第36話三十二、仁徳帝の女性遍歴の神話
三十二、仁徳帝の女性遍歴の神話
①吉備の黒日売
その皇后石之日売命(いわのひめみこと)は、嫉妬をされること多かった。それでも天皇がお召になろうとすると妃は宮中に入ることもできず、妃のだれかと噂が立つと、皇后は足をばたつかせて嫉妬をしたのである。
それでも、天皇は、吉備の海部直(あまべあたい)の娘の、名は黒日売が、その容貌が整って美しいと聞かれて、召された。
しかし黒日売を皇后の嫉妬深いことを知って、国元に帰ってしまった。天皇は高殿の上に
出られて、黒日売の乗る船が海に浮かんでいるのを遠望し、歌い仰せになった。
沖のかたには 小舟が連なっている
刀身のように美しい我が妻が
故郷へ帰ってしまう
すると、皇后はこの歌を聞き、たいそうお怒りになり、難波の大浦に人を遣り、黒日売を船の上から追い落とし、足で歩かせた。
そこで天皇は、黒日売を恋慕され、皇后を騙し「淡路島を見たいと」仰せられ、お行きになった時に、淡路島に着きになられ、遥かに遠くを見られ、歌い仰せになった。
難波の埼から
船出して 我が治める国を見渡すと
淡島 淤能碁呂島(おのころじま)
蒲葵の生える 島も見える
遠く離れた島も見える
そこで天皇は、淡路島から島伝いに、吉備の国に行かれた。そして、黒日売は、天皇をその国の山手に案内し、お食事を差し上げた。
この時天皇が召し上がって頂く熱い吸い物を煮ようと、その土地に高菜を摘んでいると、天皇は乙女が高菜を摘んでいる所に行かれて、歌って仰せになられた。
山の手の畑に 蒔いた高菜も
吉備の乙女と 一緒に摘むと
実に楽しい
天皇が都に帰られて行かれる時に、黒日売は歌を献上をした。
大和の方へ 西風が吹きあげると
雲も東の方へ離れ 遠退いていく そのような陛下から離れていようとも
わたしは陛下のことを忘れることはありません
また歌っていう
大和の方へ 行くのは誰の夫か 我が陛下
隠れ水の 地下を流れ行くようにして
人知れず行くのは誰の夫か 我が陛下です●
☆仁徳帝の女性を巡る説話語訳・聖帝と言われた仁徳帝も女性を巡る説話は絶えることが無かったようである。
それにつけても皇后の嫉妬深さは定評であったらしく、常軌を逸してる面を見ることが出来る。
イハノヒメノ命皇后の、その嫉妬深さを何時の世にも変わらぬ描き方でつづられて、リアルな女の性を表現されている。
特に吉備の女のクロヒメについての嫉妬は尋常ではないものがある、クロヒメ物語の初めはからヤタノワキイラツメへと移っていくが、クロヒメに関しては出身が巨大な勢力を誇った吉備地方の豪族とされている。
クロヒメは「吉備の海部直の女」と言われている。
現在に残る造山古墳や作山古墳にあるような瀬戸内海を中心に勢力を持って、大和朝廷とは緊密な関係にあったようである。
噂の容姿端麗に仁徳天皇の召されても、初の難波への宮廷入りも意地悪く表現され、それに増して天皇が心傾ける。その後、また天皇の寵愛ぶりは地理的に淡路から吉備まで足を延ばされる心情は、愛おしさ故、それがますます皇后の怒りを買う。
またその経緯を歌に寄せて、切々に訴え歌詞の表れ、西洋の抒情詩にある甘美なものである。
皇后の嫉妬に耐え切れず故郷の吉備に帰ってしまう。
そして天皇は思い切って淡路島へ、少しでも近くに、近くに行けば、一層行く決意に、会われて青菜摘みなど楽しい日々は流れた。やがて都の帰る時に歌は慕情が募る。吉備から天皇は都に帰られる時に、歌の込めて別れを惜しむ歌に綴られている。
☆この説話の場面を見ても天皇のクロヒメへの寵愛と情愛はこの上の無いほどに、歌に詠まれて愛しい恋心は皇后の激しい嫉妬の中でも激しくも上がる情景が歌の節々に読み込まれている。
この頃には吉備の豪族や、氏族の娘を朝廷に仕える風習で容姿や美人は噂によって天皇の耳にいる事が有って天皇は召された。
