転生事故誘導感染症
今日は月のない晩。
こんな日は、いつもに増して、この小さな診療所には、重篤な患者がやってくる。
「
「はい」
待合室に声をかけると、片腕にギブスをした少年が返事をした。
初診表を見ると、十七歳。ほんの少し、おどおどした感じが見える。
私は、彼を診察室の前の椅子に座らせ、問診を始めた。
「どうなさいました?」
「あの……オレ、最近、トラックを見ると飛び込みそうになるのです」
「なるほど」
私は彼を見る。外見的には、「カッコイイ」と言われなくもない顔つきだが、大きな傷がある。おそらく腕の傷と同時期のものであろう。
「いつからですか?」
「ここ二か月くらいです」
彼は困ったようにうつむいた。
「死にたいって思っているわけじゃありません」
「そのお怪我は?」
「トラックに飛び込みそうになった自分を押さえようとしたら、自転車ごと側溝に落っこちて……」
私は少年を見る。
「それは、がんばりましたね」
にっこり笑いかけると、少年の頬が赤く染まった。
「洋子君」
診察室から、デュークが私に声をかける。
「もういい。入ってもらいなさい」
「しかし、
「いい。私が直接聞く」
「では、谷川さん、こちらへ」
私は、少年を診察室に案内し、問診表をデュークに手渡した。
「ふむ。トラックを見ると飛び込みたくなる。しかし、死にたいわけではない」
デュークは、珍しく聴診器を取り出し、少年の胸に当てる。
「ファンタジーは好きかね?」
「え? ああ、まあ、普通に」
少年は頷いた。
「体に、あざが浮き出たりとかは?」
「怪我をしましたので、ふつうにあざはありますけど」
「ふむ」
デュークは渋い顔をした。
「交通事故にあった夢を見たことは?」
「あります。トラックにはねられた後、変な城で、魔王を倒せって言われて、剣をもらう夢です」
「それはいつくらいに見たのかね?」
「そうですね……二、三か月前くらいからでしょうか。何回も見ています」
デュークはウームと唸った。
「洋子君。血液検査の用意を」
「はい」
私は、頷いて、検査機の
正直、この診療所で、血液検査をすることはめったにない。そもそも、内臓疾患と違って、明確な
しかし、彼のような場合は、違う。
私は、採血した血液を遠心分離する。そして、血清部分を顕微鏡でみるのだ。
「
私は、電子顕微鏡の画像を、デュークのパソコンへと転送した。
血清の中に、明らかに『血液』ではないキラキラとした微粒子が漂っている。
「ああ、いたね。
「なんですか?」
少年は不安げにデュークを見上げた。
「うーん。君の病気は、転生事故誘導感染症というのだが、原因は、この
少年はぶるりと体を震わした。
「安心したまえ。今は、良い駆虫薬が出ている」
少年はほっとしたような笑みを浮かべた。
「ところで、君は、四文字熟語は好きかね?」
とつぜんの質問に、少年は戸惑う。
「聞き方がわるかった」
デュークは手元の問診表をポンと叩く。
「好きな四文字熟語はあるかね?」
「──焼肉定食?」
「君は、大丈夫のようだ。洋子君、彼を例の部屋へ」
私は、谷川を
「これを飲んでください」
私は、コポコポと薬湯を紙カップに注いで渡す。
「あの……先ほどの、四文字熟語って何ですか?」
癖のある味に顔をしかめながら、谷川が私に聞いてきた。
「えっと。病の簡易検査になるのよ」
「ふーん」
私は彼の頭に機械をかぶせ、部屋を出ると、デュークはいつものように、治療を始めた。
「うーん。これはD-ekns54-e83『転生先で唯我独尊』だね」
「あら…
デュークにファイルを渡しながら、私はそう言った。
「幸いだった」
デュークは頷く。処置室のスイッチを入れると、部屋から、青い光がピカピカと明滅し、やがて消えた。
「ところで」
処置室から出た谷川に、デュークが訪ねた。
「君は、何部だね?」
「電子工作部です」
「そうか……電気のない異世界は、
デュークの言葉の意味がいまいちわからない谷川は、頭を下げて、帰っていった。
「今時、好きな四文字熟語で、『焼肉定食』なんて答えるって、面白い子ですわね」
くすりと私が笑うと、デュークが艶っぽい目で私を見上げた。
「私の好きな言葉を教えてあげようか、洋子君」
「いえ、別に、結構ですわ」
とつぜん、デュークが私の前に立ち、その手で私の頬を包む。
「
思わず、のけぞった私を気にも留めずに、距離を詰める。
「
甘いのか甘くないのかよくわからない四文字熟語で、デュークは私を引き寄せる。
チリン
その時、診療所の扉が音を立てた。新しい患者が訪れたらしい。
「仕事です」
私は、あわてて、デュークの手を振りほどいた。
「ああ、残念無念」
デュークがため息をつく。
「ちなみに、洋子君が好きな四文字熟語は何?」
「
私が答えると。
「……洋子君はしばらく私のそばにいてくれそうだ」
デュークはうれしそうに笑った。
※<掌中之珠>最も大切なもの
<比翼連理>情愛が深い。仲が良い
<天下布武>織田信長が用いた言葉。天下統一を意識したもの
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