24 フェニックス、飛翔す
「――こっちへ来たぜ、ダーさん、クロノ」
コニンが警告を発した。
「うむ」
「……うん、任せて……」
矢を背に受けた、灰色の巨大な影が疾走している。
突進してきたのはジャイアント・サーベルウルフという、名のとおり巨大な牙を持つ大型狼だ。
その特徴的な、上顎から生えた巨大な剣のごとき二つの牙は、そのままおそるべき破壊力を持つ武器でもある。
その牙が、巨体が、すさまじい速度でクロノトールめがけて猛進してくる。クロノは冷静に盾を前に構え、もう片手で剣をにぎりしめた。ところが――
サーベルウルフは、しなやかに跳躍した。
クロノの頭上へ、牙が落ちてくる。
すかさずクロノは、わずかに後退し、ブラックタートルシールドを上空に構えなおした。ある程度の予期がなければ、こう自然には動けない。
がきんっ、と硬質の音が響き渡る。
並みの人間ならそのまま一気に押し潰され、上にのしかかられたまま鋭い牙で惨殺されていただろう。しかし、クロノの身体能力は半端なものではない。
巨大狼の体重に圧され、体勢を崩しつつ数歩後退したものの、倒れない。
クロノトールのすさまじい筋力と、盾の防御力の両方があって成せる技であった。
組み伏せようとする巨大狼と、そうはさせじと下から抵抗するクロノ。
みしみしと、二つの強力な力が場を制せんと、ぶつかりあう。
しかし巨大狼の重さは桁が違う。じょじょにクロノの体勢が沈みはじめたときだった。
「―――シュウッ!」
吐息とともに、コニンがドローイングから神速の連続リリース。
狙いあやまたず、サーベルウルフの両眼に、連続で矢が突き刺さった。
すさまじい技量といっていい。
「ギャイイイイイイィィィン!!!」
苦悶に身をよじるサーベルウルフの真横から――
砲丸のように突進する影がある。
「ぬうううううりゃああ」
ダーが低い姿勢から駆け、一気に戦斧を水平に振りぬいた。
快音一撃。
黒い影が回転しながら宙を舞った。サーベルウルフの脚だった。
体勢を大きく崩す巨大狼。クロノはすばやく飛びのき、距離を開いた。
「――とどめじゃ、クロノ」
クロノはこくっと無言で頷くと、バスタードソードを水平に構える。陽光を受けた長い剣身が、ぬらりとした黒い光をはなっている。
そのまま突進し、サーベルウルフの口内に鋭い剣先が消えていく。
最後の抵抗を示そうとする巨大狼。
しかし、無駄であった。クロノは暴れまわるその牙を握ると、さらに体内の奥深くへと剣を突き入れる。
怪物の身体から力が抜ける。クロノは剣先を抜くと、すばやく身を離した。
ごぶっとくぐもった声にならぬ断末魔を残し、サーベルウルフは崩れ落ち、痙攣する死体となった。
エクセが、ルカとともに三人のもとへ駆け寄ってくる。
「そちらも終ったようですね」
三人の視線が、彼らの背後にそそがれる。なにかが燃えたような臭気。エクセの背後に、どんよりと焦げついた大地がある。炎の舌が周辺一体を這いまわり、蹂躙しつくしたかのようであった。
そこに何体もの、どす黒く炭化した、獣とも塊ともつかぬ物体が転がっている。
狼は、集団で群れを形成する生物であることは有名な事実である。
サーベルウルフとて例外ではない。エクセとルカは小型の――いや、通常の大きさというべきだろうか――配下のサーベルウルフを、呪文で駆逐していたのだ。
「三人とも、おつかれさまです」
エクセが秀麗な顔に笑みを浮かべて、戦い終えた三人をねぎらう。
ダーは、にやりと不気味な笑みを返し、
「ああ、お疲れじゃわい、6級の人」といった。
――その一瞬。空気が硬化した。
エクセは睫毛が長くて、開いているのかどうかすらわからない眼を、じっとダーにむけている。おそらく睨んでいるのだろう。かれはすっと杖をかまえ、
「ふふ、6級の魔力の切れ味を試してみますか?」
「わしの斧は鋭いぞ。なにせ5級じゃからな」
二人の間に電流のような殺気が流れた。
あわてて他の三人がその間にはいりこみ、おそろしくレベルが低い対決は勃発未満で事なきを得た。
―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―
「――さあ、英雄のご帰還じゃわい」
ダーが冒険者ギルドの扉を開くと、たちまち驚愕のざわめきが彼らを包んだ。
それもそうだろう。退治した証として、クロノが持ち帰ったサーベルウルフの牙は、そのまま大剣として用いられそうなほど巨大なものだったからだ。
その牙から推測して、本体はどれほどの大きさだったのか。その衝撃に、冒険者たちは自分たちがそれだけの相手を倒せるか否か、あちこちで討論をはじめた。
「大きい……本当に仕留めたんですね。伝説のジャイアント・サーベルウルフを……」
受付嬢のバニー、チコがぽかんとして見つめている。
「すまんがチコ、鑑定士を呼んでもらえるかの?」
そのダーの声に、チコはハッと我をとりもどすと、ごろりと床に投げ出された牙を観察する。歯根から抉り取られた牙を見て、彼女は高らかに告げる。
