138 死刑宣告

 得体の知れぬ笑みを頬に張り付かせ、なおも彼は哄笑していた。

 その男――

 ヴァルシパル王国の現国王であり、その名ジャラガー・マキシミリアン。 

 現在はヒエン・ササキ2世を名乗っている男だ。

 目前で突如として行われた凶行に、誰も唖然たる表情を禁じえぬ。


 魔王軍とザラマ軍の激突は、なおもつづいている。

 周囲は喧騒の巷と化しているというのに、ここだけが刻が停止したのかと思われるようであった。勇者たちは呆然とし、エクセたちもまた微動だにせぬ。また魔王軍幹部たちもしかりである。

 ダーはピクリとも動かず、その束縛から自由なのは、ただ血だまりのなかで倒れている少年を懸命に介抱するウルルのみであった。

 彼女は必死に傷口を押さえているが、そんなことであふれる出血を止めることなどできない。ウルルは途方にくれた目で周囲を見た。その瞳は必死に訴えていた。

 誰か、助けて――と。


「傷口を見せてください――」


 その目にまっさきに反応したのは、ルカであった。

 迅速にふたりの傍らに駆け寄り、血の汚れも気にせずに膝をつく。 

 すぐに治癒の詠唱をはじめるルカ。


「待て。その者を治療するのは、まかりならぬ」


 平然とそう言い放つのは、ヒエン・ササキ2世である。 


「な、なにをおっしゃいますか!! あなたは――」


 抗議の声をあげたルカは息を呑んだ。彼の形相を見て。

 その冷たい瞳は、ひたすら黒かった。あたかも深淵のごとく。

 そこにはおのれが犯した凶行に対する悔恨も、倒れ伏した少年に対する憐憫も、あらゆる感情が欠落していた。まるでふたつの瞳の部分に、漆黒の穴が穿たれているようであった。


「王様よ、俺たちにはさっぱり事情が飲み込めねえ。一体――」


「黙れ」


 ゴウリキの問いを叩き切るように、応えは短かった。

 

「貴様らの放つうるさい雑音のせいで、あのお方の貴重な声を聞き逃してしまったらどうするつもりだ」


「どうしちゃったの、この人。キモいんですけどォ」


「尋常な様子ではないですねえ」


 他のふたりの勇者も、異様な国王の様子に、ただ疑問を口にするばかりである。対する国王はそのような彼らの感情などおかまいなしに、天空へとその両腕を広げ、叫んだ。

 

「邪にして大いなる暗黒の神、ハーデラよ! 我が名はヒエン・ササキ2世である。かつて勇者から魔王へと転身を遂げた、かの偉大なるヒエン・ササキの血を受け継ぐもの。ご覧あれ! かつて先祖がそうしたが如く、先代魔王は我が手により滅びた。どうか、どうか我に魔王の力を授けたまえ!」


 異様な沈黙があたりを包んだ。

 それは先程までの戸惑いの沈黙ではない。

 彼らは、ここで叫んでいる男は、彼らの知っていた、ヴァルシパル王国を統治する王という存在ではないということがハッキリと理解できたからだ。

――この人物は、もはやひとりの狂人なのだ。

 その事実が冷たい刃となって、一同の背筋を走りぬけた。


「この男は狂乱したのか、人間の身で魔王になど――」


 と語ったラートドナの発言はもっともなことだ。

 常識の範疇においては。

 だが、誰が知ろう。この男の先祖はそれを成した唯一の男なのだということを。

 やがて。地の底を揺るがすかのような、不気味な鳴動が一同の足元をつつんだ。不気味な声が人々の脳内に響きわたった。その声は嘲弄するかのようでもあり、また、どことなくおもしろがっているような様子でもあった。


――可なり。その者、魔王として認めよう――


 その声を聞いて、歓喜の声をあげたのは、目の前の狂人であった。

 

「おおっ、感謝いたしまする! この新魔王ヒエン・ササキ2世、流血と肉塊をもって忠誠を誓います!」


 一同の声が驚愕にふるえた。

 見る間に国王の姿が変貌を遂げはじめる。その白き肌はみるみる蒼ざめていき、その耳輪は左右へするどく尖っていく。もはや誰がどう見ても、立派な魔族であった。

 魔族――いや魔王と化したササキ2世こと、元ヴァルシパル国王はくるりと背後を顧みた。そこに立っているのは事の成り行きを理解できぬ男、悪に堕したケンジ・ヤマダだった。


