体育館での開会式が終わって教室に戻ってきても真美は登校していなかった。

 時刻は9時半。1年C組の初回講演まで残り1時間半。私はそわそわが抑えきれなくなって教室中をウロウロと歩き回った。何度か真美に連絡を入れたが電話は繋がらず、メッセージは既読状態にすらならなかった。

 5分ほど経ってから担任が教室にやってきた。汗を拭き拭きクラスを見渡し、全員の期待の眼差しにむかって首を横に振った。おまけに予想もしていなかったことを言った。

「矢崎はどうやら昨日家に帰っていないそうだ。親御さんには『友達の家に泊まる』という連絡を入れていたらしい。立花。何か知らないか」

 みんなの眼差しが私を向く。知ってるわけがない。私は全力で首を横に振った。

 クラスが大騒ぎになる。

 主役がまさかの失踪。最悪の事態だった。動転動揺てんやわんやのところへ、安藤さんが一声発した。

「みんな、落ち着いて」

 さすがは鬼の演劇部長。よく通る鋭い声がみんなの動揺を一斉に射貫いてその場に張りつける。

「矢崎さんが家にいないということは、もしかしたら学校にいる可能性もある。手分けして探そう。大道具班と役者班は1階、小道具班と照明班は2階、美術班とメイク班は3階。脚本班と衣装班は4階と5階」

「はーい!」

 鶴の一声でクラスメートたちは教室から散っていく。

「立花さんは待って」

 と、安藤さんは私だけを呼び止めた。

「うぇ?」

「立花さんは矢崎さんが行きそうな場所を当たってみて。彼女の行動についてはあなたが一番知っていると思うから」

「ほいきた」

 安藤さんの目はさすがだ。何ていったって真美の一番の親友は私なのだから。もしも真美がまだ学校にいるならば私が真っ先に見つけてみせる。私は友情に誓って意気込んだ。


 見つからなかった。

 真美が行きそうな場所はあらかた探した。図書室や、彼女が所属している文芸部の部室、5階東階段の踊り場、とか。あとはここ3ヶ月真美がこっそり一人で劇の練習をするときに使っていた1階西廊下の階段裏。ただしここは文化祭実行委員会が備品置き場に使っていてとても人が入れるような状況にはなっていなかった。念のため、と思って折りたたみ机やパイプ椅子の隙間を覗き込んでみたが、果たしてそこには誰もいない。胸もお尻もぺったんこな真美だけれども流石に数センチの隙間に入れるほど貧相ではないようだ。

 探しながらも真美の携帯に連絡を入れ続けた。相変わらず無愛想な呼び出し音が響くばばかりで真美の声は一向に聞こえてこない。「オカケニナッタデンワワ」という真美よりも酷い棒読みはもう聞き飽きた。イライラが境地に達して携帯を地面にぶん投げてやりたかったけどやめておいた。今度壊したら保証対象外になるので修理代がかかってしまう。

 そんなことより。いったいどこに行ったのよ。

「んもうっ! 真美っ」

 廊下を早歩きしながら叫ぶと、行き交う人がぎょっとして私を見た。制服姿の他、私服姿の老若男女の姿がある。いつもよりも賑わいのある廊下の真ん中で私は思わず足を止めた。スマホを取りだして時間を確認する。

 時刻は10時。文化祭が一般客を迎え入れ始めて、そして、開演まで残り1時間を切った。非常にまずい。焦りによって嫌な汗が絞り出される。

 だめ押しでもう1回電話をしよう。そう思ってスマホを握り直したその時だった。

 高らかに『ライディーン』のメロディが鳴った。私のスマホだ。着信音だ。

「まみっ」

 疾風迅雷の指捌きで通話ボタンをタップする。ところが電話口から聞こえてきたのは太い男の声だった。心臓を掴まれたような心地がして、緊張する。

「……俺だ」

「誰!? 真美をどこにやったの? 目的は何っ?」

「いや、待てよ。俺だよ。田村だよ」

 クラスメートの男子だった。

「なんだ。田村くんか。どうしたの?」

「矢崎が見つかった」

 

 真美は教室の真ん中で椅子にちょこんと腰を下ろし、クラスメートに囲まれていた。相変わらず幸薄そうな雰囲気を醸し出し、青い顔で俯いている。

 すでに教室には大半のクラスメートが戻ってきていた。皆、真美が無事に見つかったことを喜んでいるようだった。

「まみっ」

 私はクラスメートの輪の中に割り込んで親友に抱きつく。スベスベもちもちな肌に頬ずりして「まみまみまみ」と1日ぶりの再会を喜んだ。真美は苦しそうな私を押し退ける。親友との再会だというのにあんまりじゃないか。もっと私に頬ずりをさせておくれよ。なおすがろうとする私だったが、安藤さんたちクラスメートに力尽くで引き剥がされた。

