140 首吊り台から

「まったく、どうしてこんなことになったんだか……」


 ひとりの男が、深い溜息とともに重い言葉を吐きだした。

 周囲には、アルコール特有の臭気が漂っている。

 

「本当になあ。俺は今見てる光景がただの夢であればいい、と思っているよ」


「眼が覚める時期がわかったら教えてくれ。ついでに俺も起こせ」


 ヴァルシパル王都の、とある一角にある酒場である。

 彼らは真昼というのに酒びたりであった。

 彼らだけではない。昼間というのに酒場はなかなかの賑わいを見せている。どんどんと葡萄酒やエールが売れ、酔っ払いたちが右往左往している。繁盛の理由は、ほとんどが現実逃避にあるようであった。

 悪夢だ、とほとんどの国民が現状を認識している。

 まったく、国王が戻ってからのヴァルシパル王国は、すべてが悪夢であった。


 倒すべき仇敵のはずの魔王軍10万が、国王と共に堂々と門から入場してきたのだ。まさに無血開城に等しい展開であった。

 そして国王は、完全に魔族の姿となりはて、彼らの日常もすべてが変化した。

 いまや路上には魔族が堂々と闊歩し、人間は日陰者のような立場に追いやられた。

 魔族は10万もの大軍である。その数の暴力を背景に、かれらは欲しいままにふるまい、乱暴狼藉を行っても、それをとがめだてする者もいない。この城内では、かつての住人と、新たな住人との立場が大きく入れ替わってしまったのだ。

 昼夜問わず、王城から逃げ出す市民が後を絶たない。

 逃げ出しても行くあてすら無い者は、こうして酒場で愚痴をこぼすしか方法がなかった。これまで当然のようにあった現実は、日々のささやかな幸福とともに、どこかへ飛んで逃げて行ったかのように思われた。

 そこへ――


「――邪魔するぞ、酔っ払いども!」


 不意に扉が大きな音とともに開かれ、魔族が酒場に闖入してきた。

 少なからず酒場には魔族に対する不平不満が蓄積していたが、全員呼吸を忘れたかのように押し黙った。彼らに逆らって無事で済むわけもない。支配者が完全に入れ替わってしまったのだ。

 闖入してきた魔族たちは、心配そうに集まる周囲の視線をあざけるようにフン、と笑い飛ばすと、


「安心しろ、貴様らをどうこうするつもりはない。今日は告知にきただけだ」


 彼らは酒場の壁に一枚の羊皮紙を貼り付けると、先を急ぐとばかり、さっさと退場した。扉が閉じると、酒場には安堵感が広がった。 


「いったい何なんだよ、もう――」


「――で、奴らは何を貼っていったんだ?」


 当然のように興味をそそられた酔漢が、羊皮紙のまわりに集まった。

 それにはこうあった。



『告、明日の正午きっかりに、国王への反逆罪で中央広場において絞首刑を執行する。


刑に処される者は以下6名――


○ダー・ヤーケンウッフ


○エクセ=リアン


○コーニリィン・ニルフィン


○ルカディナ・セロン


○クロノトール


○スカーテミス


 尚、この刑に異論を差し挟む物あらば、その者も同様の刑に処されるであろう。


――魔王、ヒエン・ササキ2世』



 息を呑む音ともに、しばしの沈黙があたりを支配した。


「どういうことなんだ。そもそも中央広場で処刑なんて、そんな性質の悪い見世物、歴代の王でやった者がいるか?」


「いや、そんなことより、このクロノトールという名前には覚えがあるぞ、確かザラマの守護女神とかいって勇名を馳せた救国の女戦士だ」


「なぜそんな人物を処刑するんだ。国家の損失だろ」


「今の国王にそんな判断力があるか? 署名にまで魔王と記すような男だぞ」


「このダーという名前にも覚えがある。2、3年前、王宮で国王を批判したとかで騒ぎを起こした亜人だ。追放になったと聞いていたが――」


「なぜそんな昔の罪を、今さら蒸し返したりするんだ?」


「さあな、わからん。とにかく今はわからんことだらけだ。わからんが――ひとつだけわかることがある」


「なんだ?」


「今が、俺が生きてきた中で、最悪の時代だって事だ」


―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―


 さて翌日の昼間には、市民が憩う中央広間には、それまで存在しなかったものが建っていた。急ごしらえとは思われぬ、黒い塗装まで施されている代物だ。

 木製の不気味な建築物――絞首台であった。

 巨大な2本の柱が林立し、その上に横木が乗っている。

 横木には6本の絞縄がぶらさがっており、それがときおり吹く風にうごめく様は、見物に訪れた者の心に暗い影を落とした。

 魔王こと国王ヒエン・ササキ2世は、これまたそれまで存在しなかった臨時の玉座に腰をおろし、葡萄酒で口を湿している。かれはどうやら、この悪趣味な見世物を心から愉しんでいるようであった。

