久しぶりに下北沢の劇団に顔を出し、リーダーに挨拶をした。その後坂下の通りでタクシーを拾い、次の予定がある赤坂に向かった。

 俳優1本で生活を始めてから2年、大学を中退してから5年が過ぎた。

 僕の芸能人生は多少の波はあれども基本的には順調だった。大きく広げた帆一杯に風を受け、大海原を快調に航海していた。

 朝ドラの脇役がきっかけで仕事が増え、舞台やドラマで何度か主役を経験した。若手俳優を特集するバラエティに出て以来、バラエティ番組の仕事も時々やった。マネージャーが預かる僕のスケジュール帳はビッシリとうまっていた。休日は月に4日あれば万々歳だ。時には寝る間もないくらい忙しいこともある。けれども僕はそんな日々が楽しいと思えた。

 そして先月、映画で初主演をやることが決まった。

 真波青鷹の小説が原作の、恋愛映画だ。今日は赤坂のスタジオで他のキャストや制作陣、そして原作者との顔合わせがある。

 真波青鷹は赤藤真奈美だった。

 あれから真波青鷹について調べ、彼女の著作を読み漁った。

 彼女は女優という道での挫折で味わった怒りと哀しみをキーボードに叩きつけ、『怒りを砕け』を書き上げた。それが高い評価を得た。2作目も売れ、3作目も売れ、あっという間に売れっ子作家の道を駆け上がり、20代から30代の女性を中心に一大ブームを巻き起こした。

 赤藤さんは僕が憧れた作家の道を邁進し、今ではどこの本屋に行っても文芸コーナーには彼女のペンネームを記したカードが用意されている。

 赤藤さんに役者の才能はなかった。けれども小説家の才能があった。

 僕には小説家の才能はなかった。けれども役者の才能があった。

 僕らは互いに自分の才能に気がつかず、そちらに背を向けて歩いていた。夢から遠ざかっているとも知らずに。あの日の修羅場が僕たちを正しい方向を教えてくれた。いや、正しいのかどうかは分からない。僕らの夢は変わってしまったのだから。ひょっとするとあのまま遠い夢を追いかけていた方が僕らは幸せだったのかも知れない。今となっては分からない。僕は役者の道に進んだことは正解だと思っているし、赤藤さんもきっと作家になったことを正解だと思っている。確証はないが、彼女の作品を読んでいるとそう思う。

 才能は理不尽だ。

 どこに眠っているのか自分では気がつかない。教えてくれる人もそういない。そのせいでやりたいことと才能とが食い違い、僕たちは苦しむ。極一握りの運のいい人だけが、自分のやりたいことと才能とを一致させることが出来る。そういう人は大成する。大成しないはずがない。

 赤藤さんのことを知ってから日々、人生や才能について考える。僕のこの短い20数年間で確信を持って言えるのは、どんな人にも何らかの才能が眠っている、ということだ。ただしそれが自分の夢と一致しているとは限らない。野球選手になれなかった大原さんや、作家になれなかった僕や、女優になれなかった赤藤さんのように。

 だが何らかの才能があることは確かだ。俳優になった大原さんや僕、作家になった赤藤さんのように。

 人生とは自分の才能を発掘する旅なのかも知れない。だからいろんなことを経験しなくてはならない。辛いことも楽しいことも。興味があることもないことも。得意なことも苦手なことも。そうやって多くの経験を積んでいく中で自分の才能とやりたいこととを摺り合わせていくのだろう。

 スマホが鳴った。マネージャーからアプリでメッセージが届いた。

『今どこ?』

『あと10分くらいで着きます』

 そう返事をしてアプリを閉じ、スマホをポケットを戻そうとして、僕はふともう1度アプリを開いた。過去のトークを遡り、6年近く前のトークを呼び起こす。だいぶ下の方に眠っていた。相次いだアップデートで履歴が消えていないことが救いだった。

 6年前。まだ作家を目指していた僕が、まだ女優を目指していただろう赤藤さんに送ったメッセージ。

『久しぶり。最近話せてないね。赤藤さんが僕を避けてるのは分かってる。だけど僕は赤藤さんに避けられたくない。今まで通り仲良くしたい。仲直りをしたい。今度お茶かご飯にでも行こうよ。おごるからさ。食べたいものがあったら教えて』

『既読』のアイコンがついたまま、会話はそこで終わっている。以来6年間僕は赤藤さんとやり取りをしていない。

 顔合わせ相手に原作者もいる、と聞いたときは驚いた。

 真波が僕を指名したのだという。映画化にあたって真波が提示した条件は「主人公役は相沢祐介」にすること。たったそれだけだった。その条件さえ満たされれば後は好きにやってくれと言ったそうだ。

 真波青鷹は、赤藤真奈美はなぜ僕を指名したのだろう。

 オファーを受けて最初に抱いたのは恐怖だった。

 相手は6年前に喧嘩別れした友人だ。正直、僕は会うのが怖かった。怖くないはずがなかった。ある意味で彼女の人生を壊してしまったのは僕なのだから。

 勿論、大人としてビジネスライクに接する事は簡単だろう。ただ、それは本当に僕と赤藤さんとの友情が砂粒1つ残さずに散り消えてしまったことを意味するのだ。

 けれどもマネージャーから作品のタイトルを聞いて、怖さは消えた。

 映画化される真波青鷹の小説は『ミルクレープを奢れ』。

 これはきっと赤藤さんからの、6年越しの返答なのだと思う。

 恐怖はあるしかつてないほど緊張するし、目的地が近付くにつれて心臓の鼓動は早まっていく。だがそれ以上に赤藤さんと仲直り出来ることへの期待が大きい。

 いや、まだ仲直り出来るかはわからない。ただ、仲直りする機会は与えられた。そう考えている。

 鞄の中には下北沢のケーキ屋で買ったミルクレープが入っている。彼女の好物だったミルクレープだ。仲直りの印に彼女が所望しているものだ。

 赤藤さんに会ったら真っ先にこれを渡す。それから何て言おう。謝るのは違うと思うし、慰めるのも違う。何がいいだろう。

 タクシーはやがて赤坂の街中に入っていく。窓外を都心の高層ビル群が流れていく。僕はそんな風景を眺めながら、6年ぶりに会う友人への言葉を考えている。

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