14 英雄の真価

 降り注ぐ死を前に、ダーはただ、立ちすくんでいた。

 怯えたわけではない。もう、足が前へ進まなかったのだ。

 鍛え上げられた両足の筋肉は、まるで彼の意思を尊重しなかった。さながら水中を歩いているかのように重い。いや、重すぎた。

 ダーはへなへなと力なく、その場に膝をついた。限界だった。


 ひゅん。

 そのとき、風が鳴った。


 ダーは不可思議なものを見た。


 何かが宙を舞っている。 

 あれはなんだろう、とダーは目を凝らした。それはさんざん彼らを苦しめた、ふたかかえの支柱ほどもある、あの巨大な獣の前足だった。

 ついぞ先ほどまで、彼の頭上にあったものである。それがさながらブーメランのように、くるくると弧を描いて遠方へと飛んでいく。

 あまりに非現実的な光景だったがゆえか、ダーはまるで驚かなかった。すべての感覚が麻痺しているかのようだった。

 少し離れたところでそれは落下し、黒魔獣は苦痛の咆哮をもらす。

 怪物はバランスを崩したものの、転倒するまでには至らなかった。なかなかのバランス感覚を有しているようだ。かろうじて残った三本足で立っている。

 すさまじい臭気とともに、鋭利な刃物で切断したかのような断面から、大量の血潮があふれだす。

 ダーはまともに怪物の鮮血を浴び、一時的に視界がふさがれた。

 顔をぬぐい、身をよじるように後方へと下がる。


「――醜い、実に醜い場面に遭遇したようですね」


 その声はダーの後方から聞こえた。

 ふりかえると、白馬に乗った青年がいた。

 兜も身につけず、さらさらと長い前髪を指で払っている。衣服は、貴族も着るのをためらうのではないか、と思われるほどの派手なものだった。

 蹄の音は聞こえなかった。いつのまに現れたのか。

 閉じられていたはずの背後の正門も開かれている。正門の開閉時には、かなりのきしみ音が鳴る。それすらも耳に入らぬほど、ダーの意識は朦朧としていたのだろう。

 青年の背後にはずらりと、人馬の集団が並んでいた。

 装備を見るに、かなりの熟練の冒険者集団のように見えた。

 白馬の青年は、鞍上からぴん、と足を延ばした。その姿勢から華麗を通り越して、気障としかいいようのない動作で地へと足を下ろす。

 着地してからもういちど、さらりと髪をかきあげる。


「ベールアシュから戻ったら、とんでもない場面に出くわしたものですね」


「――勇者様が、じきじきに手を下す必要はございませんよ」


 後ろに控える集団のひとりが言った。

 地に降り立った若者はちっちっと指をふり、


「地道に魔物を倒し、民衆の支持を得るのも、勇者として大切なことですね」


「さすがミキモトさま。われらとは器の大きさが違います」


「わたしたち、惚れなおしちゃいますわ」


 つぎつぎと聞き苦しい 追従おべっかを並べる。

 ミキモト………ダーには聞き覚えがある名前だった。

 ぼんやりとした思考で、ダーは思い出す。

 それはすべての発端となった、忌まわしきヴァルシパル王宮の謁見の間。

 やたら気障なポーズばかり決めていた、異世界人がそう名乗ったのではなかったか。――ハルカゼ・ミキモトと。


 かれは美しい宝石をちりばめた柄を手に取り、大げさな身振りでそれを抜き放った。

 レイピア――。一見、すぐ折れてしまいそうな細い刀身。

 だがその剣は、神聖といってもいいほどの、まばゆい光輝で周囲を洗った。


(見かけとは違い、この男、なんらかの剣術をたしなんでおるな)


 その洗練された所作から、ダーはそう見抜いた。


「キミたちはそこで見ておきたまえ、美しい、僕の雄姿をね」


 彼は、すっと半身の体勢にガニ股に近い足の広げ方――アンガルドの姿勢をとる。


「アレ――」


 誰も言わないので、自ら告げるミキモト。

 腕をたたんだ姿勢のまま直進。

 一気に豹のような敏捷さで跳躍し、するどい突きを放った。


「マルシェ・クー・ドロワ」


 これにはダーも、黒衣の女性も、呆然とした。

 ミキモトが、その攻撃とも演舞ともつかぬ技を披露したのは、魔獣から数歩ほど距離のある場所であったからだ。

 当然ながら、彼がついたのは虚空だった。

 この男は、なにをしたいのか。

 ダーを含む全員が、一瞬、呆気にとられた。

 が、いち早く反応したのは黒衣の女性だった。瞬時に詠唱を完成させ、魔獣の周囲にエクセが言っていた結界をはりめぐらせた。 

 ミキモトの一見、無意味な行動に、なにかを感じとったのだろう。

 次の瞬間、まるで硝子が破裂するような音がダーの耳朶をうった。見えざるものが砕けた。そんな感覚であった。


「私の 暗黒障壁ハーデラ・シールドをやすやすと砕くとは……さすが勇者の武器といったところかしらね」


 これでダーも合点がいった。なぜ魔獣の前脚が切断されたのか。

 ミキモトが馬上から、この斬撃を一閃させたのだ。

 一方、前脚を切断された黒魔獣も黙ってはいない。怒りに燃える双眸をミキモトに向けると、口腔をひらいた。

 あの瘴気を放つ気だろうか、とダーが思う暇もない。

 ザクッという音とともに、鮮血がしぶいた。

――黒魔獣の顔面から。

 鋭利な刃物で切りつけられたように、眉間から頬へかけ、大きな傷跡がぽっかり口を開いている。

 先程の一撃は、黒衣の女性の障壁を砕いたのみならず、魔獣へも攻撃を加えていたのだ。


(やれやれ、笑うしかないわい)


