13 戦いの帰結
ダーは確信していた。
長く生きてきたドワーフの彼だったが、これは全身全霊、すべての力をふりしぼった、生涯最高ともいえる一撃であったと。
――だが、もはや受身を取る余力すらのこっていない。
ダーは脳天からまっさかさまに大地へ落下した。
「……あぶない……」
クロノトールがすかさずダッシュし、受け止めてくれたおかげで、首の骨を折る事態だけは避けられた――ものの、ふたりとも反動でごろごろと横に転がった。
疲労困憊のダーは倒れたまま、もう身を起こすこともできない。
「……だいじょうぶ……?」
クロノが背を支えてくれたおかげで、かろうじて上半身を起こすことができた。
「すまんのう、いつも迷惑をかけて」
「………おとっつあん、それは言わない約束………」
こんな阿呆な会話をしている余裕はないのだが、反撃はなかった。
黒魔獣は鋭角な鼻先を地に埋め込んだ、奇妙な姿勢のまま硬直している。さながら頭上から、見えざる巨人の大いなる槌で顔面を埋め込まれたかのようだった。
死んでいるのか、失神しているのか、怪物は微動だにしない。
ふう、と安堵の吐息を漏らし、ダーはいった。
「……ドワーフを…甘く、見るから……じゃ」
それだけの軽口もやっとの状態だった。
全身を襲う圧倒的な倦怠感。
手足がしびれ、ぶるぶると震えていうことをきかない。
(この手では、しばらく斧も持てまい)
周囲は音もなく、静まり返っている。
どうしたのかダーが見回すと、誰かがつぶやきをもらした。
「――あのドワーフ、やりやがった……」
「すげえ、あの怪物を倒したってのか」
「信じられんパワーだ! 怪物の頭がめりこんでるぞ!」
ぱちぱちぱちぱちと、市壁の歩廊から、怪我をして座り込んだ戦士たちから喝采が起こる。
クロノが誇らしげに、ぎゅっとダーを抱きしめる。
ダーはしびれ、疲労しきった腕をかろうじて上げて、歓声に応えた。
黒魔獣はまだ息があるようだが、打ち所が悪かったか、目がどんよりと濁っている。
脳震盪を起こしているのかもしれなかった。
しかし、また頭を抜かれては元の木阿弥である。事態は一刻を争う。
ダーはすーっと深呼吸をして、精一杯の大声をあげた。
「……今のうちに、人を集めい! とどめを刺すのじゃ」
ダーが、そう叫んだ瞬間だった。
「あら、それは困るのよね」
黒魔獣の傍らに、黒衣の人物が立っている。
まさに空間から湧いて出たとしか形容できぬ。
「この子にはまだ利用価値があるの。もうひとふんばりしてもらわないと、割に合わないのよね」
黒衣の人物――あきらかに女性のようだ――はそう言って、黒魔獣の近くに寄りそい、何事かぼそぼそと小声でつぶやいた。たちまち、白濁化していた怪物の双眸に、意思の光が宿った。
黒衣の女性は、いったい何事を吹き込んだのだろうか。
魔獣は急激に動きはじめた。地中に埋まった角を、どういう魂胆か、さらに地中へと深く埋没させていく。えぐりこむように。深く。
意図を測りかねた一同は、呆然とその様子を見守るしか術がない。
――やがて、その行為がぴたりと止んだ。
(なんじゃ、なにを企んでいる?)
