12 ジェルポートの町、震撼す その3

 奇襲は完全に失敗した。

 ダーとクロノトールの渾身の一撃は、あっさりと鼻先の角で受け流され、弾き返された。

 黒魔獣はよろめいたふたりを、すかさず巨大な前足で踏み潰そうとする。

 頭上から振り下ろされる、巨人の大槌のような足裏。

 ずしんと轟音をひびかせ、大槌は地をうがつ。

 クロノは、円形闘技場で磨いた敏捷さでかわしている。

 ダーも横に回転して身をかわしつつ、それを次の攻撃とつなげる。


「―――食らいおれ!!」


 振り下ろされた前足へ向かい、ダーは遠心力を加えながら、ぐっと両手で握りしめた戦斧を、全力で叩きこんだ。

 かれ得意の、地摺り旋風斧だ。

 いかなるモンスターも、この一撃で粉砕できなかったことはなかった。

 だが、この怪物は違った。手ごたえがない。


「――な、なんじゃと……?」


 表皮と筋肉で打撃を吸収し、刃が通らないのだ。

 これにはダーも瞠目するしかない。

 この動揺による隙を見逃さず、口から黒い瘴気のようなものをはなつ黒魔獣。

 しかしダーには効果はない。これは事前にかけてもらったルカの、聖なる加護によるものだ。

 効かぬとみるや、黒魔獣はすかさず開いた巨大な顎で、ダーを噛みちぎろうとする。


(ふん、ドワーフの肉は硬くてまずいぞ)


 ダーは砲丸のように、ごろごろと後転して、かろうじてこれを回避した。

「―――シュッ」と、掛け声がもれる。

 空間を噛んだ黒魔獣の横顔に、すかさずクロノトールが斬撃をくわえたのだ。

――激しい不協和音。

 これも通らない。

 黒魔獣はすかさず頭を振り、それを鼻先の角で受けたのだ。

 巨体の割に、隙らしきものが見当たらない。

 クロノはなおも剣で斬撃を加えるが、それをことごとく角で弾きかえす。

 まるで剣同士が切り結ぶような、拮抗した勝負となっている。

 ダーはクロノを援護すべく、低空から斧を振り回す。

 しかしやはり皮膚を貫けない。膠着状態がつづく。


「こいつは、いよいよまずいわい……」


 黒魔獣のほうは、あきらかに本気ではない。

 ダーは長年の経験で、相手が余力を残しているのを感じとっている。

 弄ばれているのだ。

 一方のクロノとダーは、初っ端から全力で攻撃を加えている。

 その消耗度は刻がたつにつれ、顕著となってきた。

 おそらく戦闘は、この遊びに敵が飽いたとき、決着がつくのだろう。


―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―



「――クソッ! なんなんだ、こいつ」


 コニンはひとり悪態をついた。弓に矢を番える。

 ふたりを援護すべく、遠方から黒魔獣めがけてひたすら矢を放つ。

 だが、どこもかしこも硬く、まともに矢が通らない。

 物理攻撃でどうにかできる相手では無さそうだった。

 コニンは途方に暮れていた。攻撃の手を緩めてはいないものの、心は折れかけている。自分のやっていることにどんな意味があるのか、その意義が見出せない。

 

 ふと見ると、市壁上の矢狭間からも、ジェルポート内の護衛兵たちが矢の雨を降らせている。 歩廊アリュールから大きな岩を投じる者もいる。 

 彼らも立ち向かうふたりを援護しようとしてくれているのだろう。

 だが、誰が見ても、無意味な行為だった。

 背中の甲羅に遮られ、援護にすらなっていない。

 逆に怪物がズシンズシンと地響きを立て、市壁を揺らすたびに、あわてて歩廊にしゃがみこみ、転落をかろうじて防いでいる有様だった。

 事実上、まともに戦っているのは、クロノとダー、ふたりだけだ。

 

「どうすりゃいいんだ、オッサン……」


 オークの大群に襲われたとき、自分たちはあまりに未熟だった。

 その後、ダーとエクセという歴戦の兵と出会い、パーティーの一員となり、確実に成長を遂げたはずだった。

 だが………。いや、悩んでいる場合じゃない。

 セットの態勢から、ドローイング、放つ。

――当っている。しかし、まるで効いていない。

 自分の弓では、この怪物に手傷すら負わせられないのだ。

 知らず知らずのうちに、コニンは目に涙を浮かべていた。

 フルカ村で味わった、あの屈辱。

 もう二度と後悔しないために、毎日のように練習した努力はなんだったのか。

 あのとき以上の無力感にさいなまれるとは、コニンは想像もしていなかった。

 

