60 カッスターダンジョン その6
地下5層は、少し壁が赤みがかっていて、上の階層ともまた趣を異にする。
ダーたちはゆっくりと足元を確認しながら、着実に進むことに専念していた。
ほとほと先ほどのデス・トラップで、罠の恐ろしさが身にしみたのだ。
階段からは前方にひたすら一本道が続き、迷うことはない。
「そういえばこの層であったな。依頼の目的地は」
「はい。この層で仲間の半分と、集めた装備品を失った冒険者が、アイテム回収を依頼しています。アイテムの側には、冒険者の遺体も転がっていると思いますが……」
「ぞっとしないなあ。ゾンビにでもなっていたらどうしよう」
コニンが軽く身震いする。
「ゾンビ化というのは様々な条件が必要なので、まあ大丈夫だと思いますよ」
「呪われた怪物の浄化は、私に任せて欲しいですね」
と、ルカが得意そうに胸を叩く。
僧衣の下の大きな胸がぷるんとたわんだ。
「――僕は、本当に自分が何をしているのか。時折考えます」
ふいに、一行の会話を遮断するような言葉がこぼれる。
イエカイが、うつろな目で述懐するようにつぶやいている。
「このまま進んでいいのか。間違った方向へ進んでいるのではないかと」
「若いのにそういう考えは、不毛というものじゃ。ひたむきに自分を磨いていく。そのことに重きを置いていけばいい」
「そういうのではないのです。何というか――現実感の喪失というか」
手に持った松明を持つ手が、弱弱しく震えている。自分の感情にぴったり合う言葉が見つからない。そういうもどかしげな顔つきをしている。
「たとえば、本当の自分は別のどこかにいるんじゃないか。そんな感覚はわかりますか? 本当の僕は、こんな薄暗いダンジョンじゃなくて、今頃ベッドの上に横になってたりするんじゃないかって思ったり。どこか他人事のような、そんな感覚があるんです」
「ストレスを抱えていると、そんな感覚に陥ることがあります。慣れないことの連続で、きっと疲労が蓄積してしまったのですよ」
そっとイエカイの傍らに、ルカがよりそうように立った。
本当に気立てのいい娘だと、ダーは思う。
「そうか、きっとそうですよね。疲れているんだ、僕は……」
イエカイは納得するように、何度も頷いた。
「さあ、世間話をしている場合ではないぞ!」
ダーは不毛な会話は終わりとばかりに、ぴしゃりと言った。
会話をしつつも、彼は得体の知れぬ気配を感じていた。
誰かから視られている感覚。それも、これが初めてではない。
さて、例によって魔王軍の連中であろうか。
(四獣神の珠の魔力をたどって、刺客を派遣してきてもおかしくはない。警戒をしておくに越したことはないのう)
ダーがそう考えているうちである。通路が切れる。
彼らの目の前に、ふたたび円形をした広間があらわれた。
天井は広いが、先ほどダーたちが死闘を演じた場所よりはふた周りほど小さい。
通路が前方と左右に暗い穴を広げている。
そして、中央には―――死体がある。
冒険者らしき男の遺体がみっつ、うつ伏せになって倒れている。
「ここか、目的地は……」
ダーはつぶやくと、すこしの間瞑目した。コニンたちもそれに倣う。
死せる冒険者に対する礼だった。
「さあ、長い旅の目的を果たすときじゃ。死体からアイテムを回収するぞ」
「そんなことして、大丈夫かな……」
不安げにコニンがつぶやく。
「おぬしは先ほど嬉々として、アイテムゲットとか言っておったじゃないか」
「だってあれは魔物からだもん。人間から獲るのは罪悪感があるっていうか……」
「おぬし、やさしいのう。だが、そう言っておっては仕事が終わらぬ、クロノ」
「……うん……」
ダーとクロノは連れ立って、冒険者の死体に近寄った。
この地層の作用によるものか、意外なほど腐敗臭はしなかった。
ダーとクロノは手前に倒れているふたりの冒険者の背嚢に手を伸ばし、中を調べることにした。奥に倒れた遺体は後回しだ。
ダーが調べた遺体は、上半身に頑健そうな金属の鎧を身に着けていた。
生きていれば、さぞ屈強な前衛であっただろう。
