリスの手を握るトオノの手に、凄まじい力がこもっている。思わず沙羅から目を逸らしてトオノを見下ろすと、怯えたようにアリスの背中へと隠れている。
「どうしたの、二人で。買い物?」
やっと取り戻せた呼吸は浅く荒い。沙羅は見ればすぐにわかるようなことをわざわざ訊ねたりはしない。
穏やかな笑みを浮かべる沙羅。その笑顔にアリスの心中は自己崩壊を始める。アリスが――沙羅のために全てをなげうつと決めたはずのアリスが、河童などと一緒に買い物をしている。
そのあまりにも重大な過ちに気付かされ、アリスは今すぐにでも己の首を掻き切りたい気分だった。
なぜ――沙羅に見られていることが苦しくてたまらない。ただ一人、アリスを見てくれる存在のはずのアリスに見られて、どうしてこんなにも震えが止まらない。
「違う――」
「なにが?」
きょとんと首を傾げ、相も変わらずの笑顔。やめて――やめてくれ。そんな目であたしを見ないで――。
「アリスを、いじめないで」
トオノが声と身体を震わせながら、アリスの前に躍り出た。
「ええっと、なにを言ってるのかしら?」
困ったように笑って、沙羅はトオノの手を握ろうと腕を伸ばす。
トオノは短く悲鳴を上げて、アリスの身体に抱きつく。だが、後ろには退かない。
「それで――買い物はすんだのよね? ごめんなさい、呼び止めてしまって。じゃあまたね。アリス」
沙羅はトオノの頭の上に手を置いて、優しく撫でる。髪の毛に隠れている皿が、ひび割れるような音を上げていた。
「トオノも」
沙羅は最後まで笑顔のまま、ショッピングモールの雑踏の中に消えていった。
水中から顔を出したように、大きく息を吐く。ぜいぜいと自分の耳でもはっきりわかるほど懸命に呼吸を思い出し、その場に倒れ込んでしまいそうになるのをぐっとこらえる。
「アリス――」
トオノがまだ焦点の合っていないアリスの目を覗き込んでくる。
アリスはその顔面を、思いきり蹴り抜いた。
「ふざけんな――」
地面に仰向けに倒れたトオノを、さらに何度も踏みつける。
「ふざけんなよおい河童がッ! テメーになにがわかるってんだ! 知ったような口を利いてんじゃねえ! 沙羅が――沙羅が! あたしを!」
悲鳴が上がり、買い物客の数人がアリスを止めに入る。
アリスはずっと譫言のように、沙羅の名前を呼び続けていた。
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