―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―

 


 ルカは負傷兵の傍らに座り、祈りの言葉を捧げている。

 大地母神センテスの加護が、自らの身体を通って、怪我をしている戦士へと流れ込むのがわかった。ルカディナの| 回復の奇跡(ヒーリング)は、彼女が教えを受けたセンテス教学院では、同期で並ぶものとてないトップクラスの実力であった。これだけは、と彼女が誇りを持っている 技術スキルでもある。

 その効果は絶大だった。治癒効果は眼に見えて現われ、うめくだけで身動きも出来なかった幾人かは、千鳥足ながらも動けるようになったのだ。


「さあ、立てますか、今のうちにあちらへ―――」


「……あ、ありがたい、強いのだな、あんたらは……」


 ルカは気遣わしげに背後を見やった。

 あの二人は、確かにあの黒魔獣と渡り合っている。

 しかし、それは戦いというには程遠く、適当にあしらわれているといった方が正確ではないか。

 かろうじて刻を稼いでいるのだ。命を削って。

 抗魔の加護を授けているものの、いつまで持つかは彼女にも分からない。

 

(やるしかない、か……) 

 

 彼女に与えられた選択肢は、それほど多くはない。

 でも、まだ生きている人はいる。助けられる命がある。

 ひたすら動いて、一人でも多くの負傷兵を避難させる。

 今できることをルカは懸命にやるしかなかった。


―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―


 

 エクセ=リアンは、黒衣の人物が展開している結界で、まともに呪文が通らないので、最もはがゆい思いを抱いていた。これほどまでに強力な結界を張る人間など、彼の記憶の範疇には存在しない。

 とすれば、これは魔王軍の魔道師と考えるのが妥当だろう。

 

「何かまだ、できることがあるはず―――」


 どうすればあの黒衣の人物の魔力をかいくぐり、ふたりに援護ができるのか。エクセは必死になって頭を働かせている。

 そもそも、あのゴブリンや怪物はどうやってここへ現れたのか。

 それこそ人の往来も激しいジェルポートである。誰の眼にもつかず、見張りにも発見されず、ここまで到達すること事態が不自然のきわみである。

 あたかも天から降ってわいたかとしか思えない。

 その疑問はフルカ村で、オークの集団と遭遇したときから、ずっとエクセの胸中を占めていた。


――いや、そのことは今はいい。

 エクセ=リアンにはまだ、奥の手となる最大魔法の存在があった。それを出すことができれば、この窮地を脱することができるだろう。これまで結界で防がれるということになれば、完全にお手上げである。

 しかも、あまりにも膨大なマナを消費する呪文でもある。

 ここからジェルポートの魔法学院まで行き、助力を仰ぐか。いや、とてもこの短時間で、どうにかできるものではない。

 ではどうする――どうすればふたりを救うことができるだろう。


(考えるのです、何か最善の策を―――いや?)


 彼だけが、異変に気づいた。最前線で戦っている二人より先に。

 ひっそりとだが黒魔獣の両角に、ほのかな光が宿りつつある。

 あのすさまじい雷撃の前ぶれであった。


「―――ふたりとも、雷撃がきますよ!!」


 エクセは、大声で注意を喚起した。



―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―


 

 もはやお遊びもこれまで、ということなのだろう。

 エクセの叫び声の直後、急速に両角に光が集約しつつある。

 食らえば跡形も残らないであろう雷撃砲。

 しかしダーはむしろ、これを 僥倖チャンスと捉えた。


 この瞬間だけは、敵が動かないのは明白だった。

―――おそらく勝機はここしかない。


「よし、クロノ、ワシを空へ放り投げろ!」


 ダーは助走をつけると、全力でクロノへとダッシュした。

 クロノはくるっとダーに向き直り、片膝をついた。

 突進してくるダーの足を受け止めると、その怪力で、一気に空へと投げ上げた。

 ダーは、翔んだ。


 やがてダーは、黒魔獣の頭上で失速した。

 身をねじり、空中でぐるぐると回転する。

 地摺り旋風斧の応用――横回転を縦回転に変える。

  

「おぬしのその大技は―――」


 重力を加えた戦斧の一撃を、気合もろとも黒魔獣の脳天に叩き落す。

 いってみれば、これは 『天空縦旋風斧バーチカル・ローリング・アックス』だ。


「溜めが長いんじゃよ―――ッ!!」


 裂帛の気合がダーの口からほとばしる。

 すさまじい轟音と共に、黒魔獣の鼻先が大地へ突き刺さった。

 会心の一撃―――。

 初めてダーの斬撃が効いたのだ。


 

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