向かう先は3階。2年4組の教室だ。

 『羊たちの沈黙』に挟まっていた紙の問題は、背景の黒地と黄色い文字がヒントになっていた。復讐、逆襲、帰還。それぞれ『スター・ウォーズ』のサブタイトルだ。

 『エピソード3:シスの復讐』『エピソード5:帝国の逆襲』『エピソード6:ジェダイの帰還』。

 そして『攻撃の希望』とはそれぞれ『エピソード2:クローンの攻撃』と『エピソード4:新たなる希望』を表している。つまり『2の4』になるということだ。

 上級生の階は自分たちの階とはわずかに匂いや空気が違うような気がする。別の学校に迷い込んだような心地だ。下級生の善に物珍しそうな目を向けてくる2年生たちに臆することなく、彼は4組の教室を目指した。

 堂々と扉を開け放って突撃した2年4組には、先客がいた。

「美影さん?」

 善たちの教室よりも雑然とした配置で机と椅子が広がっている教室の真ん中辺りに、1人の女子生徒が立っていた。

 すらりとして背が高く、ブレザーの代わりに黒いパーカーを羽織っている。黒の中に所々鮮やかな青いメッシュが入った髪は、左サイドだけが長い独特のスタイル。そして両耳と唇には見ているだけで痛そうな太いピアスが開いていた。

 零課の先輩である桐生美影だった。

「善か」

 美影は加えていた棒キャンディを口から離し、少しだけ眉を動かした。一見すれば不機嫌に見える目つきであるが、これが彼女の平常。いつだって美影はつまらないものでも見るような、訝しむような目つきをしていた。

「何でお前がここに?」

 どうやら美影は丁度帰るところだったらしく、学校指定ではないエナメル製のリュックサックを背負って、入り口に突っ立っていた善のところまで近寄ってきた。

「さっき電話した件です」

「電話した件」

 美影は眉をひそめ、棒付きキャンディーを口に戻す。唇の先で白い棒をふらふらと動かして、首を傾げた。

「何の話か分からん」

「え?」

「何の話か分からんが、あれが関係してそうだな」

 目線だけで示す先は、教室の黒板。丁寧に水拭きされているらしい鏡面のようなそれに、やはりこれまでと同じ手書きの文字が記してあった。

『RING → 17・9・14・7

 JUON → 10・20・15・14 

 17・15・15・6 → ????』

 またしても謎めいたメッセージ。暗号だ。

「次はあれか……」

 善はぽつりと呟く。そんな彼の肩を軽く叩いて、美影は言った。

「義務教育レベルの暗号だ。いや、暗号までもいかないな」

 それだけを残して彼女は教室を出て行く。すたすたと振り返りもせずに廊下の角を曲がり、青メッシュの入った頭はたちまち見えなくなった。

 善は彼女の態度に違和感を覚えながらも、黒板の前に立って改めて暗号を眺めた。

 『リング』に『呪怨』。その前は『羊たちの沈黙』と『スター・ウォーズ』。善にはこの一連の事件に誰が関わっているのか、段々と分かりつつあった。

 手近にあった机に尻を載せ、くいっと両手でメガネの位置を直す。それから鳥の巣同然の天パ頭をわしわしと搔いた。覇気のない顔でぼーっと黒板の文字を眺める。視界の中に文字列をゆるりと漂わせながら考える。

 義務教育レベルの暗号、と美影は言った。それだけ簡単だと言うことだ。

 アルファベットの文字数と矢印の先に示されている数字の区切りは同じだ。『RING』の『N』の字は『14』、『JUON』の『N』の字も『14』。

 一定の法則性を閃いた。

 閃きに手綱を引かれるがまま、善は頭の中にABCの歌を流す。同時にAから数字に当てはめていく。結び目のほぐれた糸を解くように、答えは真っ直ぐに繋がった。

 数字はそれぞれアルファベットが『A』から数えて何番目かを表している。それさえ分かってしまえばもう暗号でも何でもない。

 導き出される単語は『ROOF』。次の目的地は屋上だ。


 2年4組の教室がある3階から更に3階分上がって、6階。生徒の立ち入りが原則禁止されている屋上も、零課の学生証があれば関係ない。

 扉の横にある読み取り機に自分の学生証をかざして解錠し、善は屋上への扉を開けた。

 6月の空は日が長い。屋上を囲う背の低いフェンスの向こうに、雲の少ない青空がまだ余裕をもって居座っている。

 バスケットボールの試合くらいならば問題なくできてしまいそうな広い屋上に、彼は新しい手掛かりを探す。黒板に書き記されていた暗号の解法に間違いはないはずだ。次に来るべきは屋上であっている。しかし空っぽの空間にそれらしきメッセージの姿はなかった。

「……」

 頭のもじゃもじゃを風に吹かれながら、正面を扇形に眺め渡す。と、背後に物音を聞いた。振り返って物音の主を確かめると、彼は呆れたような苦笑いを浮かべて言った。

「……やっぱりね」

「あれ? ばれてた?」

 頭を搔きながらこちらに近付いて来たのは、海原千歳だった。首元に黄緑色のリボンをぶら下げ、千歳はへらへらと笑っていた。

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