「――いけない! 皆逃げてください!!」
後方から、エクセの悲鳴にも似た叫び声がひびいた。
その声でようやくダーは理解した。黒魔獣の意図を。
地中に突き刺さった鼻先をえぐりこむことにより、一定の空間を作る。
そして―――
まばゆい光が、地中に埋まった黒魔獣の顔の隙間から漏れている。
視界が、灼けた。
(まずいの、このバカ獣は―――)
やけくそなのか、それとも死なばもろともと考えたのか。
鼻先を地中に埋めこんだままの状態で、黒魔獣はあのすさまじい雷撃砲を放ったのだ。
どおおおおおおん、と轟音が響いた。
土が波打ち、砂柱となって立ち上がり、あたり一体を土埃で覆った。
荒れ狂う砂塵の竜巻が、周囲の人々の視界を土色で洗った。
ダーは吹きあがる砂粒の痛みに、両目を閉じる。
戦場で眼を瞑るのは恐怖をともなう。しかしこのまま目を開けていても、眼球を傷つけるだけで、よいことは何一つない。
(こういうときは、下手に動かないほうが得策じゃ)
ダーはこれまでの経験を生かし、そのままの状態で視界が開けるのを待った。
「グルルルルルルルルル」
ごく近距離から重低音のうなり声が聞こえる。
今回ばかりは、最悪の選択をしたようだった。
うっすらと両目を開いたダーの眼前に、ふたつの炎があった。
それは、
額に傷は負わす事ができたが、それは魔獣にとって、さしたるダメージを与えたわけではなかったようだ。
ただ、怒りに火を注いだ。
ダーがやったのは、それだけのことに過ぎない。
(……これが現実というやつか。相変わらず、苦い味覚じゃな)
ダーはふるえる両手に視線を落とした。
斧も持てぬ、立ち上がることもできぬ。
唯一、彼にできることは、声をふりしぼることのみだった。
「クロノトールに命じる! 今より他のメンバーと合流し、戦線を離脱せい」
「…………い、いや………」
「駄々をこねるな。これはドワーフにしかできんことじゃ。おぬしは、おぬしができることを成せ」
「………ドワーフしかできないこと………?」
ダーはにやりと笑った。できるだけ明るい調子で、
「骨肉の硬さは、ドワーフと人間では比較にならぬ。せいぜいこやつを手こずらせてやるわい」
クロノの身が、硬直するのがわかった。
なにかクロノが言い返そうとしたが、会話はそこで打ち切らざるを得なかった。
黒魔獣が巨体を揺らし、ダーに猛然と突進してきたのた。
(まあ、よい。やるだけやったのだ。もう体はぴくりとも動かん)
死を目前に迎え、ダーは意外と落ち着いている自分を発見した。
ここで果てるのは無念な気もしないでもないが、かなりの刻は稼いだ。
ルカががんばっていたようだし、負傷者も逃げる事ができただろう。
だが、仲間にしたばかりの、未熟な三人の冒険者のことを考えると、いささか胸が痛まないでもない。
再び仲間に死なれるのは、つらいことに違いないだろう。
(まあ今回は、ちょっくらワシが抜けるだけじゃ。エクセならば、良い方向へやつらを導いてくれるじゃろ)
――やがて。
衝撃が、ダーをつらぬいた。
だが、意識があった。
「なにごとが生じた……?」
ダーは後方へはじきとばされたものの、死んでいなかった。
その足元に、黒いものがぼたぼたとしたたり落ちる。
においでわかる。
血であった。
見上げると、黒魔獣の顔があった。
その鼻先に、なにかがぶらさがっていた。
背中から、紅く染まった角を生やしている、クロノトールの体だった。
彼女は、命令を守れなかった。
その身を挺してダーを守ったのだ。
クロノの巨体は、ピンで留められた虫のように、ぐったりと宙に浮いている。
黒魔獣がクロノを抜こうと、顔をさかんに左右に振った。
その四肢は、意思をもたぬ人形のように、ぷらぷらと左右に揺れる。
やがて、鼻先の角から抜けたクロノの肉体は、受身をとることもなく、どさりと大きな音を立てて大地に投げ出された。
クロノトールは、ぴくりとも動かない。
うつぶせの状態で倒れている。
その身体の下から水たまりのような、大量の血が地にあふれている。
ダーはふるえる手で、自らの足をなぐりつけた。何度も何度も。
立てる。まだ立てる。
歯を食いしばり、ふらふらとダーは立ち上がった。
周囲を見渡すと、戦斧は、そこにあった。
「待っておるがいい。すぐそこへ行くぞ……」
かろうじて指に引っ掛けるかたちで、ダーは斧を引きずりながら、ゆっくりと黒魔獣に近寄っていった。
希望はない。
だが、一矢でも報いてやる。
決然とダーが前を向くと、暗いなにかが彼の頭上に陰を落としていた。
黒魔獣の巨大な足の裏が、無慈悲にダーの頭上へと落下する。
黒衣の女性の哄笑がひびいた。その決意をあざ笑うかのように。
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