無念の死を遂げた冒険者の遺品を漁るのは、ダーも不本意だった。
だが、重い背嚢のすべてを持って行くわけには行かない。これも仕事だと割り切るしかなかった。火口箱やロープ、非常食などが出てくる。さらにダーが背嚢の奥へと手を延ばしたとき。
――変化は急激であった。
背後で、「キャーッ!!」と悲鳴が上がった。
「おっと、そこまでだ。大人しく荷物を渡してもらおうか」
ダーとクロノはふりかえった。何者かが、最後尾にいるイエカイとルカの背後に回り、喉首にナイフをあてがっている。
イエカイの持つ松明に照らされた顔に、見覚えはない。
どう見ても人間だった。魔王軍の刺客というわけではなさそうだ。
「おぬしら、何者だ?」
「そこで倒れている連中の関係者といえば、わかるだろ」
ほっそりとした体型の、三日月の目をした男が言った。
男たちはどちらも革鎧に細身のズボンと、頑健さより軽捷さを重視した装備をしている。足音がしなかったのは、そういう特殊技能に長けているからだろう。
「さては、あなた達がクエストを依頼した冒険者ですか?」
「まあ、そういうことだな。直接回収に来たということさ」
「それなら何故、自分らで行わず、依頼を出したのです?」
これにはもう片方の、イエカイを捕まえている髭面の男が答えた。
「俺らは見てのとおり、どちらもシーフでね。戦闘には不向きだ。だからあんたらを利用させてもらって、強敵を倒してもらい、アイテムを途中で奪取しようと考えたのさ」
「ワシらを信用できないというわけか。なるほど、下衆の勘繰りじゃな」
「受けたクエスト額と比較して、そいつの所有するアイテムのどちらを選ぶか。考えるまでもねえ。適当に見つからなかったと言っておけば済む話だからな」
「そうだ。俺たちは間抜けじゃねえ。間抜けを利用する側さ」
けらけらと男たちは笑いあった。
警戒はしていたが、さらにシーフの手際の良さがそれを上回った。
ダーとしては、それを認めざるを得ない。
クロノが反射的に剣を取ろうとするが、ダーは片手でそれを押さえる。
彼らの命を守るためには、要求どおりにするしかないだろう。
「わかった、背嚢ごと荷物はそちらへ渡す。だから人質を解放しろ」
ルカを捕まえている細目の男が、笑みとともに応える。
「へへへ、賢明な答えだな。だが、荷物が先だ」
「……ダー、大変……」
「大変なのは今更じゃ。それより人質を無事に――」
がっしとクロノがダーの腕を掴んだ。
その青ざめた顔に、瞳に、ダーは切実な何かを見た。
ダーはクロノが見つめていた、髭面の盗賊の顔へ視線を転じた。
――その、瞬間だった。
ガシュッと、何かが砕けるような音がした。
先ほどまで、顔に勝ち誇った笑みを貼り付けていた髭面のシーフが、真っ青な顔で棒立ちになっている。いや、よく視ると立ってはいない。足許はわずかに宙へと浮いている。
下顎から脳天まで刺し貫かれた状態で。
ぽたぽたと、盗賊の足許に血が滴った。
殺したのは、イエカイだった。
彼の右の人差し指が、鋭い槍のように伸び、男を刺し貫いたのだ。
イエカイは表情の消えた顔で、呆然とこちらを見つめている。
その瞳はどことなく虚ろで、何も見ていないようだ。
「ひいっ、て、てめえは――まさか!」
もう片割れの、ルカを捕らえているシーフは、激しく動揺している。
「てめえは確かにあの時――」
それが、この男の最後の言葉となった。
今度はイエカイの、左の人差し指が伸びた。
禍々しい勢いをもって。
その鋭い槍のような鉤爪は、ずぶりと盗賊の眼球を刺し貫き、後頭部へと抜けた。これで生きている人間など存在するまい。
細目の盗賊はぴくぴくと痙攣しつつ、絶命した。
目の前で行なわれた殺戮劇に、ルカはへなへなとその場に尻餅をついた。
「あなたは何者なのです――?」
ふたつの、かつては盗賊だったものを指先にぶらさげたイエカイに、エクセが険しい声を投げかけた。
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