「さあ、その手にある杖を、私に差し出すがよい」


 彼はいま混乱の真っ只中にあった。それも無理はないだろう。

 最愛の彼女と思っていたラートーニが招き寄せたのはこの男で――この男はヴァルシパル国王で――そして新たなる魔王だという。あまりの事態の急変に、脳がついていかない。

 呆然としているうち、ヒエン2世はいつの間にか彼に背を向けていた。我に返ると、握っていたはずの杖が彼の手元から消失していた。

 その杖は暗い輝きを発しながらヒエンの手に収まっている。


「ま、待て、それはボクの杖だ――」


 新魔王は一顧だにしなかった。ただ手を横に払っただけだ。

 それだけでヤマダの身体は、豪快に後方へと弾き飛ばされていた。


「勇者の武器のなくなった異世界勇者など、もはや単なる人間に過ぎぬ。殺されたくなければそこで黙って震えておれ」


 ヤマダはその発言をほぼ聞いていなかった。他の勇者たちと違い、武道を嗜んでいない彼は受身というものができない。もろに背中から地面にたたきつけられ、痛みで悶絶していたのだ。

 ラートーニはその様子を横目で眺めている。

 かつてなら、あわてて助けに向かったであろうに。


「あらあらヤッマダ君、フラれちゃったのねェ」


 哀れみをこめた眼でケイコMAXがつぶやく。

 

「いや、最初からただ利用されていただけかもしれないぜ」


「まあ、どちらにせよ、いい気味ですね」


 とかつての仲間も冷ややかな目でヤマダを見つめている。

 そんなやりとりのうちに、一同は思わず国王へと――元だが――眼をやった。

 深淵のごとき深く黒い双眸が、彼らをじっと眺めていた。


「旗幟を鮮明にするがいい」


「はあ?」


「我につくか、背くか、ここで選べ」


 そう断言されて、一同は戸惑いの表情を浮かべた。

 魔王の部下になる勇者など、どこの世界でも聞いたことが無い。


「汝らの戸惑いはもっとも。だが、もはやすべては終ったのだ」


「な、何が終ったというのよォ?」


「魔王軍は、新魔王であるこのヒエン・ササキ2世の配下となった。そして、もとよりヴァルシパル王国は私の領土である。つまり、テヌフタート大陸の統一は成ったのだ。つまり――我こそが、新たなる魔王にして、この世界の支配者となったのだ!」


 その場にいる全員がその意味を理解し、青ざめた。

 詭弁めいているが、理屈の上ではそういうことになる。

 ヒエン・ササキ2世は一同の顔を一瞥しながらつぶやいた。


「さあ、この場で旗幟を鮮明にしてもらおう。汝らは、私の敵か、味方か?」


「あ、姉上――私はどうすれば……?」


 おずおずといった口調で、ラートドナが姉に尋ねた。

 

「新魔王様に従いなさい。それが私たち魔族の宿命よ」


「――ウソツキ!! この大嘘つき!!」


 と、眼を涙で汚しながら噛み付いたのはウルルである。


「ラートーニ! あなた、イルンさまに忠誠を尽くすといったじゃない。それなのに卑怯にも裏切りの手引きをするなんて、許せない!!」


 ラートーニはふう、と吐息をついて、子供にいいきかせるような優しい口調でこういった。


「いい、ウルル。私はね、あくまで面白い方につくの」


「あ、姉上――?」


 これには実の弟であるラートドナもぎょっとしたようだ。俺は今まで、ひたすら敬愛してきた姉の何を見てきたのか。そういう驚きが両眼に宿っている。

 その敬愛する姉は、彼をじっと見つめ返した。

 ラートドナはしばしの逡巡のののち、答えを出した。


「……わかり申した。わが魔王軍10万。新魔王ヒエン・ササキ2世様に忠誠を誓います」


「よし、よく申した。信じておったぞ」


 もっともらしく頷くササキ2世。これで少なくとも、魔王軍は彼の支配下に納まったのだ。新魔王は芝居がかった動作で、杖の先端をラートドナの肩に置いた。

 ラートドナは片膝をついて恭順の意を示した。彼はふたたび愉悦に満ちた笑い声をあげた。完全に己の立場に陶酔しているようであった。

 彼はさらに杖の先端をふるい、ある人物を指し示した。


「そこに倒れ伏しているドワーフを縛り上げろ! 天下統一の記念として、この私にさんざん歯向かってきた男、ダー・ヤーケンウッフを処刑し、その地と肉をハーデラ様に捧げる!!」

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