63 イエカイの涙
ヴァルシパル王国領の夜は深い。人々の持つ灯りはあまりに乏しく、夜になると、大陸のほとんどの支配権を暗闇にゆずりわたすしかなかった。
夜の支配が終わると、朝が来る。人間の時間である。貧しいながらも真面目な人々は、太陽が姿を見せる前からいやいやながらも寝床から離れ、朝食をつくったり、あるいは仕事の準備のため動きはじめる。
ベールアシュの町は
薄闇のなか、民たちは静かに動きはじめる。
エクセたちもそうである。彼らは宿屋の1階で朝食を摂っていた。
テーブルに並んだのは木皿に乗ったマメとチーズ。そして黒パン。
堅い黒パンはスープに浸して、やわらかくして食べる。
やがて一同の前に寝ぼけ眼を引きずって、ダーが姿をあらわした。
「おはよう」とメンバーに言葉をかけるが、その表情は相変わらず覇気にとぼしい。これは寝起きだからというわけではなく、カッスター・ダンジョンから帰って、ずっとこうなのだ。
「ダー、いい加減に気力を取り戻したらどうです?」
さすがに堪えかねたか、エクセが苦言を呈する。
ダーはどこか虚ろになった双眸を、銀髪のエルフへと向けた。
カッスター・ダンジョンでの冒険を終えた彼らは、しばらくクエストを受けずにすむほどの、それなりの稼ぎを得ることができた。
だが、彼らがこの迷宮を目指したもともとの理由は、四神獣の珠の獲得であった。
魔法使いの塔。そこでエクセが『ダンジョンから感じられる魔力の反応が、四神獣の珠の反応ではないか』という報告を受け、向かう事になったのだ。
結論から言えば、それは間違いだった。
もっとも、大雑把な『大きな魔力反応』がある、という頼りなげな根拠を元に行動したので、仕方のない部分もあるだろう。
そういう意味では、この遠征は意味がなかったということになる。
しかしダーの元気がない理由はそこにはない、とエクセは知っている。
「――気力じゃと? わしは立派に修行をし続けとる」
「たしかに
エクセはそれは認めつつ、睫毛の長い眼をダーに向けつづけている。
問題はそこではない、といいたげに。
誰もが口にしなくても、わかっていることである。
彼が精彩を欠いているのは、あのイエカイの一件を引きずっているから。
一枚の手紙がふたたび彼らの元に届けられたのは、三日前のことであった。
『トルネード』のリーダーであるヒュベルガーからの手紙。
手紙の内容は、兄ドルフの墓標のとなりに、イエカイを埋葬したという、簡潔なものだった。
ダーはそれだけで、いろいろ考えてしまったものと見える。
口数はめっきりと減り、食欲も減ったようだ。
もちろん他のメンバーにも精神的な影響は大きかった。
エクセ自身も、強烈な虚脱感に襲われたのは確かである。
コニンはあの鬼神のような集中力を欠いて、大きく矢の命中率を下げたものだし、ルカもたびたび瞑目し、大地母神センテスへ祈りを捧げている時間が多く見受けられた。
ダーのマナ拡張修行も、伸び悩みが目立ち始めた。
魔法修行に集中力の欠如は大きく響くのである。
「気晴らしに、クロノと買い物に出かけたらどうでしょう」
要するにデートをしてこいと言っているのである。
その提案に、クロノは瞳を輝かせた。
「……うん、それ……最高……!」
ぱあっとクロノの顔が紅葉のように朱に染まる。
ダーはウームとあまり気乗りしない様子だったが、クロノは子供のように飛び跳ね、宿屋の床を揺らした。あわてて他の仲間は、ひっくりかえりそうな机の上のスープの碗を抱えた。
そんなクロノのはしゃぎようを見て、ダーもやさしげに眼を細め、
「まあ、たまにはよいか」と、つぶやいたのだった。
周囲の好奇の目が、この異様なカップルをとりまいていた。
2メートル近い長身を誇る筋肉質の美女と、短躯のドワーフ。
その身長差たるや、滑稽のひとことに尽きた。
ダーの大股は、クロノの半歩ほどである。
それでもけなげに、ちょこちょことクロノはダーの背後を歩く。
ダーとクロノが回る店というのは、自然とお洒落とは縁遠いものになる。
武器屋や道具屋や薬屋など、実用度一辺倒の店に限られる。
さらには、ドワーフであるダーの商品鑑定はきびしいの一言であり、並の出来の品物では満足するわけがない。
