6限の授業が終わり、クラスメートたちは三々五々部活へと散っていく。一方で帰宅部の御子柴善はこれにて1日が終了となり、部活に行く生徒たちの流れに逆らって昇降口へ向かった。 

 海原千歳も知らない間に教室からいなくなっていた。彼女も善と同じく帰宅部だったが、放課後に慌ただしく教室を出て行くことが時々あった。

 将校に辿り着き、善はいつものように下駄箱の扉を開けた。

 そしてローファーを取り出そうとして中を覗き込み、見つけた。

 真っ黒い封筒である。

 善はローファーの代わりにそれを取りだした。頭が、昼休みにした千歳との会話に巻き戻る。選ばれた生徒だけが入ることが出来る秘密組織。真っ黒い封筒に入った招待状。

 驚きと不審の両方を抱きながら、軽く封筒を振ってみる。中に何か硬いものが入っているような音がした。封筒をひっくり返すと裏側には白い文字で『1年3組35番 御子柴善様』と手書きで記されていた。メリハリの効いた達筆だった。

 周囲を覗う。誰もいない。部活に向かう生徒や、他の帰宅する生徒は誰も善のことを見ていない。彼は封筒をブレザーのポケットに入れ、下駄箱を離れて近場のトイレに向かった。

 個室に入りそっと鍵を閉める。ポケットから取りだした封筒を開き、彼は中身を自分の手のひらに滑らせた。

 黒いカードと短い白のメッセージカードが1枚ずつ。カードの方が噂の黒い学生証なのだろう。確かに千歳が言っていた通り全面黒で、チタン製かどうかは知らないが、堅い。指で弾いてみると普通の学生証とは違う、響きのある音がした。通常配布されているのはプラスチック製で、ある程度はしなりが効くやわらかさだ。図書館の入退室などに必要なICチップが埋め込まれているので曲げるのは推奨されていないが。

 表にはやはり千歳が言ったとおり銀の文字で『文響高等学校 Rules and Liberty』と刻印されている。三本のペンが組み合わさった校章も描かれている。名前は空欄だ。これから組織の人間と顔を合わせた後に入れられるのかもしれない。

「手が込んでるなあ」

 思わず笑いが漏れる。本物にせよ偽物にせよわざわざここまでのモノを用意するのは容易ではないはずだ。

 善は次に、同封されていたメッセージカードの方の手書きの文字にも目を落とした。

「図書館にある『知人の靴紐たち』を読め。正てい順番で読むことが大切だ」

 二度見した。

「図書館にある『知人の靴紐たち』を読め。正しい順番で読むことが大切だ」

 よく見れば、「正てい」と読めた単語は「正しい」と書いてあった。「し」の字の書き出しが外側に跳ねすぎていて、さらりと流して読んだだけでは「て」の字に見えてしまったのだった。独特な字だな、と善は思った。そして同時に既視感を覚えた。

 メッセージの内容はそれだけだ。

 この文章が何を意味しているのかは分からない。千歳が言うところには、同封されている手紙には隠し部屋のパスワードが記されているということだ。無意味な一文というわけではないだろう。

「図書館にある『知人の靴紐たち』」

 本のタイトルだろうか。「正しい順番」というのは巻数か何かを表しているのか。善は首を捻ってみたがすぐに見当が付かなかった。実際に図書館に行ってみるのが一番だと思った。

 トイレを出た善は、しかし真っ直ぐ図書館には向かわず、学食の方へ足を向けた。図書館に向かう前に確かめたいことがあった。

 放課後の学食は人影もまばらだ。昼休みの戦争めいた騒がしさは、その気配すらない。遊園地のアトラクション並みの行列が出来る券売機の前も案の定、今はディスプレイを暗くした機械がぽつんと佇むだけだ。

 券売機の前に立つと、センサが反応してパッと画面が明るくなる。飼い主の帰宅を喜ぶ犬のようだった。

 文響高校の学食の仕組みは簡単だ。券売機にずらりと表示された豊富なメニューの中から適当に食べたいメニューを選び、現金か学生証にチャージされている電子マネーで支払いをする。そして発券された食券をカウンターにいるおばちゃんかおじちゃんにわたすだけ。

善はディスプレイのパネルを適当にタッチし、フランクフルトとコーラフロートで迷った結果、後者を選択した。金額投入の画面に遷移すると、彼は例の黒い学生証を取りだした。

 黒い学生証は学食が3年間無料。その噂を確かめたかった。

 発光する読み取り部に学生証をかざす。従来であればここで画面の右端に、学生証にチャージされている金額が表示される。

「投入金額:*円」

 しかし何も表示されない。「0」すらもだ。ところが購入は問題なく完了し、機械がぺろりと食券を吐き出した。

「……本物、だ」

 思わず声が漏れた。少しだけ動揺した。善は震える手で食券を摘んだ。じっくり眺めてみたが、間違いなく本物の食券だった。

 カウンターの向こうにいるおばちゃんに券を渡すと、10秒ほどでバニラアイスの浮いたコーラが出てきた。それを持って近くの席に座った。

 バニラアイスがグラスの中でコーラに溶けていく。ぶくぶくと泡立てて膜を張りながら、徐々に半球が傾いていく。

 ありえない。こんなことは。

 コーラフロートを半分ほど飲み終えたところで、善はポケットからスマホを取りだした。

 ある人物に電話を掛けようとして、今朝方、その人から電話番号の変更連絡があったのを思い出した。電話帳に登録してあるのは古い電話番号だ。

 新しい番号に電話を押す。

 どこか遠くに感じる発信音を聴きながら、もじゃもじゃ頭を搔く。いつもなら相手は3コール以内に出るはずなのに、今日は6コール経っても出ない。掛け直そうかと思ったところで、

『──もしもし』

「あ、もしもし。美影さん? 御子柴です」

『ああ、桐生だ。どうした』

 電話の向こうから聞こえてくるのは、低い女の人の声。平坦で、淡々とした喋り方。善が最近何かとお世話になっている、1学年上の桐生美影だった。

「先ほど僕の下駄箱に黒い学生証が入ってました。モノは校内で流れてる噂の通りです。黒地に銀文字の刻印でチタン製」

『……悪戯じゃないのか?』

「悪戯だと思ったんですが、学食の券売機で使えました」

『本物だったのか』

「ええ、おそらく」

『そうか』

「ありえます?」

 問いに少しの沈黙があった。やがて美影は平坦な口ぶりで言った。

『ありえないだろう。本物は私たちが使っているんだから』

「そうですよね。とりあえず手紙が同封されていて何やら指示も書かれているので、それに従ってみます」

「ああ。何かあったらまた連絡しろ」

「わかりました」

 電話が切れた。

 善はコーラフロートの残りを飲み干し、食器を下げる。それから再び券売機の前に立ち、今度は自分の学生証を読み取り機にかざした。プラスチック製の、普通の、学生証。

「投入金額:*円」

 金額は表示されない。そのまま先ほどコーラフロートとの二択で迷ったフランクフルトのパネルをタッチする。食券がぺろりと吐き出される。

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