③
文響高校生徒会執行部第零課警備委員会。通称、零課。
校内の治安を守り、諸問題を解決する生徒会直属の組織だ。零課は通常の委員会などとは違い公にメンバーを募集していない。だから全校生徒のほとんどがメンバーはおろか、存在すら知らない。知っているのはごく一部。当事者たちと生徒会執行部役員、各委員会長など。全校生徒の2%もいない。時に強引な手を使い、時に校紀を犯して仕事にあたる。そのため、周知されていないのだった。
昼休みの千歳の話を、善は面白半分微笑ましさ半分で聞いていた。当然だ。自分がその学生証の所有者なのだから。千歳の目は空想ロマンを語る少年のように輝いていた。変に否定したり無下に扱ったりしなかったのは、彼女の夢を壊したくないという思いからだった。
海原千歳が言っていた『黒い学生証』というのは、彼らが持つ学生証のことだ。しかし彼女の語った情報は正確ではない。
1つ、学生証は黒くない。一般の生徒と見た目はほとんど同じだ。真っ黒な学生証など人目を引いて仕方がなく、存在を隠している意味がなくなってしまう。唯一違うのは、枠の部分が薄く灰色がかかっていること。それが特殊な学生証の証しである。
1つ、権限に誤りがある。生徒の処遇に対する裁量権は与えられてないし、自由に使える予算もない。ただし他の権限は大方正しい。学食は三年間無料だし、基本的に学内のあらゆる部屋の扉を解錠する権限を持っている。授業に出なくても成績に響くことはない。
1つ、特殊な学生証を持っているのは何も零課のメンバーだけではない。執行部役員や各委員長も同じモノを持っている。
零課の定員は各学年3人ずつの9人プラス生徒会長の計10人。増えることも減ることもない。不動の10人だ。
その内の一人に内定しかけているのが1年3組35番の御子柴善。
内定しかけている、のであって善はまだ研修段階。正式なメンバーではない。近々行われるという最終審査に合格すれば、晴れて零課の仲間入りを果たせる。それまでは研修生というわけだった。
再度効力を試す意味で黒い学生証の方を図書館のゲートにかざしてみると、案の定有効だった。ピコーンと音を立ててゲートが開いた。
文響高校の図書館は学生証認証方式で、駅の改札のような機械に学生証をタッチさせることで入館が可能だ。主に部外者の立ち入りや資料の不正な持ち出しの抑止するため、また生徒の図書館利用状況をデータとして収集するために導入されていた。
相変わらず本物同然の働きを見せる偽物の学生証に感心しつつ、善は入ってすぐの扇形の階段を降りていく。無数の書架が大都会のビル然と並ぶ一階フロアの端に資料検索用のPCを見つけ、近付いていった。
検索機を前にして、善は黒い学生証に同封されていたメッセージカードを読み直す。
「図書館にある『知人の靴紐たち』を読め。正しい順番で読むことが大切だ」
果たしてこの手紙の主は何をしたいのか。本当に千歳が言うところの秘密組織が存在するのか。零課とは別に、この黒い学生証を持って集まる組織が。
善はPC画面の検索窓に『ちじんのくつひもたち』と打ち込み、検索ボタンを押した。
何もヒットしない。検索結果は0件だった。
首を傾げて画面を見つめ、善は別の読み方で入力してみる。
「……しりびとのくつひもたち、と」
やはり何もヒットしない。データベースは無慈悲に「0件」という結果を突き付けた。しりじんのくつひも、ちじんのかひも、しりびとのくつひも。思いつく限りの読み方で入力してみたが結果は同じ。最後の方にはデータベースが憎らしくなった。
善は検索機での検索を諦め、別の方法を採ることにした。
踵を返し、今度は入り口を入ってすぐ脇にある総合カウンターに向かう。半円状のカウンターに詰めている図書委員のうち、生徒対応をしていない1人を見つけて近寄っていく。
清楚な雰囲気のある女子生徒だった。胸元のネームプレートには「松城円」と書いてある。
思わず見つめてしまっていると、松代円は善の気配に気がついて「あひっ」と奇妙な悲鳴を上げた。
「あっ……す、すみませんっ。ぼーっとしてました」
