第四章

31 クロノトール

「――馬鹿なことを! 女などと一騎打ちができるか!」

 

 ンシモナは、きっぱりと拒絶の意思をしめす。

 するとザラマ方面から誰かの声が響いた。


「聞いたか、魔王軍の将軍さまは、女からの一騎打ちも断るとよ!!」


「女相手にびびって、手が震えてるじゃねえか!」


「ヘタレのくせに、ノコノコこんなところまで何しにきたんだ!!」


 容赦ない罵声に、誇り高そうなンシモナの表情がゆがむ。

 そのタイミングで、隊長コートオアが叫んだ。


「よし皆のもの、あの腰抜け将軍を笑ってやれ!」


 ドワッハッハハハと、嘲笑がザラマからとどろいた。

 そのとびきりの侮蔑には、さすがにンシモナも赤面するしかない。

 わなわなと怒りに震える手で、腰剣の柄をつかむ。


「小娘が! 女の分際で、この鋼魔将ンシモナに一騎打ちなどと、身の程知らずめ! その身をもって後悔させてやる!!」


 怒り心頭、剣を抜いたンシモナは、クロノトールに向き直った。

 さすが魔王軍1万を預かる将らしく、立派な体格を誇っている。

 上背こそクロノが上だが、ほぼ差は感じさせず、横幅は圧倒的に上だ。よく見ると、顔のいたるところに細かな古傷が見える。

 剣の実力、叩き上げでここまでのし上がってきたであろうことは、容易に想像がついた。

 

 それは、一方のクロノトールもそうだ。剣奴隷として、死の匂いの充満する円形闘技場で、ひたすら闘い続けた日々がある。

 そして一度たりとて敵の剣にかかることなく、見事、自由を勝ち取った真の戦士である。

 

 両雄は静かに相対した。

 クロノはゆっくりと、バスタードソードと、タートルシールドを構えた。

 ンシモナは剣を水平に構え、電光さながらに斬りかかった。

 クロノも応戦する。

 突き、斬り、薙ぐ。

 受け、さばき、かわす。

 互いの技量のすべてをぶつけあうすさまじい攻防に、ザラマの市壁から歓声がもれる。魔王軍も冒険者たちも、この闘いを阻害しようとはしない。

 

 一騎打ちが成立した場合は、原則として周囲は手出し無用。

 互いの名誉のため、ひたすら傍観するしかないのだ。

 十合、二十合、互いに斬り合うが勝負がつかない。

 勝負の趨勢はどちらに転ぶか、まったくわからない。

 それだけ、両者の実力が伯仲しているということだろう。

 

 ザラマの町の中では不謹慎にも、この勝負に金を賭けるものまで出始める有様だ。

 両者の斬り合いは、やがて三十合を数えた。

 剣と盾のぶつかりあう音、荒い呼吸音、ほとばしる汗。勝負は長丁場の様相を呈しはじめた。それがどちらへ有利に働くのか、誰もわからない。


「やるな女! 魔王軍にもこれほどの女傑はおらぬ!」


「……うん、あなたも強い……」


 互いを好敵手として認め合ったのも束の間、じょじょにこの勝負の優劣が明白になりはじめた。

 ンシモナの剣が、クロノを圧倒しつつあった。

 クロノが退がる。体力が底を尽きはじめているのだ。


「どうした、剣先がにぶっておるぞ!」


 俄然、勢いづき、どんどん前に出るンシモナ。

 ダーが製作した装甲の頑丈さで、かろうじて命をたもっているものの、致命的となりうるンシモナの斬撃が幾度も鎧をかすめた。

 以前のビキニアーマーのままであったなら、とうに勝負はついていたかもしれない。

 がつん。

 クロノは頭部に衝撃を受けた。

 ンシモナの痛烈な一撃が兜をかすめたのだ。

 脳が揺らされ、無意識に膝が落ちる―――

 まずい―――……




「……この娘がいいな、いまは痩せているが、骨格がいい」


 やや小太りの男の態度は傲慢だった。

 一方の男は下卑た笑みを浮かべつつ、


「へへ、お買い上げくださって何よりです」


 と言った。これが私の父親なのだろうか。

 あまりに昔のことすぎて、よく覚えていない。

 私はそれから護送馬車にほうりこまれ、剣闘士養成所につれていかれた。

 練成場では筋トレや短距離、鉄棒などを行い、各部位の筋肉を徹底的に鍛え上げさせられた。

 さらに、毎日のように聞かされる言葉があった。


「貴様らは最低の存在で、たった銀貨2枚で買われた命だ。いつくたばってもいいが、できるだけ長持ちしろ」


 地獄のようなトレーニングが終わると、一列にならんで、毎日同じメニューの食事を与えられ、硬い樫の木に座らされて食った。朝が来れば、またトレーニング。

 やがて体ができた、とやつらに判断されると、私たちは剣やさまざまな武器の練習に入る。

 死の舞台に立つために。

 

