第39話三十五、木梨之軽太子と衣通王(禁断の愛)の神話
三十五、木梨之軽太子と衣通王(禁断の愛)の神話
●天皇が崩御なされて後に、木梨之軽太子(きなしのかるひきみこ)を、皇位継承者として、まだ即位されてない間に、太子は同母妹の軽大郎女と不倫の愛を結び、歌ったと言う。
山田を作り
山が高いので 通水菅を地面下に走らせる
そのように人目を忍んで通いに 私が問いする妹を
忍び泣きして 泣く私の妻を
今夜こそは 心ゆくまで肌を触れ合っている
これは志良宜歌である。また歌っている。
笹の葉に 霰がしたしたと打つ
そのように確かに 共寝できた後ならば
人心が自分から離れ去っても ええままよ
いとしいので 供寝さえできたら
人の心が乱れるなら乱れよ
共寝さえできたなら
これは夷振の上歌である。
こうしたことがあって、多くの官人たち、天下の民は、軽太子に背を向けて、弟の穴穂御子(おおほみこ)に心を寄せた。この世情に、軽太子は恐れをなして、大前小前宿祢大臣(おおまえこまえすくねおおうみ)の家に逃げ込んで、武器を作り不穏な情勢に備えた。
その時に作った矢は、そして穴穂御子も武器を作った。個々で軍を起こしたのは穴穂御子で、大前小前宿祢の家を取り囲んだ。そして、家の前に着いて門の所で、大雨が降った。そこで歌って詠まれた。
大前小前宿祢の 金具飾り門の蔭
我の如くに 寄って来い 大前小前宿祢よ
ここで雨の止むのを一緒に待とう
この時に、その家の主の大前小前宿祢が、同意と恭順のしぐさで、手を振り上げ、膝を打ち、舞踊り、歌いながら、穴穂御子の許に参上をした。その歌に言う、
宮廷の人が 袴を結ぶ紐に着けた小鈴が
落ちたと 宮人たちがうろたえている
我が里人よ 慎重に慎重に
この歌は宮人振である。このような歌いつつ御子の許に参り「我が天皇でいらしゃる御子よ。同母兄の御子に兵士を向けなさいますな。もし兵を向けになさると、必ず世の人が笑うでしょう。私が拘束してお引き渡しをしましょう」と申した。
そこで穴穂御子は、軍を解散し引き上げられた。
そこで、大前小前宿祢は、軽太子を拘束し伴い参上し引き渡した。その軽太子は拘束されて、歌っていう。
軽の乙女よ
穴らがひどく泣くと
しっかりと 寄って寝てからお行きなさい
軽の乙女ら
そして
その軽太子を、伊予の温泉に流刑に処した。またその流そうとした時に、軽太子が歌った。
天高く飛ぶ 鳥も伝言の使者
鶴の声が 聞こえたならば
私の名を告げ 私の消息を聞いてほしい
この三首の歌は、天田振である。
また 歌って言う、
大君でる私を 島に放遂したなら
必ず帰って来るぞ
それまで私の座席の畳は慎んでそのままに
言葉で畳というけれど
まことは私の妻 おまえが慎んで私の無事を斎ってくれ
この歌は、夷振(ひなふり)の片下である。その衣通王が、兄であり夫である軽太子に歌を献上をした。
あいねの浜の
蠣の貝殻に 足を踏みにならないように
夜が明けてからお初ちになって
それから、その後にまた、太子を恋い慕う気持ちに耐え切れずに、太子の後を追って行った時の歌っていう。
あなたの出かけから 長い日が経ちました
お迎えに行きます
このまま待つのでは 待ちきれません
そして衣通大郎女が、軽太子の所に追って到着した時に、太子が待ちきれずに、歌った詠まれた。
泊瀬山の
高い丘には 旗を振り立て
低い丘には 旗を張り立て
大丘と小丘よ そのように自分たちも夫婦の仲と決めている
いとしいつまよ ああ
臥している時も
起きている時も
行く末もずっと見守っていく
いとしい妻よ
また、歌って詠まれた。
泊瀬川の
上流には 斎い清めた杙を打ち立て
下流には 同じ聖なる杙を打ち立て
清めの杙には 鏡を取り付け
聖なる杙には 玉を取り掛ける
その立派な美しいたまのように 私を大事に思う妻よ
その澄んで明らかな鏡のように 私が大事に思う妻よ
おまえが家を訪れよう 故郷を偲ぼうが
今おまえはここにきて私と一緒だ
このように歌って、二人は一緒に心中をした。そして、二首は詠み歌である。●
☆木梨之軽太子と衣通神話・天皇が崩御されて、次の天皇はキナシノカルノ王に決まっていた。
即位のないままに、その同母妹カルノ大郎女と密通をした。
異母兄弟はあっても、同母姉妹は禁断の恋であった。
だがこの禁断の恋の場面は純粋な愛に彩られていた。
そして純愛を歌にしたためて、歌に詠みあげている。
古代の時代でも異母兄弟の愛は密かに愛を交わされたが、同母の兄妹は許されることはなかった。カルノ太子とカルノ大郎女は歌垣で歌われた。
この密通事件で、朝廷の官吏や国民は、カルノ太子に背いて、アナホノ御子の心を寄せた。そこで恐ろしくなったカルノ太子は大前小前宿祢の家に逃げ込んだが、アナホノ御子は軍勢を起こした。
そこで宿祢は「兄弟に兵を差し向ければ世間は笑うでしょう」と言って、宿祢自身が太子を捕えて差し出した。そのカルノ太子は伊予の湯に流された。
ソトホリノ王(カルノ大郎女)は流されたカルノ太子に恋い焦がれ、歌を詠まれた。
そこでソトホリノ王はカルノ太子に後追って、二人は会われ、心中をされた。
悲恋物語の兄妹愛、禁断の恋ゆえに悲劇で悲しく、美しく描かれている『古事記』の憧憬である。
その節々に歌が詠まれ、語れた編である。互いに歌を詠みあう二つの歌は「読歌」と言う歌である。
☆歌垣・上世は男女が山や市などの集まって互に歌を詠み交わし舞踏(踊り舞った)遊んだ行事・一種の求婚方式で性的解放の場が設けられた。男女互に手を取り合って歌い恋を語る場であろう。
この歌垣が有って皇族の社交界が有ったのは『古事記』が古代を描いた真実に近い説話と思える。
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