50 異世界勇者は修行中 その1

 妖魔の森のなかを、慎重に歩を進める。

 ダーが周囲を見回すと、これまでと同じように木々が彼の周囲をとりまいている。

 いや同じではなかった。明らかに明度が低く、足元の下草が明確に見えない。

 ナナウは妖魔の森にムイムイ草が多数生えているといったが、この有様では採取するのは容易でないだろう。

 先程まで感じられた爽やかな風はまるで感じられず、草木一本動く気配がない。

 どこから聞こえてくるのだろう。得体の知れないささやき声が、彼らの耳に虚ろに響く。それは死を連想させ、あたかも森で死んだ人々が幽鬼となってさまよっているかのようだ。


「本当に進んで正解だったのかな……」


 コニンが疑わしげにつぶやく。

 エルフの魔法使いの到着を待った方がよかったのではないか。それはダーですら考えなくもない選択肢だった。

 しかしダーは、決然と首を振った。


「いーや、ワシらが正しい。あの音を聴いたであろう」


「……うん、聞こえた……」


「もしあの音の主が危険なモンスターであればどうする。初心者パーティと遭遇する前に、歴戦の強者パーティーが倒さねばならぬ」


「そうですね。自らの危険よりも人々のことを考える。立派な考えだと思います」


「まさに立派を絵に描いたドワーフ、それがワシじゃ」


「自分で言うかなあ……」


 とはいえ、ダーが皆の緊張をほぐそうとしている意図は、メンバー内には伝わった。

 コニンが松明に火を灯した。

 油断無く、隊列をしっかり組んで進む。

 どれくらい、暗闇をさ迷っていただろう。ここでは方向感覚が麻痺してしまう。長く陰鬱な行軍が終わったのは突然だった。

 暗い森の一部から、光が差している。

 ここからが、通常の森ということだろう。

 彼らは安堵の吐息を漏らした。

 妖魔の森を抜けたのだ。

 

 その瞬間であった。

 またしてもすさまじい轟音が響き渡った。

 

 轟音の元を探して森をさまようと、開けた場所に出た。

――奇妙な光景だった。

 大型の熊のような化け物が、こちらに背を向けて威嚇するように両手を天へ広げている。

 森林の奥地に住まう、ゴズマというモンスターだ。

 ゴズマの外観は肥大化した熊そのものだが、その毛皮はまるで鎧のように硬く、刃物が通りにくい。たまにふらりと森林の奥地から獲物を求め、平地へ出没することもある。

初心者ルーキー殺しのゴズマ』として悪名高い。

 さらに危機的状況に陥ると、奇声を上げて仲間を呼ぶため、ベテランの冒険者でも遭遇するといやなモンスターであることはまちがいない。

 ダーたちもこれまで何度か相手をして、苦戦している。

 なにしろ次々と仲間を呼び寄せるため、非常に面倒なのだ。

 

 ゴズマが2、3体、大地に倒れている。

 その増援に現われたと見える1体のゴズマと相対しているのは、見覚えのある顔である。


「ムウ、あれは……」


 その顔に見覚えがあった。異世界勇者の1人、ゴウリキだ。

 分厚い筋肉の上を、ごつごつとした重そうな真紅の甲冑で包んでいるさまは、まるで赤い亀そのものである。

 両の前腕部で、自己主張をするかのように燦然と輝くのは、琥珀色をしたガントレット。ゴウリキの勇者の武器である。

 

「――まだ来る。てめえらは、そこで見とけ」


 ゴウリキは言った。これはダーたちに向けられた言葉ではない。ゴウリキの背後で見守っている連中へ向かって発せられたものだろう。

 

(ほ、これは見ものじゃわい)


 ダーたちも木陰から傍観することにした。

 なにせ彼は、ゴウリキが闘っている姿を観ていない。

 異世界勇者が闘っているとき。ダーはかれらと入れ違いのようなかたちで地上から消滅し、四獣神と会話をしていたのだ。

 

 ガンガン、と両手を打ち鳴らして、ゴウリキは、その巨体を小さくまるめ、両手を顎のあたりにもってきた。

 頭を揺らされないようにする工夫だろう。

 そこから、肘から先がなくなったような、素早いジャブを放つ。

 それはゴズマの胸部に炸裂した。

 まるで、重力の概念を忘れたかのように、宙に舞うゴズマ。


(これは、向こうの世界の徒手空拳の技じゃな)


