Look at me
沙羅だけだ。沙羅だけが、アリスを見てくれる。
だから――アリスは自分を見上げているトオノの視線から逃れるように、背中を向けてスマートフォンを操作する。
沙羅にまたメッセージを送る。奇抜なディティールをした猫のキャラクターのスタンプを送る。少しでも気を引けたらと見た目のインパクトだけでスタンプを購入することなどしょっちゅうだ。
返信はこないし、既読にもならない。もともと沙羅はあまりスマートフォンにはかまけない。一週間経って既読になっていれば運がいいほうだ。
トオノは軽やかに足音を鳴らしながら、アリスの正面へと回り込む。なにを言うわけでもないが、ただこちらをじっと見上げてくる。なにがしたいんだか――。
「兵頭、トオノの話を聞いてやれ」
岸がいい加減見かねたとばかりにそう口を出す。
「あ?」
計算した威圧のための声。基本的に砕けた敬語のやりとりだが、時折こうして近寄りがたい空気を出しておかなければつけ込まれる。
「話したいことがあるんだろう。だがどう切り出せばいいのかわかっていない――いや、そうした人間の子供の挙動を模しているのか」
わかってるじゃんよ、とアリスは一笑に付す。
こいつは所詮人間に擬態しただけの河童だ。
人間のふりはするし、できるだろう。その精度も、間違いなく上がってきている。最初は無表情でぽつぽつとしか話さなかったトオノは今や、ころころと表情を変えて感情豊かに自分の言葉を伝えてくる。
小林や北村はそれに合わせてやっているが、アリスまでそれに応じる必要はない。
人間への擬態をがんばっているだけ。正体はただの〈
「なぜトオノが人間の真似をすると思う?」
「河童の学問の話っすか」
「違うよ。俺はこれでも人の親だったことがある」
舌打ちをしようとしたが、そんなリアクションを無意識に憚ってしまう。
岸が表の世界から消された以上、その家族の顛末など聞くまでもないだろう。
「きたねぇっすよ」
「使えるものはなんでも使うさ。失うものはとうになくなったからな」
それはトオノのために身体を張るという意味ではなく、とっくに捨て鉢になり果て、自身の過去も思い出さえも切り売りできるという自嘲であった。
「トオノはお前に自分を見てほしいんだ。擬態したからではなく、トオノ自身の意思として」
岸のその言葉に嘲弄の意図はない。ただ素朴に、トオノの言動を観察し、自身の経験則とすり合わせて導き出された結論。
――がんばるから。
トオノはなぜ人間の真似事に精を出す。最初からアリスに付きまとって、沙羅との詫び証文でアリスを守ると約定を交わし、自分の身体などかえりみずにアリスを守り続けている。
目が合った。
アリスを見上げるトオノの丸っこい目。視線がぶつかるとそれはさらに大きく広がり、何事か言おうとしようとあちこちに泳ぎながら、決してアリスを見逃さない。
「――やめろ」
沙羅だけだ。沙羅だけが――。
「アリス、あのね」
そんな目で見るな。まるで沙羅と同じ目で――。
「わたしね、アリスのこと、好き、だから」
言うが早いが、トオノは駆け足で二階へと駆け上がっていく。
「あたしを――見やがった」
スマートフォンが鳴動。沙羅から同じスタンプでの返信がきていた。
普段なら小躍りしだすはずなのに、アリスはなぜかスマートフォンを床に叩きつけていた。
「沙羅――」
「兵頭、お前、あのお嬢様と二人で、なにを隠している」
感づかれて当然ではあった。アリスはこれまで防除班のメンバーが知りえない情報を秘匿し、沙羅とのつながりがすでに明らかになっている。まさか今までアリスの口から滑りでただけの情報だけが、アリスの持っている秘密だとは思わない。
「言ったら、マジで殺されっから」
「脅されているのか」
岸がやにわに身を乗り出したのを、アリスは情けのない笑みで受け流す。
「岸サンたちに――っすよ」
懲罰停止の理由は防除班には明かされていないが、実態は単純で悪質な理由である。
〈
カッパ製薬は〈
その真意は防除班には明かされていない。河童の本質が〈
だがそんなことは、聡明な岸ならばもう気付いている。現にそんなことで殺しはしないと、岸は不服そうに眉を顰めている。
だがアリスと沙羅の関係の実態を知れば、目の色を変えて殺しにくるだろう。
生きたいがために人生を捨てた者と。
生きていきたいがために人生を奉げた者。
二人はずっと、同じ釜の罪を貪っている。
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