59 カッスターダンジョン その5

 床に累々たる怪物の屍が折り重なり、血だまりが足許を濡らす。

 どれくらいの時間が経過したのだろうか。

 誰もわからない。半刻かもしれず、一刻かもしれない。

 

 長い戦闘による興奮状態と疲労感で意識が混濁し、冷静な判断ができるものはいなくなっていた。あるのはただ、生きてこの難局を乗り切るという覚悟である。

『フェニックス』メンバー全員が一丸となり、それぞれの長所を生かしあい、フルに機能している。

 敵の数は、もはや数えるほどしかいない。

 

 だがまだ、最大の難物、オーガーが残っている。

 オーガーは静謐そのものの佇まいで、腕組みをして冷静に戦況を見守っていた。

 その状態を不気味に思っていた一行だったが、ころあいよしと見たか、オーガーは腕組みを解き、ゆっくりと前進を開始した。

 まずコニンが弓を射るが、その硬い表皮にはじかれた。

 

「ファイヤー・ホーク!」


 エクセの詠唱が完成した。

 空中魔法陣より、炎に包まれた鷹が羽ばたいた。

 高い天井付近まで飛翔すると、炎の鷹は威嚇するように「グギャア」とひと声鳴き、羽根を広げオーガーの頭上へと飛来する。

 オーガーは腕をクロスし、それを受けた。

 炎に包まれたのも一瞬のこと。

 やがて何事もなかったかのように、のっしのっしと前進してくる。まるで痛痒を感じていないようだ。

 つうっとエクセの白い頬に汗がつたう。


「このオーガーは、呪文に対する耐性がありますね……」


「ならば、直接打撃しかあるまい」


 ダーがひょいと戦斧を肩に担いで前に出る。

 当然のような表情で、その隣をクロノが埋める。

 彼らを見やり、にやりとオーガーが笑ったように見えた。

 

「なにがおかしい、このデカブツめ」


 オーガーは背中から、ずるりと巨大な鉈のような剣を抜いた。

 鈍い光を放つそれは、オーガーのそれぞれの手に握られている。

 

「双剣使いのオーガーじゃと!?」


 ダーは驚いたが、止まってはいない。停滞は死につながる。

 クロノとの、いつもの上下連携で、オーガーに斬りかかった。

 オーガーは、その両方の攻撃を、双剣で受けて見せた。

 並の力量ではない。

 

「むう、やりおる」


 ダーは下から踏み込み、斬りあげた。クロノは突きを入れる。

 それを易々とさばかれる。

 2人の熟練した剣士を相手にして、このオーガーは対等以上に渡り合っている。いや、どちらかといえば劣勢なのはこちらの方だ。

 これは実戦で鍛え上げた技術だと、直感的にダーは理解した。

 おそらくここで出会うまで、よほどの数の冒険者を斬ってきたのだろう。

 

 そして、明らかに太刀筋を読まれている。

 先程までこの鬼が、沈黙を保っていたわけがわかった。

 他の怪物を犠牲にして、こちらの動きを冷静に観察していたのだ。

 技術に加え、並々ならぬ知性がある。確かにこれは難敵だった。

 

 広い密室に、鉄の擦過音がひびきわたる。戦況は芳しくなかった。

 オーガーの攻勢が続いている。ふたりは対抗するのがやっとの状態だ。

 剣闘士時代から鍛えぬいた技術が通じない。その焦りがあったのだろう。クロノトールは水平に振った剣を受けられると、不用意に前蹴りを放った。

 いかん。思わずダーがつぶやいた瞬間である。

 その隙をとらえ、オーガーがカウンターで蹴り返した。


「ぐっ……!」


 腹部に蹴りが炸裂し、うめき声をあげて、ふっとぶクロノトール。


「クロノ!」

 

 ダーは叫ぶが、すぐに気を取り直した。オーガーが向かってくる。

 背後のことをダーは意識した。逃げるわけにはいかない。

 ダーはすっと斧を上段に構えなおした。

 オーガーは笑みを浮かべている。勝利を確信したような笑み。


(そうは、いくか)

 

 ダーの口から、奇妙な言葉が紡がれる。呪文の詠唱だった。

 今日までひたすらやってきた、マナの総量を増大する作業。

 しかし、ダーは失神と回復をくりかえすうち、これを実戦に応用できないか、ずっと考えていたのだ。

 幸いなことに、彼はいま、青龍の珠を携帯してきている。

 珠は背嚢のわずかな隙間から、外部へと青輝を放っている。

 

