110 狂王の試練
諸侯の顔には、もはや国王に対する敬愛や、畏敬の念などは一切浮かんでいなかった。言葉には出さない。だが居並んだその表情には、ひとつ残らずある言葉が刻まれている。
「――国王はついに乱心めされたか」
そうとしか表現できない。ここで使者を斬って得るものは何か。
ナハンデル軍の怨嗟のみではない。ここに居並ぶ諸侯にも、明日はわが身ではないかという無用の猜疑心を抱かせるだけであろう。
人の心を失った国王に、従うものなどいるだろうか。
諸侯はたがいに目配せをした。これ以上、この遠征で得るものなど何もない。
彼らはいっせいに踵を返し、自らの愛馬の上へと飛び乗った。
「どこへ行く、会議はまだ途中であるぞ」
「残念ですが、もう我々には語るべき事柄などひとつもありませぬ。領地へ戻らせてもらいます」
「戻られよ。貴公ら、まさか主に逆らう気ではあるまいな」
「先ほど、レネロス卿が面白いことを言っておりましたな。君、君たらざれば、臣、臣たらず。まさに我ら、その心境でござるよ」
「うぬ、敵の言を用いてまで我を侮辱するか。どうなるか、わかっておるのか」
「それはそっくり、王へお返ししましょう。我らが兵を引いた後もなお戦争を継続させられるか。よくお考えになるように」
国王軍6万の大軍は、諸侯の兵を糾合した総数にすぎない。実質、ヴァルシパル王がみずから率いてきた兵は、1万を数えるのみである。
表向きの戦力としてはナハンデル側と拮抗しているが、ヴァルシパル側は開戦後、ほぼ一方的に敗北を重ねている。実数はすでに逆転していると見るべきであろう。
「国王を失えば、ヴァルシパルが崩壊するぞ。そんなことも分からぬか」
「ここでヴァルシパル軍同士が牙を剥きあい、潰しあえば、結果は同じことになりましょう。愛すべき領民を護るのが、われら貴族の本分ですからな」
「おのれ貴公ら。許さぬぞ、決して! のちのちみずからのとった行動を後悔するでないぞ!」
諸侯は無言だった。もはや議論もなりたたぬ相手と会話をかわしている余裕はない。それぞれがそれぞれの部下へと、ほぼ同時に退却の号令を発した。
もうもうたる砂煙が彼らをつつんだ。それはあたかも、ひとつの巨大な人馬のかたまりが馬首をめぐらして移動するかのようであった。こうしてヴァルシパル王国軍5万が帰途へとつき、戦場へ残るはわずか1万の兵のみとなった。
「おのれ恩知らずどもが。こうなれば、我が軍のみでナハンデル軍を始末してくれよう」
「――お言葉ながら、それは不可能かと存じまする」
部下のひとりが、王の勘気に触れることを承知で、あえて諫めた。
「不可能とは何事か。ほぼ兵力は五分。負けを怖れて戦いができるか」
「ひとつ、ここは敵地であります。地の利は向こうにあり。そして我が方はすでに幾度か敗北を重ね、勢いもあちらの方にあります。さらに頼みの綱である異世界勇者、ミキモト殿が敗北した今、わが方に切り札が存在いたしませぬ」
「異世界勇者はひとりではあるまい。ゴウリキはどうした」
「お忘れになりましたか。かの者はガイアザからの援軍要請を受けて、ザラマへ向かったはずです。残念ながら救援は間に合いませんでしたが、国土防衛のため、大いにその力を役立ててくれるでしょう」
「それはよい、他の連中は何をしておるか」
「ケイコMAXどのは依然、消息不明。その足跡はようとして知れません。ケンジ・ヤマダどのは魔王軍の幹部のひとりとなられた由。つまり、この地に援軍として駆けつける者はだれひとりとしておりませぬ」
王は癇癪を起こし、地図などを乗せている机に拳を叩きつけた。2度、3度、さすがに皮膚が破れ、血がしたたり落ちる。これを見た部下たちはあわてて背後から王を抱きとめ、その行為を制止する。
重臣たちも、困惑の表情を隠せない。国王のこれほどまでの狂態を、彼らは見たことがなかったのだ。
「ええい、大至急、ミキモトを呼び戻してまいれ」
「それは可能ですが、何をなさるおつもりですか」
「もはや、あやつには任せておれぬ。私がみずから異世界勇者の武器をふるい、目の前の敵を蹴散らしてくれよう」
もはや、敢えて諫言をおこなうものなどいなかった。馬が用意され、ミキモトのもとに伝令が走った。その言を受けて、ミキモトが承知するはずもない。
「何を言っているのですか。いくら尊敬する国王の命といえど、従うわけにはいかないですね」
