第22話十八、熊野より大和の神話
十八、熊野より大和の神話
●態勢を立て直したイワレビコ軍の一行は紀伊半島を迂回、ようやく熊野村に着いた時に、大きな熊が現れ、直ぐに姿を消した。
その時である、イワレビコは突然、毒気に当てられ、意識を失ってその場に倒れた。
また同行の兵士たちも正気を失い次々と倒れて行った。
この時にこの地に住む高倉下(たかくじら)が太刀を持って毒気で臥せっているイワレビコの許に献上をした。
するとたちまち天孫のイワレビコは意識を取り戻されて「長く眠り込んでしまった」と言って太刀を手に熊野の悪しき霊威を振り払った。
その太刀の威力で同行の兵士たちは全員、意識が戻り起き上がった。
イワレビコは高倉下にその太刀はどうして手に入れた。
問われて高倉下は答えて「私が夢を見て天上界からのお告げでアマテラス大神、タカキ神が『地上界ではたいそう騒がしく子孫が苦しんでいるようである。タケミカズチよ、もう一度地上に行きなさい』と命じられた」タケミカズチは「私が天降りをしなくても、地上を平定した太刀が有ります」と言って高倉下の倉の棟板(むないた)の穴から落とされたものだった。
タケミカズチから「朝の目覚めの良いしるしに天孫の御子に持参しなさい」と夢のお告げが有ったことを、イワレビコに申した。
そしてタカギ大神の言葉を高倉下がお伝え申した。「天つ神の御子よ、ここより奥に入ってはいけません。
危険な神々が待ち構えております。
道案内に八咫烏(やたがらす)をお送りします」その言葉伝えの後に八咫烏が現れ、その後について行った所、吉野河の河口に着かれた。
その時、川では魚を取っているものを見て「お前は誰だ」と問われて、「私は国つ神で名は贄持之子(にえもつのこ)と申します」と答えた。
そこから少し行った所に尾の生えた人が井戸から出てきた。そこでお前は誰か」の問いに「国つ神で、名を井氷鹿と申します」さらに奥を進むと岩を押しのけて尾の生えた者に出会った。
「おまえは誰か」の問いに「私は国つ神で、岩押分之子と申します、今天孫の御子が来られる聞きお迎えに参りました」と答えた。
こういった地元の怪しげな者どもはイワレビコを歓迎し待っていたこと分った。
イワレビコは吉野から山岳を踏み分けて越えて、宇陀に行かれた。そこでこの地を宇陀の穿(うかち)と言う。
こうしてついた宇陀には、兄ウカシ・弟ウカシの二人がいた。八咫烏を使いに出され尋ねさせた。
「いま天つ神の御子孫さまが来られている、お前たちはお仕えするか」すると兄のウカシは八咫烏を鏑矢を射って追い返し戦いの意思を表した。
所が兵を招集したが集まらず、「お仕えします」と偽って従う意思を表した。
兄ウカシは大きな建屋を作り、その建屋に誘い込み仕掛けた押し潰し機を作成している間に、弟ウカシはイワレビコにお迎えに行き挨拶してから、兄の策略を報告した。
「兄のウカシは天孫の御子の使者を追い返し、迎え撃とうとしたが軍勢が集まらず、押機を仕掛け建屋を作り、その中に誘い込み殺そうとしております」と申した。
そこでイワレビコの軍勢の大伴連らの祖先の道臣、久米直の祖先の大久米の二人が、兄ウカシを呼び付け問いただした。
太刀、矛を突きだされた兄ウカシは自分の作った押機に討たれ押しつぶされて死んだ。
さらにその死体を引き出されバラバラにされ、まき散らされた。
弟ウカシは数々の御馳走を献上し、その御馳走は全て兵士らに下された。
そこで勝利の宴の久米歌が歌わられた。
久米歌
“宇陀の、山の狩場に、鴫罠(かもわな)を張る、そして私が待っていると、鴫はかからず・・・・・
えー、シャゴシャ。これはざま―みろの意味。
あー、シャゴシャ。嘲り笑う意である。
歌声に合わせ一挙に斬り付け。
忍坂の 大室屋に 人多に 来入り居り みつみつし 久米の子 ・・・・・・・
かく歌ひて 刀を抜きて一時に打ち殺しき。・・・・・・・・
兵士たちは太刀を抜いて土雲を滅ぼした。
その後、トミビコを討とうと歌ってる。
伊勢国の海、大きな石が、這い回っている。・・・・・・
磯城の地の兄師木と弟師木を討った時、少し疲れたが歌っている。
伊那佐山の、木々の間より、通りつつ抜けつつ見張りつつ・・・“
この様にイワレビコの軍勢は雄叫びを挙げながら、勇ましく進軍をしていると、天上よりニギハヤヒコ神が参上してきた。
「天孫の御子が天下られたと聞き、自分も後を追って馳せ参じました」天上界の者の証の玉を献上してお仕え申し上げることになった。
このニギヤヒコ神はトミビコの妹のタミヤビメと結婚をして生まれた子がウマシマジである。
この様にしてイワレビコは荒荒しい神どもを平定し、抵抗し服従しない者どもを追い払って、畝傍(うねび)の橿原宮において天下を統治された。●
☆熊野より大和の神話
イワレビコ命は男水門から廻って熊野村に着いた。大きな熊が草木の中から見え隠れをした。するとイワレビコ命は毒気に当てられて病み、また兵士たちも正気を失って倒れた。
この時高倉下が一振りの太刀を持ち、天津神の御子孫であるイワレビコ命が臥せっている所に献上すると、天津神の御子孫は悪気から醒めて起き「長い間眠り込んでしまったな」と言われた。そこで太刀を受け取れられて、熊野の悪しき霊威を振り払う神は、太刀によってすべて切り倒せられた。