 ダーは感心する思いで見ている。

 顎を揺らされないようしっかりと防御ガードを高くし、そこから神速の打撃を放つ。理にかなった攻撃である。

 軽く触れただけのように見えたが、吹き飛ばされたゴズマの胸部には、ぽっかり穴が開いている。

 ゴズマは断末魔の叫びのような、奇怪な鳴き声をあげた。

 周囲から物音がする。

 ダーはクロノに、姿勢を低くするよう小声でささやいた。

 たちまち、ゴウリキの近くに数匹のゴズマがあつまってきた。


 ゴウリキは得たりとばかり、にっと笑った。

 わざと一撃で止めを刺さず、仲間を呼ばせたのだ。

 6匹は集まっただろうか。ゴウリキはガントレットを大きく振りかぶった。

 まるで絵に描いたような、馬鹿正直なテレフォン・パンチ。


(今度は、技術でもなんでもないわい)


 テクニック度外視の、パワーにものを言わせた打撃。

 それは、十二分に発揮されたといっていい。

 その強力な拳は衝撃波のようなものを放ち、まず最初のゴズマを貫通した。

 衝撃波の槍は次々と放たれ、ゴズマを瞬時に屍と変えていく。

 ゴウリキはにやりと笑い、構えを解いた。

 3度のパンチ。それだけで6匹のゴズマを瞬殺してみせたのだ。


「お見事です、ゴウリキ様」


「いつ見てもすばらしい。戦いの神の化身のようです」


「ガハハハハ、そうおだてるな」


 祝福の言葉を述べながら駆け寄ってくるパーティー。

 まんざらでもなさそうに笑顔で受けるゴウリキ。

 ダーは頃はよし、と姿を現すことにした。


「――いやいや、いいものを見せてもろうた」

 

 ぱちぱちと、ダーは手を拍った。

 すばやく臨戦態勢に入るゴウリキだが、ダーの顔を見て、はて、と首をひねった。


「てめえ、どっかで見た記憶があるな?」


「ほう、わしのことを覚えておったか。ゴリラの記憶力も馬鹿にしたものではないのう」


「やっぱりそうか、あのときの失礼なドワーフだな!?」


「名前のほうは記憶にないのか、そこはいかんのう。ダー・ヤーケンウッフじゃ。覚えておいて損はないぞ、ゴリ肉マンよ」


 ゴウリキは、ぴきぴきとこめかみに血管を浮かべる。


「今のを見て、俺にそんな悪態をつくとは見上げた度胸だな」


「ほう、わしを殴るのか、勇者の武器で。この哀れな老人を殴るのか」


「うるせえ、どこが老人だ。ピンピンしてるじゃねえか」


「うむ、確かにピンピンしておる」


「なめてんのか、このドワーフ!!」


「ちとお前さんは怒りっぽいのう。もっと魚介類をたくさん摂ると、精神のバランスが取れるぞ。気持ちも安定し、リラックスした気分で毎朝を迎えられる」


「もう我慢できねえ。このドワーフを塵に変えていいか?」


「――落ち着いてください、ゴウリキ様」


「無益な争いは勇者の資質を問われます」


 あわてて仲間のパーティーが制止に入る。

 はて、とダーは首をかしげた。

 初対面の者が多いはずだが、なぜか見知った顔がある。

 すこし考えて、なるほどそうかと思いあたった。

 あの謁見の間にいた亜人たちが、彼についているのだ。


「久しいの、おぬしら」


 ダーは声をかけてみた。

 

「相変わらずですなあ、ダー殿」


「謁見の間のときと、まるで変わってないですね」


 互いに久闊を叙するダーたちを見て、なにか言いかけたゴウリキだったが、途中で口を閉ざした。

 見た目より、案外気を利かせられるタイプなのかもしれない。

 ゴウリキのパーティーは、ゴウリキを含めて5人。

 エルフのアーチャーとバニー族のシーフ、ノームの僧侶と人間の戦士がいる。

 前衛はほぼゴウリキが片付けてしまうので、出番がほとんどないらしい。


「で、ジジイ。のこのここんなところまで来て、何の用だ」


「なに、たまたまじゃよ。ワシらのパーティーは、ここでムイムイの草を集めるクエストを請け負っていたのじゃ」


「ほう、ジジイにも仲間がついたのか。お友達がいそうもないタイプに見えたがな」


「余計なお世話じゃ! みんな、出てきてくれ」

 

 ダーの一言で、木陰に隠れていたルカ、コニン、クロノらが姿を現した。

 それを見て、ゴウリキはくらくらとよろけた。


「どうした、やはり魚介類が――」


「魚介類は不足してねえ。不足してるのは女っ気だ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る