第30話二十六、神功皇后の新羅新征神話

二十六、神功皇后の新羅新征神話


●天皇崩御(ほうぎょ)と神託

その皇后は、息長帯日売命(おきながたらしひめみこと)は、当時は神がかり(神託)をされた。

折から、天皇は筑紫の香椎宮(かしいみや)に行かれて、熊襲国を討とうとなさった時に、天皇はお琴を弾かれて、建内宿祢(たけうちすくね)大臣は祭場に在り、神託を求められた。

この時に皇后についた神が、語り教えとして、「西の方に国がある。金・銀を始めとして光り輝く珍しい宝物が多くある国はある。我、今その国を帰属させよう」と言われた。

ところが天皇は「高い所に上がって西の方を見ても、国土は見えず、ただ大海ばかり」と申した。

天皇は偽りを言う神だと思いになって、琴を押しやり、弾くことを止め、黙られてしまわれた。

すると神はひどく怒られて「もはやこの天下は、あなたが統治される国ではない、あなたは一筋の道を行きなさい」と言われた。

そこで建内宿祢大臣は「恐れ多いことです、我天皇。そのまま琴を弾きください」と申した。

それでゆっくりとお琴を引き寄せて、生半可に引いておられた、それから間もなく琴の音が聞こえなくなり。そこで火を差し上げて見ると、天皇は崩御されていた。

この様な有様を、驚き恐れて、殯宮(もがりみや)に安置申し上げ、その儀礼を執り行い、さらに国事として祓い捧げものを供えて、生きたものの獣の皮をはぐ罪、獣の皮を逆さに剥ぐ罪、田の畔を破る罪、田を引く水の溝を埋める罪、神域に糞を放つ罪、親子の姦淫の罪、馬・犬・鳥との獣姦の罪など、国家の罪、穢れを払って、また再度建内宿祢が祭場に居て、信託を求めた。

ここの於いて神の教えの有様の一つ一つ前の日の通りで神は「押しなべてこの国は、皇后の体内におられる御子が統治なさる国である」と言われた。建内宿祢が「恐れ多くも我大神、大神の依り憑いておられる御子は、どちらの子でしょうか」と申すと、大神が答えて「男子である」と答えられた。

宿祢は仔細に大神に願いを求めて「今このように教えて諭される大神は、どなたでしょうか、そのお名前を知りたく思います」と申すと、

答えてに「この託宣は天照大御神の御心意である。また我住吉神の底筒男(そこつつおとこ)・中筒男(なかつつおとこ)・上筒男(うわつつおとこ)の三代大神である。今更西方の国を求められるならば、天神・地神・また山の神、海・河の諸神の悉くに供え物を奉り、お祭りし、我住吉神の御霊を、西征の船上に鎮座させて,真木の灰を瓢箪(ひょうたん)に入れ、また箸と木の葉の皿を多く作り、全て大海に撒き散らし浮べて航海するがよい」と言われた。●


☆神功皇后新羅親征の神話・この神功皇后と神罰を受け仲哀天皇の対照的な描き方は、意図的に天皇の無能ぶりを演出している。

熊襲討伐に仲哀天皇と神功皇后と出向き、香椎宮での説話は神がかりに神託に威光を得ようと神功皇后はお告げを味方に天皇の意向を変えようとしたと、受け取れる。

天皇は琴を弾き、神功皇后の神がかりな、海の向こうの、海の向こうの金銀の宝物の国を帰属させようと提案、その国とは新羅国である。ところが仲哀天皇は熊襲征伐が先と、新羅征伐に乗り気がなく、神の神託を疑った。神の怒りはすさまじく「この国はそなたが統治すべき国ではない死の国に一直線に進が良い」と宣告された。

そして琴を弾いていた時、突然、崩御された。亡き天皇の葬儀は丁重に厳粛に執り行われ、神罰と思われる、ありとあらゆるものの犯した国、人の全ての罪や穢れを祓い清めて、再び神の教えを求めた。この国を統治される御子は、皇后の体内におられる。御子は男女の分けの問いに「男子である」のお告げ、この神託の御心の問いに、天照大御神と住吉神三神である。

西の国に求めるならば、住吉大神三神と諸神に西征の船に祭、充分な供え物と、大海に浮べて航海すればよいと、お告げがあった。

そこで、大神の教えの通り、軍勢を整え、船を並べて、海を並べて航海された時に、海の魚の大小、全て一緒に御船を背負って渡った。すると強い追い風が吹き起こり、御船は波に乗った。その御船に押し進めた大波は新羅の国に寄せあがり、国土の半ばまで来た。

その国王は恐れはばかり「今からは天皇の仰せのまま、新羅は天皇の馬の飼育掛となり、毎年船を連ね、船の腹を乾かさず、棹・梶の乾く間もなく、天地のある限り、絶えることなくお仕え申します」と申した。

そうした次第で新羅国を御馬飼いと定め、百済国を海彼の屯家を定めた。そして皇后は、御杖を新羅の国王の城門を衝きて立て、住吉大神の荒御魂(あらみたま)を国を守る神として鎮めて、海を渡りなさった。

何れにせよ仲哀天皇の不思議な死去は謎が残る。神の神託とはいえ、仲哀天皇の御子に未来を託しその正統性を強調している。

☆神宮皇后は神のお告げの通り、船を並べ軍勢を整え、魚まで船の後押しをして新羅の半ばまで来た。新羅の国王が恐れ入って服従の意を示し、馬飼うになって天皇に仕えると約束、国王の門に御杖を突き立て、住吉神の御魂を鎮め祭って帰国した。

新羅征伐説は非現実で歴史学者の認識である。神功皇后の華々しい活躍は、仲哀天皇の皇位を改めて正統性のある後継を膳立てする、後日書き食えられた、演出ではないだろうか、成務天皇自体の存在性が薄いので、この辺りの政変があっての継続性に筋書きが変更されたと思われる。

☆武内宿祢・孝元天皇の曾孫、伝承上の人物、成務・仲哀・応神・仁徳天皇に仕えた長寿の大臣、蘇我氏を始め多くの氏族の祖となる氏族の祖、神功皇后の場合神の神託を聞く「審神者の役割を果たす。弟の味師内宿祢の讒言に対し盟神探湯で潔白を証明をする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る