「どこで見つかったの? 誰が見つけたの?」

 私は隣に立っていた男子に聞いた。坊主頭の柔道部、鰐淵くんだ。

「体育倉庫だって。見つけたのは知らね。大道具班の誰かじゃね」

「体育倉庫?」

「なんか倒れてたらしいぜ。体育倉庫の中に」

 別の男子がそう教えてくれる。黒くて艶のあるマッシュルームヘア。私が誘拐犯か誰かと勘違いした田村くん。

「体育倉庫に倒れてた?」

「気絶してたとか」

「きぜつ」

 血の気が引いた。みんなに囲まれる真美を見て私はたまらなく不安になる。真美は中学の頃から部活は帰宅部、体育は評定平均2、マラソン大会ではブービー、という超文化系人種だ。身体は人より弱い。現代もやしっ子の筆頭株である。彼女の身に何が起こったのだろう。まさか。

「誰かに殴られたりして……」

 田村くんが囁くように言う。まさに予想していた不穏な真実を言い当てやがって、私は思わず彼の襟首を掴んでしまった。

「ほんと!?」

「ち、ちがちがうって。ごめん。俺の勝手な予想」

「おい田村ー。もし殴られてたら大事だぜ。文化祭どころじゃないって」

 鰐淵くんが田村くんの肩を叩いた。

「そりゃそうだな」

 私の手から放たれた田村くんは咳き込みながらそう返した。

「……矢崎さん」

 安藤さんが真美に向かって重い口を開いた。彼女の鋭い眼が完璧に真美の顔に照準を合わせている。対する真美は俯いてしまっている。安藤さんの目は大口径の拳銃みたいなものだ。気を抜けば精神を砕くような厳しい言葉がズドン。直視出来る人の方が少ない。

「一体何をしていたの。何で体育倉庫にいたの。今日が文化祭初日だって分かってる?」

 鋭くも重量感のある声で安藤さんは真美を詰問する。怒るのは当然だ。クラス全員に心配と迷惑をかけたのだから。いくら親友とは言え否は真美にある。擁護は出来ない。

 ただ怒るのは後だとも思う。今は初回公演に向け、乱れてしまったクラスの気持ちを整え直すときだ。

「まあまあ安藤さん安藤さん」

 私はそこそこ自信のある和ませスマイルを浮かべて2人の間に入り込む。まずは安藤さんに向かって手を揉みながら、

「真美はこうして戻ってきたことだし。ひとまずはよしとしましょうや。無事に初回公演を乗り切ったら後はもう煮るなり焼くなり、ねえ」

 安藤さんの切り返しが飛んでくる前にくるりと背を向けて真美の方を向く。

「さ、真美。よく無事だった、えらい。今はとりあえず集中。初回公演がんばっていこ。3ヶ月頑張ったんだから。その頑張りを無駄にしたら意味ないでしょ?」

 真美は顔を上げて私を見た。潤んだ瞳が何かを訴えているような気がした。そして真美は私の手をぐっと握った。

「まみ?」

 真美は唇を強く引き結んで何かを言おうとしていた。息を吸って、口の中で言葉を整えて、でも唇が開かない。何か言いたいことがあるけど言えない。そんな雰囲気だ。

「大丈夫か、矢崎ー」

 私たちの外から田村くんが朗らかに言った。

「切り換えてこーぜ。大丈夫だよ。まだ余裕があるさ開演まで」

「そーだそーだ。いいこと言うな田村」

「もし記憶なくして台詞ぶっとんでたら一大事だけどな」

「それはやべーよ。洒落にならんて田村」

 田村くんはきっと冗談で言ったと思う。緊張した場の空気を緩めるために、わざと突拍子もないことを口にしたのだ。記憶喪失なんていうジョークを放ったのだ。

 だが真美は田村くんの言葉を聞いてハッと表情を変えた。

「まみ? どうしたの?」

 私はなんだか嫌な予感がして、自分自身も落ち着かせるようにゆっくりと親友に問いかけた。真美は涙目で首を振った。

「なに? 言ってくれなきゃ分からないよ?」

「………って何?」

「何? もうちょっと大きな声で言って?」

「結子、あの」

 結子は私の名前だ。真美の手を握って私は「うん、どうしたの?」と優しく答える。

「劇って、何?」

「はい?」

 真美は震える声でもう一度繰り返す。

「劇って何? 今日、何の日?」

 洒落にならないことが起きた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る