第十四章

139 魔王の天下

 広い謁見の間には、ひっきりなしに国王の笑い声がこだましていた。

 残った数少ない廷臣たちは眉をひそめたが、彼は頓着するようすもない。 

 まったく、たしかに国王は上機嫌であったに違いない。

 それもそうだろう。彼が魔王軍10万とともに王都へ凱旋してきてからというもの、状況は一変してしまったのだ。ヴァルシパル王国を統べる国王とはいえ、万能ではない。まず戦争ひとつ起こすにしても、諸侯の意志を無碍にするわけにはいかず、幾度となく会議を開く。多大なる信徒を抱え、ヴァルシパルに影響力を持つセンテス教会の意思も無視できない。


 これらすべての協力が得られなければ、先のナハンデル討伐戦のように、国王独力の兵をもって事に当らなければならなくなるのだ。

 当然のことながら、その莫大な戦費はすべて国王が負担せねばならない。武器の調達、騎士や侍従の配備のみならず、すべての兵たちの糧食をまかなうための荷馬車の列が加わる。

 国内には不満が蔓延していた。先のナハンデル戦での出費はかなりの痛手で、出征した兵たちにはまったく恩賞が与えられてはいない。さらに一寸たりとも利益を得ることのできなかった諸侯の怒りたるや、生半可なものではなかった。


 この時期のヒエン・ササキ2世をとりまく環境ほど、苛烈なものはなかったであろう。魔王軍10万は隣国ガイアザを侵攻し、余勢を駆ってヴァルシパル最西端の地、ザラマまで侵攻してきているのだ。

 ヴァルシパル王国にとって最大の危機的状況にもかかわらず、諸侯はそれぞれの領土に留まり、城門を硬く閉ざして外に出ることがなかった。それもこれも、国王がナハンデル攻略戦で彼らの信頼を損なったのが原因ではあるのだが。


 度重なる救援要請にもかかわらず、ろくに援助を得られないザラマはまさに孤立無援の状況であった。ザラマの兵たちと冒険者たちは勇猛果敢であり、幾度となく敵の侵攻をさまたげてきたが、それにも限度がある。国王はみずからの手で、この窮地をのりきる必要があった。

 その窮余の一策が、みごとに成功したのだ。

 これが愉快でなければ、なにが愉快か。 

 

 ヒエン・ササキ2世が先頭に立って、魔王軍10万を率いて王都へ凱旋してきたときの、民草どもの顔ときたら見ものであった。唖然として声もないというやつだ。

 魔王となったヒエン・ササキ2世がまっさきに行った事といえば、まず先の戦で協力を拒んだ諸侯たちの討伐であった。

 王都への通り道にあったビターゼ伯、ヴァンピレル伯などの領土を侵略してやった時の、彼らの蒼白な顔は文字通り滑稽そのものであった。

 

「王、その皮膚の色、そのお姿はいかに?」


「正気を失い、ついに魔に堕したのですか?」


「ふむ。見ても分からぬというのなら、さぞかし脳みそが腐っておるのだろう。ならば諸君の頭脳は不必要である。ただちに首から落として差し上げろ」 


「なっ、まともな裁判もなく、伯爵の首を刎ねろとおっしゃるのですか?」


「もう、そのような取り決めは不要じゃ。王こそが法である」


こうしてふたりの伯爵は国王の足元を紅色で汚し、首のみとなってそれぞれの所領であった大通りの中央に晒されることとなった。彼らは私服を肥やすような悪事を働いたことなどなく、領民の声にもよく耳を傾ける、民衆にとってはよい領主であった。

 その無残な姿を眼にした領民は、多くの者が涙したという。

 そうした人々も、国家反逆をたくらんだ者を崇拝したという罪で、すべて牢にぶちこまれることとなった。無論、諸侯のなかには、反感を露わにするものもあった。だが、魔王軍10万の兵力を背景にした国王に、逆らうことなどできようはずがなかった。

 

 王は変わり果てた姿で王宮へと戻った。彼の身体は完全に魔族のそれであり、その行動のすべてが以前とはちがっていた。「残忍」という言葉が彼のすべてを表現していたであろう。