「鑑定士さんをおよびするまでもありません。これは途中で折れたものではなく、明らかに根元から切断したものです。本物のサーベルウルフを退治したと認めます。これでチーム『フェニックス』は難易度3級の依頼を解決したことになります」
冒険者ギルドは再び驚きの声に満ちた。
「どうなってるんだ、あの新入りどもは――?」
「ここへ来た当初、まだあいつら6級だったはずだよな」
「それがたった一ヶ月足らずで5級昇進。さらに3級の仕事を片付けちまっただと?」
「なあに、なにかズルでもしてるに違いないさ――」
どん、とダーがその声のするテーブルの上に立った。
「今なにか、おもしろい冗談が聞こえたのう?」
一瞬ぎくりとしたその剣士風の男は、開き直ってこう言い放はなった。
「じ、冗談じゃねえぞ、そんなにホイホイと難易度の高い依頼を解決できるはずがねえ。トリックがあるに違いねえんだ」
「ほほう、ズルをしてるかどうか、退治した本人に直接聞いてみるか?――クロノ」
ずんずんと、無言でダーの元へと近寄るクロノトール。
その巨体、その筋肉、そして異彩をはなつ全身の黒い装備。
本物だけが持つ圧倒的な威圧感を前にして、文句をつけた剣士はふるえあがった。
「この男がお前さんの力を疑っておるらしい。ちょっとこらしめてやりなさい」
無言で頷くクロノ。周囲の人々には、まるで意思を持たぬ殺人ゴーレムのように見えた事だろう。
剣士は青ざめつつも立ち上がった。だが、全身は小刻みに震えている。それが精一杯の抵抗だっただろう。
「ちょっと待った、この争い、預けちゃくれねえか」
そこに、ひとりの重装備の戦士が割って入った。
頬に傷のある、百戦錬磨を絵に描いたような、凄みのある男だ。
「あ、あんた『トルネード』のサブリーダー、ドルフさん!」
「俺の名前は知ってると見えるな。なら、これ以上の騒ぎは無用だ」
『トルネード』の名は、新参者であるダーたちも知っている。
数あるザラマの冒険者グループの中で、最強と目されるチームのひとつだ。
ドルフと呼ばれた頬傷の男は、くるりとダーたちに向き直ると、
「あんたらもこの場は預けてくれ、フェニックスさんよ」
「ほう、ワシらのことを知ってるのか」
「来て早々、飛ぶ鳥を落とす勢いのチーム名を知らぬ方が少ないさ。いずれ、一緒に冒険してみたいものだな」
あやういところを助けられた剣士風の男は、気が抜けたのか、へなへなと椅子に崩れ落ちた。もう文句をつける気力もあるまい。
ドルフはクロノに軽いウィンクを残し、悠然と背を向けて立ち去った。
「あいつら『トルネード』にも一目置かれているのか……」
「つまり本物ってわけだな。強いわけだ……」
ダーたちのパーティーの活躍はめざましいものがあった。その活躍に半信半疑のものも少なからずいたのは、この男の存在が示すとおりである。
しかし、最強チーム『トルネード』のサブリーダーが、いずれ一緒に冒険をしたいと申し出たのだ。彼らの実力に懐疑的であったものも、見る眼が変わろうというものだ。
『フェニックス』は、ギルドの紹介する仕事は、すべて完璧に近いかたちで解決していった。
特に怪物退治に関しては、無類の強さを誇った。それにともない、またたくまにランクも上昇。
今ではエクセ=リアンを除いた全員が5級になっている。
なおエクセはサボり期間が長すぎたため、いまだにランク6級である。そのせいでダーにいじられつづけ、多少、その秀麗な顔に翳りが見えるときもある。
「しかしオレたち、確実に強くなってるな」
実感をこめてコニンがしみじみとつぶやく。
「……うん…あんなでかいの、今まで倒せなかった……」
「これもエクセさん、ダーさんのご指導のたまものですわ」
「本当にルカはいい娘ですね。どこかの樽とは大違いです」
エクセに頭を撫でられて、素直に微笑むルカ。
そう、確かにここまでは、パーティーは順調に成長しているといっていい。
「しかし、足りんな……。まだ、足りん…」
ダーは内面の焦燥を表すように、つぶやく。
「あまり焦ってはいけません、我々は着実に強くなっています」
諭すようにエクセがダーの肩をたたく。
「……そうじゃな、おぬしの言うとおりじゃ。まずはそのことを喜んで、今日は乾杯といくか」
テーブルに酒が配られ、みんなの顔がほころぶ。
エクセだけはいつもの果実水だ。
ダーも酒がまわったか、やがて上機嫌になって、皆をねぎらった。
しかし、本心は違う。ダーは焦燥感でいっぱいだった。
(ワシは見てしまった。あの異世界勇者の力を)
どうすれば、あの領域にまで達することができるのか。
――そしてあの、ジェルポートに現れた黒い魔獣。
あのクラスの化け物が現れたとき、勝てる自信はいまだにない。
どうすればいいのか。ダーはジョッキを片手に仲間を見やり、思う。
どうすれば、この仲間たちを守ることができるだろうか。
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