慌てた様子でカウンターに広げていた勉強道具を片付け、松城は背筋を伸ばした。ブレザーの襟元についた学年バッヂは赤色。善と同じ1年生だ。
「こちらこそすみません。驚かす気はなかった」
「いえ……そんな。それで、どうしました?」
「探している本があるんだけど」
「は、はい。探してる本ですね。タイトルか作者名はわかりますか?」
「タイトルは『知人の靴紐たち』。作者は分からない。探せる?」
「ちじんのくつひもたち、ですか?」
松城はメモをしていた左手のペンを止める。
「うん。知る人の知人に、靴の紐。たちはひらがな」
「『痴人の愛』の『痴人』ではないってことですね」
「そうだね。さっき検索機で探したけど出てこなかったんだ」
「なるほどなるほど」
うーん、と松城はペンの尻を口元に押しつけて考え込んだ。しかしすぐに首を左右に振った。細い黒髪が踊るように揺れた。
「ごめんなさい、松城には心当たりないです……」
「そっか。わかった。ありがとう」
礼を言って善はカウンターを離れる。
検索機で探しても図書委員に聞いても見つからない本。善はもう一度例の文章を読んだ。
「図書館にある『知人の靴紐たち』を読め。正しい順番で読むことが大切だ」
「……正しい順番で読むことが大切だ」
そこで閃いた。
「アナグラムか」
文章の文字を入れ替えて別の文章を作り出す言葉遊び。『知人の靴紐たち』を「正しい順番で読むことが大切だ」ということだ。善はてっきり『知人の靴紐たち』はシリーズ物で、一巻から順に読まなくてはいけない、ということかと思っていた。
『知人の靴紐たち』『ちじんのくつひもたち』『くつひものちじんたち』
図書館のカウンターに背を向けたまま考えること十数秒。答えが頭の中に弾けた。
「『羊たちの沈黙』か」
映画が有名だが、原作は小説だ。図書館に置いている可能性はある。メッセージカードをポケットに入れ、善はくるりと踵を返す。そして再び松城円がいるカウンターへ、若干小走りで近付いていった。
「松城さん」
「は、はひ!?」
またしても同じ生徒から声を掛けられたことに驚いたらしく、松城は肩を跳ねさせて目を見開いた。
「『羊たちの沈黙』はある?」
「と、トマス・ハリスの?」
「アンソニー・ホプキンスとジョディ・フォスター主演で映画化されたやつ」
「あ、ありますよ。案内します」
松代がカウンターの向こうから出てくる。
閑散とした一階フロアの奥まった所が外国小説のコーナーだった。松城はこの図書館にある本は全て熟知していますと宣言するような確かな足取りで善を案内した。
「トマス・ハリス、トマス・ハリス……ありました」
差し出された1冊を受け取る。映画と同じく口元に蛾を重ねた人の顔が表紙になっている。書架に置かれているのはその一冊だけらしかった。
「ありがとう」
礼を言うと、松城もぺこりと頭を下げてカウンターの方へ戻っていった。
この本に何かヒントがあるのだろうか。500ページ近い厚さの本を上げ下げして、まさか通読しなければならないのか、と不安になる。善はあまり本を読む方ではない。『羊たちの沈黙』は1日2日で読み抜ける文量ではなかった。
しかし適当に開いたページに挟まっていた紙を見て、そんな不安はすぐに消えた。
「なんだ?」
紙を抜き取って、本を棚に戻す。2つ折りの紙を開いてみると、黒地に横書きされた黄色い文字が目に入った。どこか既視感を覚えるデザインだ。
「復讐=3、逆襲=5、帰還=6のとき、『攻撃の希望』は何を表す?」
先ほどの暗号的なアナグラムとは違って、今度は直接的な謎かけだった。
それぞれの文字数を数えてみるが合わない。英語に直してみても合わない。法則性を探してみても、まるで見当がつかなかった。
けれども背景の黒地と横書きになった黄色文字に焦点を当てた瞬間、頭に白い閃光が走った。
紙をポケットに入れ、入り口へ向かう。次に行くべき場所が分かったのだ。
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