また豪族の容姿の良い娘は宮廷に召されて天皇の寵愛を受ければ氏族の有利な地位名誉が得られるので、進んで差し出したのであろう。
仁徳天皇は女性への道には旺盛で、その噂は多く残されている。
天皇の愛や恋は歌によって顕されて残されている。和歌はこう言った天皇や皇后の思いを歌に寄せて確立されて、育まれ残されていったのではないだろうか。
こう言った天皇を巡る女性の話の問題は絶えなかった。
嫉妬ゆえに天皇は他の女性に走る、そう言った悪循環が夫婦間にますます距離間が生まれ、二人に最早修復の見込みがなかったようで、皇后の強権ぶりも今日にある恐妻家ぶりを彷彿とさせている。古事記にこう言った天皇家の夫婦円満からかけ離れた状況を赤裸々に説話として記述として記されているのも珍しいものがある。
②皇后石之比売命
この時より後、皇后が新嘗祭(にいなめさい)の酒宴の為にと、御綱柏(みつなかしわ)を採りに、紀伊国に行かれている間に、天皇は八田若郎女(やたわかいらつめ)と結婚された。
その時皇后は御網柏をいっぱいに載せて御帰りになり時で、水取りの役所に使われていた。吉備国の児島郡の仕丁が任期を終えて故郷に船で帰る途中、難波の大渡りで、後れてきた皇后付の女官蔵人女の船とばったり出遭った。
そこで仕丁が蔵人女に語って「天皇は近頃八田若郎女と結婚されました、夜ごと戯れていらしゃる。もしやこの事を御存じではないから気楽に出かけていらしゃる。」と言った。
そしてその蔵人女は、この仕丁の語る言葉を聞くと、皇后の船に近ずくと、申し上げる様子は、事細やかに仕丁の通りであった。
この事で、皇后はたいそう恨みお怒りになり、その御船に載せてあった御網柏をみな海に捨ててしまわれた。この事から、その場所に名付けて御津埼と言う。
皇后はそのまま宮廷に入らず、御船に網を掛け、人力で曳かせ、宮殿を避け、難波堀江を遡り、淀川の流れに出てそのまま、山城に上がって行かれた。この時に歌って言われた。
山城川を
川を遡上し わたしが上って行くと
川の岸辺に 生えて立つ 鳥草樹よ
鳥草樹の木
その下に生い立つ
葉の広い 清らかな椿
その花のように 輝いていらっしゃり
その葉のように 寛かに大きくいらしゃるのは
陛下でいらしゃることよ
その山城川を曲り、木津川を奈良山の、山の入り口まで行かれた、そして歌われた。
山城川を
皇居をさしおいて上がり わたしが遡って行くと
奈良山を過ぎ
大和過ぎ
わたしが 見たい国は
葛城の 高宮の
わたしの家あたり
このように歌って、道に戻られ、しばらく綴喜の韓人の、名は奴理能美という人の家に入られた。
天皇は、その皇后が山城川を上がって来られたことを知り、舎人の、名は鳥山と言う人を派遣し、鳥山にお歌を送って歌われ仰せになられた。
山城で追いつけ鳥山よ
追いつけ追いつけ 我が愛しい妻に
追いついてくれ会ってくれ
また続いて、丸迹臣口子を派遣して、歌って仰せになった
御諸山の その高みにある狩場の
大猪子が原 獲物が大猪の腹にある肝
心だけでも
思わず合わずにいられないものか
また歌って仰せになった。
山城の女
木の鍬を持って 畑打ち起こした大根
その根の白さ 白い腕を
交わさずに来たと言うのなら 知らなおと言ってもいいけれど
この様に、この口子臣(くちこおみ)が、天皇の御歌を皇后に申し上げる時に、大雨が降った。しかし口子臣はその雨を避けず、御殿の正面口に、参り伏すと、皇后は裏戸口に行き違いに出られになり、口子臣が御殿の裏戸口に参り伏す、皇后が正面口に、行き違いに出られる。
また正面腹這い進んで行き、前庭に跪いた時に、庭のたまり水が腰まで浸かり、その口子臣は、紅い紐のついた藍の摺り染めの衣を着ていた。水たまりに紅い紐が触れたので、青い衣服は皆紅色に変わった。
ちょうどこの時に、口子臣の妹の口比売が皇后にお仕えしていた。そこに、この口比売が歌ってる。
山城の 筒木宮で
