111 ザラマ再び

「――来ないのう」


「――来ませんね」


「――来ないね」


 べつべつの口から、同じ内容の言葉が立て続けに流れた。

 疾走する1万の騎馬軍団がある。

 会話は、その最後尾を走る一隊、ダーを含めた『フェニックス』の一団が発したものだ。彼らはナハンデル軍の殿しんがりであり、敵の追撃があれば、まっさきに攻撃を受ける危険度の高い任務についている。

 退却の際には、もっとも強い部隊が殿をつとめるのは、半ば決まりごとのようなものであり、責任は重大であった。だが、現時点で、国王軍の影は視認できない。

 敵は追撃を断念したと見るべきだろう。

 

「よかった。国王にもわずかな思慮分別はあったようじゃ」


 ダーが安堵の吐息をもらすと、馬上から銀色の髪をたなびかせたエルフは、「どうでしょう」と小首をかしげた。


「国王が、というより、周囲の側近の思慮分別ではないでしょうか」


「むう、仮にそうだとすれば、国王はなぜあんなにおかしくなってしまったのじゃ」


「いろいろと推測はできるのですが、どれも決定打に欠けますね」


 まず国王のおかしなところといえば、四獣神の珠への異常なまでの執念である。さらにそれを取り巻く状況も異常であった。本来であるならば、それぞれの珠は朱雀、玄武、水龍、白虎の大神殿に納められ、決して外部へと持ち出すことはかなわないはずなのだ。

 ところが、ダーたちが珠を受け取った場所は、フルカ村であり、ジェルポートであり、ナハンデルであった。そういう異常な事態になってしまっているのは何故か。

 エクセはずっと、それは魔王軍からの防衛策のためと思っていた。しかし違和感があった。このことと現国王の異常さは、何かつながりがあるのかもしれない。

 そのことを口に出してダーたちに伝えると、彼らも思うところがあったようで、


「確かにおかしな話じゃ。珠に秘められし力はまことに強力じゃが、国王の執着ぶりは異常の一言につきる。そもそもの話、なにゆえこの珠の位置を隠さねばならなかったのか」


「魔王軍の手から逃れさせるための手段だったとか」


「しかし、転移魔法の技術は最近になって、ようやく安定してきたような印象を受ける。昔からのものではない。ない技術を前提に防衛策を考えるものがいるじゃろうか」


「誰か事情にくわしい人がいればいいのにね」

 

「ジェルポートの公爵は、現国王の血のつながった弟。なにか識っている可能性は高いと思いますが……」


 直接会って、真実を聞き出したいが、それは状況が許さない。

 手紙でも出してみるしか方法はないだろう。いずれ問題に結論が出るであろうことを期待して、彼らはその話題を打ち切った。

 それよりも、ザラマへと侵攻しつつある魔王軍はどうなっているだろう。

 ダーは、かつての仲間たちの安否を気遣い、空を見上げた。



―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*



 魔王軍10万の大軍は、怒涛のいきおいをもってガイアザを離れ、ザラマへと向かっていた。この大軍団の総帥をつとめるのはラートドナといった。

 凱魔将のひとりであり、かつてケンジ・ヤマダと組んで、ダーたちを苦しめた魔族の女ラートーニ。その血をわけた実の弟でもある。

 身長は2メートルを超えており、筋骨隆々たるその巨躯は、乗っている馬が押しつぶされてしまいそうなほどだ。妖艶なラートーニとは似ても似つかぬ。

 彼は10万の軍勢を背景に、ザラマの市壁の前へと、その堂々たる体躯をさらしていた。


 ザラマ側は息を呑むようにして、その大軍を市壁の上から眺めている。

 市壁のなかの兵は増員したとはいえ、わずか1万程度であり、10万の大軍相手にどれだけ持ちこたえられるかは未知数である。

 そんなザラマの町へ向かい、ラートドナは大音声で呼ばわった。


「ここに異世界勇者がいると聞いた! ひとつ、俺と手合わせ願いたい!」


 その声に対する答えは、沈黙だった。

 さらに声をはりあげようと、大きく息を吸ったラートドナの目前の門が、大きな軋み音をたてて開かれた。そこから、ひとりの男が吐き出される。


「待たせたな、そういうのは大歓迎だぜ」


 真紅の甲冑に身をつつんだ男がひとり、ラートドナのもとへと歩み寄った。

 精悍な顔つきであり、その両手に琥珀色に輝くガントレットが、彼が何者かを如実に物語っていた。


「おまえは異世界勇者か」


「そうだ、タケシ・ゴウリキってんだぜ。よろしくな、魔王軍の」


「カッカッカ、こちらも名乗ろう。俺の名はラートドナ。この10万の軍の総帥をつとめている」


「その総帥とやらが一騎打ちなんてハチャメチャなことをやっていいのか? 負けたら軍を率いるものがいなくなるんじゃないのか」


「カッカッカ、問題ない。勝つからな」


 ラートドナの言葉は簡潔だったが、自信に満ちていた。

 敗北を知らない男の言葉であった。

「そうかよ」と短く切るようにいったゴウリキの顔に、太い笑みが浮いている。言葉より拳で語るタイプなんだろうと見たのだ。

 彼はガントレットをガンガンと打ち鳴らし、臨戦態勢に入った。

 ラートドナも笑みを浮かべている。彼がゆっくりと鞍から降りると、馬は苦痛から開放されたかのように、にわかに元気になって後方へと駆けていった。

 続いてラートドナは、掌を虚空へと突き出した。不審げにゴウリキがそれを見つめているうちに、さっと従者らしき男たちが後方よりあらわれ、彼の得物をうやうやしくさしだした。

 大きく重量感に満ちたそれは、鉄の塊のように見えた。

 グレートソード。特注で造らせた巨大な剣であり、その長さと重さは、チーム『フェニックス』クロノトールの所有するバスタード・ソードをはるかにしのぐ。

 

 こんな重そうなものを振り回せるのか?

 ゴウリキは小首をかしげたが、心配は無用だった。彼は片手で軽々とそれを手にもつと、2、3回素振りをした。すさまじい勢いで風が舞い、砂塵が散った。おそるべき怪力といえた。


「カッカッカ。さあ、さっそくやろうじゃないか」


 舌なめずりしそうな顔で、ラートドナが言った。


「そうだな、なかなか闘い甲斐がありそうな相手だ。楽しみだぜ」


 ふたりの間に見えざる電流が流れた。

 どちらも微動だにしなくなった。

 仕掛ける瞬間が到来するのを待っているかのように、ふたりは睨みあっている。

 長い時間が流れたかのようであり、実は一瞬でしかなかったかもしれない。

 どちらかが、ふっと吐息を漏らした。

――どちらが?

 見守る10万の魔王軍も、市壁の上で見下ろすザラマ兵も、それはわからなかった。

 だが、それが激烈な戦闘のはじまりを告げる合図のようなものであった。

 放たれた矢のように、ふたりの巨漢は疾った。


 耳をつんざくような衝撃音が、周囲に響きわたった。

 

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