 その隣に並んで、国王とまったく同じようなデザインの玉座に腰を降ろしているのは、魔族の幹部ラートーニだ。どこからか、誰かの舌打ちが聞こえた。彼女がいまや王妃同然の扱いを受けているのは国民のほとんどが承知していることであったが、こうしてそれを目の当たりにさせられると、苦いものが民の間に駆け巡るのである。


 やがて、首輪を付けられて6人のパーティーが広場に引き出されてきた。

 市民から驚きの声があがった。首輪を持った魔族が先導し、その後につづいたのはひとりのドワーフ。ついで現れたのは、女性にも見まごう美しきエルフ。そしてかつて英雄とたたえられた巨体の女戦士。

 さらに3人のうら若き女性たちが引き出されてきた。

 見物人の女性からは悲鳴があがった。泣いている者もいる。

 どうやら処刑されるエルフの麗人は、冒険者の間では有名人であるらしかった。かれと組むのが夢という女性冒険者は数知れないらしい。

 それが今、何の落ち度か、縊り殺されようとしている。

 このようなことが許されるのが、現在の魔都と化したヴァルシパル王国なのである。

 

 彼らの前には、十三段の階段があった。

 そこを昇ると、ステージがあり、絞縄の下に踏み板がある。

 絞縄が彼らの首にかけられ、レバーを引くことにより踏み板が外れる。

 そうして彼らが悶絶し、死に至るまでを見物するのがこのショーの目的なのである。国王の顔には満面の笑みが浮いている。


「ダーよ、死する前に何か言い残すことがあるか? あるならば聞いてやる」


「それはありがたい。ならば――お集まりの諸君に告げたき真実がある。それは我が父ニーダ・ヤーケンウッフと、200年前に英雄王とよばれた祖、ヒエン・ササキとの因縁である」


 ダーは切々と説いた。かつての魔王城で起こった真実を。悲劇を。

 国民に長く語られなかった真実は、確実に聴衆の心を捕らえた。

 誰ひとり野次のひとつもとばさなかった。しわぶきのひとつも漏れぬ。

 ドワーフの語る言葉には真実味があった。彼はふりしぼるかのように言葉を発した。まるでそれを語ることが己の使命であるといわんばかりであった。

 彼が語り終えると、聴衆の間でどよめきが起こった。

 あまりの衝撃的な話の内容に、興奮が抑えられないのだ。


「つまり、このドワーフはその因縁が元で殺されるのか?」


「国王はずっと俺たちを騙しつづけていたんだな!」


「そんな馬鹿な話があるか。こいつは英雄王ではない、盗賊王のまちが――」


 その言葉を発しかけた男は、地上から蒸発するように消滅した。

 国王が指を鳴らしただけで、天空から落雷が発生し、男を消し去ったのだ。


「言葉選びには気をつけるようにな。さて、これでお前の気も晴れたか? 遺言にしてはずいぶん長い科白であったな」


「ワシの真の心残りは、おぬしを倒すことじゃ。無念だが、それはもはや叶わぬようだ。――じゃが伝えるべきことは、みなに伝えることができた。後はワシの意志を継ぐ者が現れることを祈るのみじゃ」


「よし、もういい。処刑人よ、レバーを引け!」


 国王の声が響き、レバーが引かれる寸前――


「ちょっと待った!!」


 大音声が中央広場にひびきわたった。

 それとほぼ同時、処刑人は膝から崩れ落ちるようにして倒れた。

 

「何奴じゃ? この魔王に逆らうとどうなるか知っての諸行か」


「――無論、知ってるわよォ」


「醜い魔王を退治するのが、勇者としてのつとめだぜ」


「ま、ドワーフを助けるのは不本意ですが、魔王退治は勇者の本意ですね」


 3人の異世界勇者が、玉座の前に立ちはだかった。

 

「面倒なことだ。ラートドナ、クレイターはおるか?」

 

 魔王が手を拍つと、ふたりの人物が中央広場に姿をあらわした。

 ひとりは凱魔将ラートドナ。長きに渡り魔王軍を率いていた幹部である。

 もうひとりは凱魔将クレイター。昨日、転移魔法ではるばるダーク・クリスタル・パレスから呼び寄せられた、もっとも前魔王ヨルムドルに近い男として存在感を発揮してきた男である。


「余がみずから相手をする必要もあるまい、おぬしらで片付けい」


「あらあら、それじゃ、私も闘う必要がありますのお?」


 ラートーニが玉座から優雅に立ち上がった。

 3人と3人の視線がぶつかった。

 

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