 廷臣のなかには、勇気あるものもいた。

 かれらはなけなしの勇をふりしぼって諫言したが、国王の返答は、言葉ではなく行動だった。彼らはことごとく袋に包まれた死体となって墓場に埋められた。

 もう、誰も国王に諫言するものなどいなくなった。

 

 誰もが国王を怖れた。

――そう、恐怖政治の幕開けであった。

 

「それで、ナハンデルとジェルポートの攻略の方はどうなっておる」


 国王であり魔王であるヒエン・ササキ2世は、玉座に腰を降ろし、周囲にいる廷臣たちに呼びかけた。

 もうここに残っている廷臣は、国王の意のままにしか行動できないイエスマンのみである。なかには魔族もおり、人族も混じっている。ただし、亜人のみは存在しない。王都にいるドワーフやエルフ、バニー族やハーフハーフ族などの亜人は、すべて追放された。さすがに彼らすべてを処刑してしまっては、腐敗し、疫病が蔓延する恐れがあったからだ。逆に言えば、問題となったのはただその点だけといっていい。

 臣のひとりが平伏して応えた。


「はっ、まずは距離的に近いジェルポートを陥落せしめた後、余勢を駆ってナハンデルへと侵攻する予定です。総大将にはラートドナ様を予定しております」


「迂遠だのう。兵をふたつに分け、一気に片付ける方が容易くはないか」


「しかし兵をふたつに分けるとすれば、もうひとり大将が必要となりますが」 


「ジェルポート方面軍は、余がみずから率いよう。幾度と無く、あの諸悪の根源であるドワーフに協力しおった小生意気な弟のそっ首を刎ねるのも一興よ」


「ですが、次の王位の問題もございます。次期王位継承権を持つ弟君を討っては、国家として――」


「なに、心配には及ばぬ。王位を継ぐのはわが息子に決まっておる」


「しかし、王にはいまだお世継ぎが生まれておりませぬ。このままでは――」


「すぐに新たな世継ぎを誕生させるさ、なあラートーニ?」


「――ええ、魔王様」


 ゆっくりと扉が開かれた。半裸ともいっていい妖艶な姿で宮廷へ現れたのは、凱魔将ラートーニだ。心ある臣下のなかには、ふしだらな格好で王宮を出入りする彼女に反感を抱き、眉をひそめるものもいた。だが、彼女はにっこり艶然と微笑むと、玉座にしなだれかかるように腰をおろした。


「相変わらず美しいことだな、ラートーニ」


「お褒めいただきありがとうございます。それで、ひとつお聞きしたいことがあるのですが」


「なんじゃ、なんでも申してみい」


「いまだ執行してないようですが、あのドワーフの処刑はどうなっていますの?」


「ああ、ただちに始末しようと考えておったのだが、やつめ魔力枯渇とやらで延々と寝こけておってな。さすがに意識の無い状態で奴を始末しても、つまらぬだけじゃ。意識がよみがえった後、ただちに国民のあつまる王都のど真ん中で、縛り首にしてやろうと思うておる」


「まあ、そのような迂遠なことで、逃げられても知りませんわよ」


「ははは、この天地に、どこへ逃げる場所があるというのだ」


 魔王ヒエン・ササキ2世は豪快に笑い飛ばした。


「もはや大陸全土は、この魔王の手中にある。唯一残ったのは未開の地、プロメ=ティウだが、なに、たかだか辺境の地にはびこる野蛮な者どもよ。この国に残った不満分子を一掃したあと、すぐに魔王軍10万の兵で蹂躙してくれよう」

 

 魔王は手を拍った。ただちに臣下のひとりが豪華な飾りつけのされた宝箱を抱えて謁見の間にあらわれ、片膝をついた状態でその箱を開いて見せた。

 なかには色とりどりの美しい光彩を放つ、四つの石が並んでいる。

 四獣神の珠だ。

 魔王の漆黒のような双眸に、光が吸い込まれていく。


「この珠を失った奴に、いったい何ができよう――」

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