15 いつだって、支える。

 ジェルポートの町が歓喜に沸いているころ―――

 

 彼ら――ダー・ヤーケンウッフのパーティーだけは、まだ市壁外にいた。

 市壁内の騒ぎとは対照的に、先ほどまでの死闘がウソのように、壁の外はすべてが静まり返っていた。

 まるで色の落ちた世界のなかを、エクセ=リアンだけが動いている。

 かれは呆然とへたりこんでいる、旧くからの友人のもとで足をとめる。

 ダーは、ただ一点を見つめ続けていた。市壁のなかを見通せるがごとき顔で。

 そして、独白するようにつぶやいた。


「すごいもんじゃのう、勇者専用の装備というものは……」


「そうですね。確かに――」


 エクセも不承不承という態で、首肯する。

 すごいという形容詞すら、陳腐に感じるほどだった。

 もっとはっきりいってしまえば、めちゃくちゃであった。

 あの武器には攻撃範囲という概念がないのだろうか。破壊力も異常すぎる。

 

 ジェルポートの護衛兵をほぼ全滅においやり、彼ら熟練の戦士も軽くあしらう――それほどまでの力を誇った黒魔獣を、一瞬でばらばらの肉塊に変えてしまった。


 個人単位の武器が、それほどまでの破壊力を持っている。

 あの武器があれば、魔法も戦術も必要あるまい。

 いや、軍隊すら不必要では、とエクセ=リアンは思った。

 勇者の装備の攻撃力の前では、かえって巻き込まれてしまい、足手まといになる可能性が高い。

 

(――あれが四つ揃えば、どういうことになるのでしょう)


 たとえ魔王といえど、ひとたまりもないのではないか。 

 その事実は、これまで勇者の装備を研究したいと考えていたエクセですら、愉快な気持ちにはなれなかった。

 エクセはこの、唐突に芽生えた不思議な感情に戸惑った。


(どうしてこのような気持ちになったのでしょう、私は――)


 なるべく自己の感情を抑え、客観的に考えようとつとめる。

 そして、はた、と理解にいきあたった。

 長いエルフの生のほとんどを費やし、エクセは魔術の研究に没頭してきた。

 人間であれば、何代にわたる作業となるのだろう。それだけ歳月をかけ、ひたすら魔法の研鑽を積んできた努力を、あの武具ひとつで、すべてひっくり返されたような――つまるところ、己の価値観を根底から破壊される程の――とてつもない衝撃を受けたのだ。


(そうか、私の四神魔術など、この武器ひとふりにすら及ばぬのかと、全否定されたかのように感じたのだ。私は―――)


 どさっと音がして、エクセは思考の迷宮から抜け出した。

 ふとみると、ダーが仰向けになっている。立ち上がろうとして失敗したのだ。

 ダーはごろっと回転してうつ伏せになると、四つんばいの体勢から再度、立ち上がろうと試みる。


「無理をしてはいけません。あなたの体力は底をついているのですよ」


「―――クロノ、クロノトールはどこかのう?」


 ダーは周囲を見渡し、血だまりの海に沈んでいる女戦士の姿をみつけた。

 その傍らには、目に涙を浮かべて回復の奇跡を行うルカの姿がある。


「その場から動いてはいけません、いいですね」 


 エクセはダーに念を押すと、ルカに駆け寄り、クロノの容態を尋ねる。


「――わかりません。治癒の奇跡は行いましたが、血が流れすぎていますし、まったく動く気配がないのです。もし、魂がすでに肉体から離れてしまっていたら……」


 そのあとは言葉にならなかった。ルカは両眼から涙を溢れさせている。

 コニンも近寄ってきた。慰めるように彼女の頭をやさしく撫でる。

 ずるずると地を這う音がする。芋虫のように這い蹲りながらダーがやってきた。


「だめですダー、動いては。ルカ、回復呪文を――」


「ワシにではなく、クロノに――」


「もう、やっています」


「そうか、ならば大丈夫じゃな。傷は塞がっておるのじゃろ?」


 ダーは穏やかな声でルカに訊く。ルカはくしゃくしゃの顔のままで、


「傷口はふさがりましたが、意識が……」


「なに。疲れて眠っておるんじゃろう。じゃあ、帰るか、みんなでの」


―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*― 


 ダーは、何をどこで違えてしまったか、ずっと考えていた。

 それは現実逃避のようなものでもあり、違う気もする。

 ただ思い知ったのは、己の圧倒的な力量不足であった。

 自分の非力さが、ひとりの献身的な女性を死に追いやったのではないか。


「――いや、死んではおらぬ」


 ダーは己に言い聞かせるようにつぶやく。

 栗色の髪をなびかせて、ルカが彼の傍らに駆け寄ってくる。そしてすばやく回復の奇跡をつむぐ。

 効果はあった。いささか体力が戻ったように感じる。


「さあ、帰ろうな、クロノ」

 