 剣闘士たちは闘技場の地下で、ひたすら出番を待ちつづける。そして複数の人間にとりかこまれて移動し、まず観衆が自由に見ることが出来る檻に入れられる。

 観客はそこで剣闘士の姿を見て、賭け金を決める。

 それが済むと、ふたたび地下におしこめられる。やがて運命の時を知らせるラッパが、けたたましいファンファーレを鳴り響かせ、太鼓が派手な音を立てて打ち鳴らされる。

 巨大な円形闘技場の雄大な門扉がひらき、それぞれの剣闘士がアリーナへと姿を現したとき、周囲から金切り声のような歓声がひびきわたる。

 観客はみな、等しく血に飢えていた。

 

 私は孤独だった。ずっと孤独だった。

 いつか一緒にここを出ようと言ってくれた男もいた。

 数日後、その男は、アリーナで死んだ。

 私が、彼の相手をつとめた。

 人々の娯楽のためだけに身体を鍛え、人々の快楽のためだけに殺し合い、そしてつかの間の勝利の後、助かった安堵感と、犯した罪の重さにすすり泣く。

 それが剣奴隷という存在だった。

 

 いつかきっと、ここから出て行く。

 自らの両足で。

 死体袋に詰められた肉塊としてではなく、生きた人間として。

 その意思の力だけが、地獄の日々で自分を支えてくれた。


 そして今日もわたしは――



「……――クロノ」


「――クロノトール!! しっかりせい!」


 ダーの雷鳴のような大音声がひびいた。

 われを取り戻したクロノは、本能的に頭上から落ちてきた剣を弾きかえし、盾で相手を突き放して、うしろへ跳び下がった。

 どれくらい意識を失っていたのか。

 記憶が混濁したまま、かろうじて相手の攻撃をさばくクロノ。

 立っているのがやっとなほど、ふらふらになっている。


「クロノ、お前の師は誰だ! お前の仲間は誰だ!!」


 ぱちくりとした目で、遠くにいるダーをクロノは視認した。

 そうだ。

 クロノはもう、孤独ではなかった。

 仲間もいる。愛するものもいる。


 クロノは安心させるように、できる限りの笑顔で、ゆっくりとうなずいた。

 アリーナに囚われていた奴隷は、ここにはいない。

 そう、もう彼女は剣闘士ではない。自由に生きる冒険者だ。

 自由気ままに生きて、生き延びる。 

 

 だからクロノはダーに憧れたのだ。

 その自由な生きざまに。闘い方に。

 あんなふうに、なれたら。

――ああ、そうだった。私は、自在に闘える。

 

 

 彼女は半身の姿勢になった。大きな身体をぐっと、低くする。


「むう、気配が変わったな?」


 魔将ンシモナは、さすがに並の相手ではなかった。

 クロノの変化を敏感に察して、剣を構え直す。


「……――私のすべてを、この剣技にこめる……」


「ほう、ならばこれを打ち破れば、我の勝ちということだな」


――クロノは応えない。

 すでに技に入っていたのだ。

 クロノはびゅんと旋回し、横なぎに剣を放った。

 さらに踏み込みつつ旋回し、また剣を叩き込む。


「……クロノ式旋風剣、開眼というべきかな」


 ダーは笑みをたたえたまま、目を細めた。


「馬鹿めが、しょせんにわか仕込みのつけ焼き刃よ!」


 ンシモナはこの技の弱点を早々に見切った。


「敵に背を向ける馬鹿がいるか!!」


 回転して背をむけた隙に、斬りかかった。

 ただでさえ、背の高いクロノの背は、格好の目標だった。

 だが、その剣は横にスライドするように弾かれた。

 

「なにいっ!!?」


 ブラックタートルシールド、その大きい盾面を、片腕に装着している。ダーの細工によるものだった。

 並の人間の膂力では不可能なことであった。盾の重さに振り回されるか、バランスを崩して転倒してしまうだろう。

 だが、クロノトールの潜在能力は並大抵のものではない。

 それはダーが、日ごろのベアハッグで嫌というほど理解していたことだった。


 黒い剣は旋回し、ンシモナの胸甲をかすめる。

 さらに旋回し、肩当を吹き飛ばす。

 さらに旋回し、ガントレットを砕く。

 隙をみて反撃するンシモナだが、ことごとくタートルシールドの巨大な面に防がれ、まるで当らない。

 その剣はやがて――

 

 ンシモナの兜を打ち砕いた。

 一瞬、脳震盪をおこし、身体をぐらつかせるンシモナ。

 あたかも先程のクロノと逆の状態となった。

 しかし、連撃に入っているクロノに停滞はない。

 容赦ない踏み込みとともに、横なぎの斬撃が襲った。

 周囲の大地を、薔薇よりも鮮烈な紅が彩った。

 

 ンシモナの頭蓋は、砕けちった。

 

 ザラマの町の方面から、雷鳴のような大歓声が鳴り響いた。 

 次の瞬間、クロノはがっくりと両膝をついた。


 「――勝者、クロノトール!!」

  

 勝負を見届けたダーが叫んだ。

 思わず、クロノの口許に笑みがこぼれる。

 力なく垂れ下がった腕は、ぐっと空を掴み、さらに天へと突きあがる。

 

 今日もまた、彼女は生き延びたのだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る