同じに倒れていた兵士たちも、皆醒めて起きあがった。
そこでイワレビコ命は高倉下にその太刀をどうして手に入れたか尋ねられた、高倉下は答えて「私が見た夢で天照大御神・高木神の二神の御命令に建御雷神(たけみかずちかみ)を招き「葦原中国が騒がしい、われわれ子孫が悩んでいるようだ、その葦原中国はお前が平定した国、もう一度建御雷神よ、降りなさい」と仰せになった。
そこで建御雷神は答えて「私が天降りをしなくても、全てこの国を平定した太刀がります。この太刀を降しましょう。
この太刀を降ろすには、高倉下の倉の棟板を破り開けた穴から入れましょう」とそして建御雷神は私に「朝の目覚めの良い瑞として、お前が天津神の御子孫に献上しなさい」と言われた。
そこでその教えの通り明け方、自分の倉を見ると太刀がありました」それ故この太刀を献上する次第です。そして高木大神の諭(さとし)と申せば「天津神の御子孫よ、ここより奥に入ってはいけない。
荒々しい神が多数いる。今すぐ天上界から八咫烏を行かせよう。そして八咫烏に案内をさせよう、飛び立つその後ついて行きなさい」と申した。その指示の通り八咫烏の飛び立つ後を付いて行かれた。
吉野河の河口に着かれ、その時筌(竹で作ったもんどり)を作って魚を獲っている人がいた。イワレビコ命一行は「お前は誰か」と問われた。
答えて「私は国つ神の贄持之子と申します」奇怪な物との出会いを後に分け進むんだ。
この地から出られると、尾の生えた人が、井戸の中から出てきた。
「お前は誰だ」と問いに、答えて「私は国津神で井氷鹿と申します」更に吉野の山に入ると、尾の生えた人に出会った。
また尾の生えた人がやってきた。そこで「お前は誰だ」と問うと、答えて「私は国津神で岩押分之子と申します、今天津神の天孫のお出かけと聞き、それで参りました」と申した。
イワレビコ命は吉野から山地を踏み貫き越えて、宇陀にお行きなった。そこは宇陀の穿(しらないところをあばく)と言うのである。
こうして到着した宇陀には、兄宇迦斯・弟宇迦斯の二人がいた。そこで八咫烏を遣いに出して二人に問うた。
「いま、天津神の御子孫が来られるのでお前たちはお仕え申すか」とい言った。
すると兄の宇迦斯は鏑矢で、使者の八咫烏を射り追い返した。
その時に落ちた鏑矢の所を「訶夫羅前」と言う。
兄宇迦斯は「迎え撃とうではないか」と言って、地域の部族の軍を集めた。しかし兵は十分に集められなかった。
ここので「お仕え申します」と偽って、大きな建物を作り、その中に踏めば圧殺する仕掛け作り、待っている間に、弟宇迦斯が迎えに参上した。
礼拝し「私の兄の宇迦斯は、天津神の御子孫の使者を射て追い返し、迎え撃つために軍勢を集めようとしたが集まらないので、建物作り、その中に押機の罠を作り用意をしております、そのためにお迎えに参上したわけです」と申し上げた。
そこで大伴連らの先祖道臣命、久米直(あたらい)先祖の大久米命の二人は兄宇迦斯を呼び、罵って「きさまが作ってお仕えしようとした建物には、何が作ってあるか自分が先に入って詳細に明らかにせよ」と言って、太刀の柄を掴み、矛を突き出した途端に、自分が作った押し機に討たれて死んだ。
そこで死体を取り出し,切り刻み巻き散らした。その地を宇陀の血原と言った。
弟宇迦斯が献上した御馳走は全て、兵士に下さった。
☆イワレビコが窮地の時にまたもや天上から救の手が差し伸べられる。
それが高倉下はタケミカヅチがアマテラス大神とタカキ神の指示で地上界に下された。その剣は国譲りの折に使った剣である。
☆この時にイワレビコ一行に従い協力する氏族が大伴連、道臣、久米直などである。
☆忍坂から進まれて大窪室に着かれた所に、尾の生えた土雲が居て、一行を待ちかまえる。
その土雲に料理を御馳走し、宴をの歌を聞いたら、一斉に切りつけよと支持された。
そこに勇敢な久米部兵士が武器を持って、土雲を打ちのめした。
久米部の作っている畑に、臭気の強い韮を一本引き抜くように数珠つなぎに敵を捕まえ捕えるぞ、また敵から受た痛手は山椒を口に入れた時のように忘れないぞ、伊勢の海に石に生えている細螺(小さな貝)を根こそぎとってしまうぞ、この歌は敵をやっつける有様を鼓舞した様子を誇らしげに歌う。
◇土雲(土蜘蛛)大和王権に従わなかった土豪、氏族などを指す。
このようにイワレビコ命の一行が進軍していると、迹芸速日命が参上してきた。
「天津神の御子孫が天降れたと聞きました。そこで自分も後を追って降ってまいりました。」と申し上げた。天上界の者であるしるしの玉を献上しお仕えもし上げることになった。
この迹芸速日命と登美毗古の妹と結婚した子供が宇麻志麻遅命である。
◇(注)この宇麻志麻遅命の子孫が物部氏・穂積氏・綵臣である。
◇久米氏が繁栄したのが、もともと南西地方の隼人系の氏族で海人系の民であった。久米歌には戦闘的な気勢を上げるような歌詞になっているが、久米部は宮廷の軍事面を携わっていた。
◇久米歌は忍坂の八十建、登美のナガスネビコ、磯城のアシキ・オトシキを帰順させ東征を完了した物語の宮廷歌謡である。
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