「大いなる天の四神が一、青龍との盟により顕現せよ、サンダ――」


 ムウと考えるが、その先が思いつかない。

 ドワーフの魔法使いになる修行はしていないからだ。

 

「ええい、とにかく出でよ! サンダー!」 


 その中途半端な詠唱でも、青龍の珠は応えてくれた。

 戦斧の斧頭が静かに青くかがやいた。

 帯電しているのか、それは斧頭からゆるりと刃先に流れこみ、薄暗闇の広間を、亡霊のような青い光で照らし出した。

 

 オーガーは剣を振り下ろし、ダーの斧と噛み合った。

 その瞬間、オーガーの全身に青い光が広がった。

 まるで燎原に放たれた火のごとく。 


「ガアアアアアアアアッッ!!!」


 オーガーは苦悶している。全身に稲妻のような多角形の傷が浮かびあがった

 ダーは内心、驚嘆する思いだった。

 それでもオーガーはなお、その力を緩めようとしない。

 しばらく、その状態が続いた。どれほどの電流が体内に流れたのだろうか。

 

(これで駄目なら、本物の化物じゃわい)

 

 だが、ほどなく限界は訪れた。

 オーガーは切り倒された大木のように、ゆっくりと前のめりにその巨体を沈めていく。

 ダーはあわてて横に飛びのき、下敷きになるのを避けた。

 ずしんという凄まじい轟音たてて、オーガーは地に伏した。

 すでに、絶命しているようだった。


「心臓が止まったのです」


 エクセが静かに宣告した。


「そうかい、そりゃよかったのう……」


 ダーは転がったまま、動かない。いや、動けなかった。

 精神力の枯渇状態。もはや彼にとって馴染みの感覚である。


「すまんが、マナ・ポーション一つ、もらいたいんじゃが」


 エクセは苦笑しつつ、細いビンを片手に彼の元へと歩み寄る。


「今回は、ツケでいいですよ」


 クロノも、むっくりと起き上がった。黒魔獣の装甲のおかげか、さほどのダメージはなさそうだった。

 へなへなと、イエカイが床にへたりこんだ。


「もう、生きた心地がしませんでしたよ……」


「そりゃ、こっちのセリフじゃわい」


 座り込んだままマナ・ポーションを呷りながら、ダーがつぶやく。

 戦力にならぬ、足手まといの若者を庇いながら、この大群を向こうに回して戦い続けたのだ。とんでもないハンデ戦であった。死者が出なかったのが奇跡のようなものだ。 

 

 大広間は魔物の死体で、足の踏み場もないような状態である。

 コニンが射撃手スケルトンの持っていた弓を手にして、ガッツポーズしている。どうやら戦闘中から目をつけていたらしい。

 薄暗闇の中でもなお、涼やかな光を放つ銀色の弓だ。

 武器屋に売却すれば、おそらく相当の値がするだろう。

 

「カ、カッコいい。これ絶対いいものだよ! 軽いし!」


「よかったですね、いい武器が手に入って」


 ルカが我がことのように嬉しそうに言う。

 魔物はたまに、こうしたレア・アイテムを持っている事がある。

 本来の所有者は、逃亡してアイテムを取り落としたのか、命もろともアイテムを奪われたのか。それは彼らにはわからない。

 コニンは落ちた矢を回収するついでに、新しい弓の試し撃ちをしている。

 何度か虚空へ向かって弓を射ったあと、再び矢を回収しながら、

 

「これいいよ、うん。以前のやつより飛距離が増した感じがあるし、グリップが握りやすくて私に合ってる。もうちょっとここを――」


 と、なにやら一人でぶつぶつと呟いている。


「喜んでいるようで何よりじゃ」


 罠で下りた分厚い扉は、オーガーが死ぬと同時にすべて解除された。

 ガラガラとなにかが作動する音がした後、ゆっくりと扉は上に引き上げられた。どういう仕組みなのか、シーフのいないフェニックスのメンバーには理解できない。


「仕組みはわからんが、あまり長居をしてもいいことはなさそうじゃ」


「そうだね。また罠が作動してもつまらないし」


 抜け目なく金目のものを物色すると、一行はさっさと大広間を後にすることにした。

 下の層へ降りる階段は、すぐに見つかった。

 

「さあ、地下5層じゃ――」

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