 相手は、彼が全身全霊をもって戦い、かすり傷しか負わせられなかった化け物だ。それをミキモトは、ただ虚空をなでただけで、軽々と大ダメージを与えている。


「グォォォォォオオオオオオオンン!!」


 魔獣の咆哮が響いた。電流が角に集中する。

 あの雷撃砲の先触れだった。ミキモトは無表情でそれを見つめている。

 もしかして、ミキモトはあの技の威力を知らぬのではないか。さすがにダーが危惧し、忠告を加えようとしたときだった。


「あら、面白そうな事をしてるのねエ」


 今度は、甲高い男の声が響いた。正門から何者かが吐き出される。

 新たな闖入者の姿を見ると、これまた見覚えのある男であった。

 その姿。忘れたくても忘れられぬ、全身の線が浮き出た独特の衣装を身にまとった不気味な男。ケイコMAXであった。


「アタクシもお祭り好きなの。ぜひ参加したいわァ」


 言葉を置き去りに、ケイコMAXは疾走していた。

 異常な跳躍力で飛翔する。魔獣へ。


「真空跳び膝蹴りティー・カウ・ロイ

 

 鋭い刃物のような膝が黒魔獣の顎を打ち抜いた。

 よく見ると、ケイコMAXの両足には、ごつごつと装飾のほどこされた琥珀色のブーツが装着されていた。あれが異常な跳躍力の正体だろう。

 魔獣が放とうとした雷撃は、中空へと飛んで霧散する。

 

 次の瞬間、ごとんと大きな音を立てて、右の角が地へ落下した。

 その切断面の鋭利さたるや。あたかも単に、その角のパーツを取り外しただけのように見えるほどだ。ミキモトが再び斬撃を放ったのだ。


「ちょっと何よアナタ、あぶないじゃないのさ!」


 着地したケイコMAXが、じろりとミキモトをねめつける。


「横から割って入ったくせによく言うね。これはボクの得物だね」


「あら。それならどちらが先に仕留めるか、競争といこうじゃないの」


「ほう、面白い提案だね」


 ミキモトとケイコMAXは笑みをかわしあうと、それぞれの必殺技らしきものを魔獣めがけて繰り出した。

 目にもとまらぬ早業で、ミキモトは虚空へ連続突きを放った。


流星連続突きエトワール・フィラント


 ケイコMAXは空中で旋回し、連続して回し蹴りを放った。


空中旋風斬脚チャラケー・ファード・ハーン」 


 轟音が周囲を支配した。誰もがとばっちりを避けようと、頭を地にすりつけるようにして難を逃れた。彼らの頭上では、あたかも突風がダンスを踊っているかのようだった。

 ミキモトは、やがて気取って一礼をすると、剣を鞘に収めた。

 ケイコMAXは、ぽんぽんと黒いタイツに付着した埃を払った。

 ほぼ同時だっただろうか。ふたりはダーと黒魔獣にくるりと背を向けた。

 それが合図だったかのように、先ほどまで立っていた黒魔獣の姿が、見る間に崩れはじめる。

 横に、縦に、巨体がバラバラに崩壊し始めた。

 ダーは崩落に巻き込まれぬよう、じりじりと下がるのが精一杯だった。


「醜いね……実に……ね」 


 やがて、そこには何もなくなった。

 全身が細切れとなったただの肉塊が、地面に転がっているだけだ。座り込んだままのダーを、冷ややかに見つめていたケイコMAXだったが、


「そこに転がってる女はジイさんのお仲間? ワタクシたちの前でさんざんイキってた割に、仲間は見殺しってワケ? ブザマよねェ」


 冷気をまとった言葉で、ダーを切り捨てた。

 一方のミキモトはダーへ、哄笑とともにハンカチを投げてよこす。


「これに懲りたら、クソ雑魚の分際でウロチョロしないことだね。口先だけ威勢のいいドワーフさん。そのハンケチは返さなくていいよ」


 そして出迎えるメンバーに、笑顔で手を振る。

 もちろん彼の仲間たちは興奮気味に、この異世界からの英雄を迎えた。


「さっすがミキモト様、かっこよすぎです!!」


「まるで勝負にもなりませんでしたね」


「もう私メロメロですぅー」


「はははは、キミたち、もっと褒め称えたまえ」


 ミキモトは彼女らをハグしつつ、馬の方へと向かっていく。

 ケイコMAXは彼らのイチャイチャを尻目に、さっさと正門へと去っていった。

 謎の黒衣の女性の姿はどこにもなかった。攻撃に巻き込まれたとは思えぬから、さっさと遁走したと見るのが妥当だろう。 


「さあボクらも町へ入って、愚民どもを安心させてあげようじゃないかね」


 再び馬上の人となった彼らは、ジェルポートの門の中へと消えていった。

 市壁のなかから、潮のような大歓声が起こるのが聞こえた。


「――ケイコMAX様、バンザイ!!!!」


「――ミキモト様、バンザイ!!!」


 ダーはその歓声を、うずくまったまま背中で聞いていた。

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