「さすれば、とりあえず陣へとお戻りください。我らでは、とても説得はかないませぬ」
と、使者も辟易とした表情を浮かべている。先ほどまでミキモトと会話をかわしていたダーたちにも、自然とその会話は耳に入ってしまっていた。
どうやら国王は、完全にどうにかしてしまったらしい。
ちょうどヴァルシパル軍の挙動を注視していた矢先である。ほぼ主力が退却してしまったのは、この位置からでも充分に見通すことができた。
「さて、こうなってしまったからには、我らはどう動くべきであろうな」
「もう、叩き潰して楽にしてあげようよ」
と、コニンはかなり物騒な発言をした。もとは下級貴族の娘であり、王家に対する忠誠心はある程度叩き込まれて育てられてきたのだが、彼女はここまで、ダーたちと苦楽をともにしてきたのだ。
ナハンデルに至るまで、執拗にさんざん追い掛け回されてきた恨みは忘れていない。
「叩き潰すのはさすがにまずいでしょう。あれでも国家の最重要人物。魔王軍と戦ってもらうために、半死半生でやめておかなくては」
「ルカよ、今日はいつになく毒舌じゃのう」
と、ダーもいささかふたりの様子に驚きの表情を隠せない。
いつもそういう物騒な発言はダーの役回りなのだ。
「しかし、エクセよ、国王がそのような状態では、もはや話し合いなどできまい。敵側が命を懸けてまでこの戦争に望むのであれば、ナハンデルも戦うしか選択肢はないのではないか」
エクセはしばし黙し、なにやら考えている様子だったが、やがて雲間から陽光が差しこんだかのような笑顔をダーへと向けた。そして、ちょいちょいとダーを手招きすると、かれの耳元へ唇を寄せて、なにやら小声で言葉を注ぎこんでいる。やがてダーも破顔し、
「そいつはいい、妙案じゃわい」
と、豪快に笑った。さっそくダーは、コニンを招き寄せ、小声で同じ話をふると、彼女もおかしげに笑い始めた。興味深げに寄ってきたルカ、クロノも同様である。
呆然としているのは、敵の使者とミキモトであった。
「――それじゃ、さっそく話をしてくるね」
と、コニンはまだ笑みを浮かべたまま、すぐさま馬上の人になり、ナハンデル陣営へと馬首をめぐらした。訝しげな表情を浮かべたままのミキモトは、腕を組んでなにやら考えこんでいる様子である。
「ミキモトどの、おぬし、今戻るとその武器は取りあげられてしまうぞ」
「そんなことは、わかっていますね」
「ならばどうする。おぬしさえよければ、ナハンデルに来ても構わぬ。ワシが領主どのに話を通しておくぞ」
「敵の情けは受けない……といいたいところですがね……」
ミキモトも、自分の前途に限りなく不安を抱いている様子である。
もうひと押しかの、と思ったダーは、ぼそっと一言を付け加えた。
「ナハンデルは、女性も綺麗どころが多いぞ――」
「そこまで言われては仕方ありませんね、同行しましょう」
かくしてスカーテミスにミキモトを加えた6人は、ナハンデル陣営へと去った。戻った使者にその報告を受けて、怒り心頭なのはむろん、ヴァルシパル国王である。
ただちに全軍総突撃を命じたが、部下がそれに従うはずもない。
なにしろ異世界勇者の武器を持つものまでが敵にくだっては、兵力でさえ遅れをとっている相手に勝てる見込みなど皆無ではないか。
陣中でそのようなドタバタ劇を繰り広げている真っ最中のことであった。ひとりの騎士が、ある報告をひっさげて国王の前で頭を下げた。
「――敵が、消滅いたしました」
「なに、どういうことだ」
「こちらの混乱に乗じて敵は一兵残らず退却し、敵陣はもぬけの殻です」
「なに、ふざけおって! ただちに全軍、追撃体勢に入れ!」
「ここは敵地です。退却は明らかな罠。決して深追いは禁物かと――」
「ええい。うるさい、珠を、珠を奪取してまいれ――!」
かくして敵味方すべてが撤収してしまった戦場には、ただひとつ、ぽつねんとヴァルシパル国王軍のみが残されることとなった。
戦場にとりのこされた騎士たちは、たがいに気まずそうに肩をすくめ、無人となったナハンデル側の土塁を見つめている。ヴァルシパル陣地には虚しく、国王の怒声のみがとどろいている。
誰がこのような結末を予期しただろうか。
こうしてヴァルシパル、ナハンデルの決戦は、ひたすら尻すぼみの決着に終ったのであった。
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