 ダーは緩慢な動作で身を起こすと、倒れ伏せているクロノトールの下にもぐりこむように巨体を背負った。

 

「駄目ですよ、まだあなたはそこまで体力が回復していない筈――」


 ルカの声は驚きに彩られている。

 エクセのため息が聞こえる。思えば、彼らにも無理を強いてしまった。


「ワシは闘いで死ぬならば本望じゃと、ずっと思っておった……」


 ダーはクロノの体を背負ったまま、ずしん、ずしんと歩き始めた。

 だが、体格が違いすぎる。

 ずるずると彼女の爪先を引きずる格好になっていた。

 それでもクロノは、何の反応も示さない。


「しかし、怖いのう、怖くなった……」


「――いま、なんと言いました?」


 エクセの水のような表情が、こわばっていくのが見える。

 確かにダーは、彼の前で弱音を吐くなど、五十年間のつきあいで一度もしなかったように思う。

 だが、おのれ自身でも理解できぬほど、口がとまらない。


「ワシは常に戦場では、命を惜しんだことがない。そうせぬと勝てんからな。じゃが、ワシの身代わりになって命を捨てようとする者を見るのは……怖いのう」


 ダーは両膝が、自分のいうことを利かぬようになってきたのを感じた。

 部品の外れた玩具のように、ガクガクと震えて止まらない。

 もとより、微塵も馬力の残っていない状態だった自分へ、ルカが回復の奇跡で力を与えてくれた。その力が尽きようとしている。おそらく、ルカのマナも限界に近かったのだろう。


「――オッサン、無茶だぜ」


 コニンとルカが気遣わしげに、彼の周囲に近寄った。

 エクセもそうだった。彼の肩を支えようと、手を伸ばしたとき――

 ふいにダーは、ふらふらとよろめいた。

 エクセはあわてたように、ダーの体を横から抱きとめた。


「………ワシは負けたのう」


 ダーは、か細い声でぼそりとつぶやいた。


「いいえ。まだ、負けていませんよ」


「……勝機などまったくなかった。にも関わらず、ワシは意地だけであの化け物に立ち向かったのだ。その結果がこれじゃ……」


 ダーは、背中にぐったりと乗ったクロノを目線で示した。


「確かに| あの男(ミキモト)の言うとおり、ワシは醜いおとこじゃった」


 激闘を物語るように、エクセのローブはボロボロになり、腕部分がはだけてしまっていた。

 そこに、液体がかかった。

 まるで溶岩のように熱い液体が、ダーの頬をつたった。

 エクセは一瞬、驚いたように口を開いた。しかし幾度か頷くと、慈悲深き女神のような眼差しで、彼を見つめる。

 長い生をほこるエクセですら、ドワーフが泣くなどという場面に遭遇したことがなかったのかも知れない。ダーも人前で涙するなど、はじめてのことだった。

 だが、硬い岩盤もいつしか砕ける。ドワーフも涙するのだ。 


「支えますよ、私が――」


 エクセが、つぶやいた。白くか細い手に、力を感じる。

 ダーの肩に、ぽとりと宝石のようにひとしずくの水滴がこぼれた。

 見上げると透明なひとすじの涙が、彼の頬にも流れていた。


「いつだって、支えます」


 冷静沈着な彼が涙する姿を見たのは、いつが最後だったろうか。

 ダーを支える手が増えていった。

 コニンの手が、ルカの手が、ともにダーを支えていた。


「オレたちだって、支えるさ」


 不思議な光景だった。大きな人間を担ぐドワーフ。そしてそれを支える三人。

 みな、頬を涙で濡らしている。


「ははは、ひどい顔じゃな。みんな」


 ダーは笑った。


「オッサンこそな」


 コニンが涙を流しながら、白い歯をみせた。

 ダーはこのとき心に誓った。どのような強風にも揺らがぬ、荒野に立つ一本の樹。

 己がみなを支える、大樹になるのだと。

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