ものを申し上げる わたしの兄上を見ると
涙がこぼれてしまいそう
この歌に、皇后がその分けを尋ねられた時に、答えて「あれなるは、私の兄、口子臣でございます」と申した。
この事があって、口子臣は、また口比売と奴理能美と三人で相談し、天皇の許に使いをだし、申し上げさせて「皇后がこちらにおいでになられた訳は、奴理能美(ぬいのみ)が飼っている虫で、一度は這う虫になり、一度は繭(まゆ)になる虫で、一度は飛ぶ鳥になる、三様に姿を変える不思議な虫がおります。
皇后はこの虫をご覧になろうとされただけで、奴理能美の家におられるだけです。まったく他意はございません。」と言った。このように申し上げた時天皇は「そうか、我も不思議に思う、だから見に行きたいぞ」と仰せになられた。
天皇が高津の大宮から淀川を上げって行きになり、奴理能美の家に入りになってない時に、奴理能美は自分の飼っている三通りに変化する虫を、皇后に献上した。
そして、天皇はその皇后がいらっしゃる御殿の戸口にお立ちになり、お歌いになって仰せになられた。
山城の女が
木の鍬を持って 畑打ち起こした大根
その葉が擦れ合うようにざわざわと あなたが 言立てるから
見渡すと 桑の木がたくさんの枝を立てているように
大勢でやって来たのだ
この、天皇と皇后とが応対になった六首の歌は、志都歌の歌返しである。
③八田若郎女
天皇は八田若郎女を恋しく思われ、御歌を使者に持たせ賜った。その歌を仰せになった。
八田の 一本菅は
子もなく 立ち枯れてしまうのか
もったいない菅原の一本菅よ
言葉では 菅原と言うが
もったいない菅原と言うが
もったいない清々しい女よ
それに、八田若郎女を 答えて歌って言う、
八田の 一本菅は 独りのままで結構です
陛下が それでよいと思しめすのなら
独りのままで ようございます
そして、八田若郎女の御名代として、八田部を定めた。●
☆仁徳天皇のクロヒメへの浮気から天皇と皇后イワノヒメとの関係は大きな溝が出来て修復不可能な状態が続いた。
この事が有って後に、皇后は新嘗祭の酒宴の準備に、酒を盛る為の御綱柏を採取するために紀伊の国に出かけられた。
皇后の留守の間に天皇はヤタノワキ郎女と結婚された。
この事を知らず皇后は御綱柏を船に満載をして帰ってこられた時、水取司に使わされている吉備国の児島の人夫が、自分が国に帰る時に,難波の大渡りで皇后の船に遅れた倉人女の乗った船に出会って。その人夫が倉人女に天皇の様子をしゃべった「天皇はこの頃ヤタノワキ郎女に、昼も夜も戯れ遊んでおられる、その事を知らずに皇后は遊びに出かけておられる」と言った。
そこで倉人女は人夫の聞いたことを皇后の船に近づいてその有様を告口をした。
そこで皇后は怒り怨んで、今まで積んできた御綱柏を全部海に投げ捨てられた。
そして怒りは治まらず皇居に入らずに、御船を引いて皇居を避けるように堀江を遡り、川の流れに従って淀川を山城に向かって上がって行かれた。
そして歌に詠まれ淀川を更に遡り、木津川を上げって行き、皇后の実家の辺り、葛城の高宮に向かわれていく道中の自然の風景叙情的に歌に詠まれた。
心情としては愛する天皇に裏切られて他の女に情愛を寄せられて、はかなく、空しく自分の生まれ育った葛城に思いを寄せての旅であった。
この事を知った天皇は皇后を追った。再び皇后をいとしく思われて、会おうとされたが、皇后は避けられてなかなか会おうとされない。
互に御殿の裏表の入り口の行き違いが有って、天皇と皇后の間を取り持つ家臣の口子臣の妹は兄の苦労に涙がこぼれてしまうと、歌に詠まれた。
山城の 筒木宮で
ものを申し上げる 私の兄を見ると
涙がこぼれてしまいそう
④速総別王(はやふさわけみこ)と女鳥王
また天皇は、その弟の速総別王を仲人として、異母妹の
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