これはワシが造った方がマシじゃわいとか、最近の鍛冶師は焼き入れのイロハを忘れておるのかなど、ぶつぶつぼやきまくる。まことに店側としては扱いづらい客である。
クロノに至っては、彼女のサイズに合うような武具など皆無にひとしい。それに、ダーがこしらえた、黒魔獣の武具に匹敵するような逸品など、そうやすやすと転がっているはずもない。
それでもクロノは楽しそうだった。
ダーも、彼女の無邪気さにつられて、少しずつ笑顔が戻ってきているのがわかる。まったく単純なものじゃわいとつぶやくしかない。
「そういえば、エクセからひとつ用事を頼まれておったの」
ふとダーは思い出した。ファーマンという名の道具屋に、宝石蟲など洞窟で獲得した品を鑑定してもらっている。その金を受け取ってきてほしいということだった。
確かにそれは重要な用件である。
ダーとクロノは簡単な昼食をすませると、その店に向かうことにした。
ファーマン雑貨店は、ベールアシュの中央広場から東側。多くの商店が立ち並ぶ大通りに面した、立派な店だった。
「ごめん」
ダーたちが入店すると、じろりとぶしつけな視線が、ふたりを歓迎した。その視線のあるじは、奥のカウンターに座った店主と思しき人物から注がれていた。
負けじとダーも睨み返そうとすると、若い娘がその視界を遮るように立った。
「ハイ、なにかをお探しでしょうか」
明るく爽やかな声が、ふたりに来店の用件を尋ねた。
「ウム、頼んでおいた商品の鑑定結果と、その受け取りじゃ」
ダーは気をとりなおし、詳細を記した木片を彼女に手渡した。
しばしそれに目を落としていた娘は、うんうんと頷き、ぺこりと一礼して奥の店主のもとへと駆けていった。
「おじいちゃん、誰彼問わずメンチ切るのはやめなさいとあれほど言ってたでしょ」
「メンチを切っておるんやない。眼が悪いので細目になっとるだけや」
「だったらその細目をやめなさい。ほら、立派なお客さんだよ」
娘がその板を差し出すと、店主は視線を木片に落とす。
やがて彼は、ぎこちない笑みをダーたちへ向けた。それが精一杯だったようだ。正直いって、睨んでいた方がマシなような顔だった。
「こりゃ失礼しましたな。鑑定は既に終わってますわ」
ダーは鑑定額を差し引いた代金を、老人からうけとった。
鑑定した金額の詳細を、店主がこまごまと語っていたが、あまりダーは関心がなかった。
もらった金額はそれだけ多かったのだ。これでしばらくは、はした金目当てのクエストを受注する必要はなくなるだろう。
「そしてこれが唯一の、鑑定不可能の品ですわ。お返ししますー」
店主が差し出したのは、涙形をした濁った宝石のようなものだった。
「こりゃ、なんじゃ」
「なんじゃも忍者もありまへん。受け取った宝石の中に入っとりましたわ」
「ほほう……」
ダーはそれを手に持ってみる。表面はすべすべしているが、中は濁り酒のようにどんよりとした灰白色である。透明度のまるでない石。魔力鑑定もしてみたが、結果はゼロ。ただの石だという。
「どうしましょ。こちらで処分しても構いまへんが――」
「いや、これは持ち帰るわい」
ダーはそれが気に入った。
いつ拾ったか定かでない、何の価値もない小さな石。
ダーはその無価値の石を掌に載せ、名前をつけることにした。
『イエカイの涙』と―――。
クロノトールがその『イエカイの涙』を、じっと見つめていた。
何も言わぬが、かなり興味をそそられたようだ。
ダーはふっと微笑み、それをクロノの掌へと移した。
「今回のちょっとした記念品じゃ。何の金銭的価値もないらしいが、もらっておいてくれるかの」
ダーのその言葉に、クロノはこれ以上ないような満面の笑みを浮かべた。
「……嬉しい……とても……」
しまった。
ダーは須臾の間、おのれの迂闊さを悔いた。
反応が一瞬遅れてしまったのだ。このダー、戦いの中で戦いを忘れた。
すべては、遅かった。
ダーはすでに、がっちりとクロノのベアハッグに抱えられてしまっていた。
「……ダー、大好き……」
「うぎゃぁああああやめぬかぁぁあああ!!」
ダーの悲鳴が、店内にこだました。
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