第25話二十一、意富多々泥古(おおたねこ)の神話
二十一、意富多々泥古(おおたねこ)の神話
●崇神天皇の御世に、疫病が盛んに流行って、国民が絶えてしまう程であった。天皇は心配され、神の信託を得ようと床に就かれ眠ろうとされた夜に、大物主神の御夢にはっきりと現れて「この疫病は、私が引き起こしたもので、意富多々泥古によって、私を祭ってくださるならば、国も安らかになるであろう」とお告げがあった。
そこで早馬の使者を四方に分けて出し、意富多々泥古と言う人を探し求めたところ、河内国の美怒村でその人見つけた、そしてその人を献上した。
天皇はその人に「お前は誰の子だ」と尋ねられた。
するとその者は「私は大物主神が、陶津耳命(すえつみみみこと)の娘の活玉依毗売(いくたまよりひめ)と結婚をして生んだ子の、名は櫛御方命(くしみかたみこと)の、またその子の飯肩巣見命(いいかたすみみこと)、さらにその子の建甕遣命(たけみかずらみこと)の子が、私を含め意富多々泥古であります。」と答えた。
これを聞き天皇はたいそう喜ばれて「これで天下泰平になる、人民は栄えるであろう」と意富多々泥古命を神主として、御諸山に、大三輪神社の神である大物主神をお祭りになったと言う。
また伊迦賀色許男命に命じて、多数の祭の甕を作り、祭るべき天の神、地の神の社を定め申し上げた。
また宇陀の墨坂神には、赤色の楯と矛を供えて祭り、また大坂神には黒色の楯と矛を供えて祭理、また坂の綾線部の神及び河の瀬の神に至るまで、全て漏れなく、供え物を献上をした。それによって、疫病は全く止んで、国家は平安になった。●
☆崇神天皇の時代に疫病が大流行、国を憂いて、神の宣託を求め寝ていて現れた神が、大物主神、子孫の意富多々泥古よって、自分を祀らせれば、禍はおさまるであろうとお告げがあった、そこで意富多々泥古を手分けして探したところ、河内国に居ることが分り、オオタヒコネを探し出し朝廷に差し出した、オオタヒコネは答えて「オオモノヌシがスエツミミを妻として生んだ子の名はクシミカタの子、その子イヒカタスミノの子ノタケミカズチノの子が私なのです」と答えて、オオタヒコネを三輪神社の神主として、オオモノヌシに関わる品々を丁重に祭った所、疫病はすっかり止んで、国は平穏になった。
三輪神社の神主として祭らせると疫病や災害が収まった。以後、神々の地祇天神を丁重に祀らせた。
国津神の大物主神が我を祭れの告げには、大和朝廷が完全に畿内を掌握が出来ていなく、先住国津種族の調和を示すためにも大物主神を祭ったと思われる。また大物主神の四代後の子孫の三輪社の祭祀者とすることにも、何か深い意味が有ったのかも知れない。「古事記」にはこの三輪の大物主神の説話を含めて三話が記載されている。
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