第6話「神話の死後の世界」

「神話の死後の世界」

●黄泉の国のイザナキ神の逃げる場面は喜劇の活劇場面のように、イザナミ神が追手に物を投げつけると投げたものが形を変え、山葡萄(やまぶどう)に生え変わって、食べ物に代わり、追手がそれを食って、尚追いかけてくる発想は面白い。食している間の時間稼ぎである。追手の醜女は喰い終わるや、また追いかけてくる。

追手に向かって桃を実を呪術を使って追い返した場面も天上の神々に程遠い行為であるが、神々にも呪術の存在をさりげなく挿入すると事の古事記のファンタジーな面である。物語の筋書きも夫婦の情愛と生死を分けた境界を比良坂を設定し光景が浮かび上がってくるものである。

黄泉の国は地下にあって死後の世界、仏教にある地獄界にあたると思われる。苦しみの世界として捉えられ、神話の世界では天上界に永遠に住み続けるものと黄泉の国に住まなければならない者とあるようであるが、イザナミノの死に関してのみが黄泉の国がでてくる。

イザナミ神が死んで何故に黄泉の国に行かなければならなかったかについての理由付けは説話には記されていない。

愛するイザナミ神を取り戻すために黄泉の国にやって来たイザナミ神は、条件をと約束を言いつけられる。天地を創建したイザナギ神と言えども黄泉の国の掟は守らなければならない。

“愛しき我がなに妹の命よ、吾と汝と作れる国、いまだ作り竟へず。故、還るべし”

とイザナギ神か愛する妻を取り返すために懇願する。

夫婦の情念が滲み出る。又見立ては成らない掟を破り覗き込む、約束を破り見てしまう。ギリシャ神話や、イザナミ神が黄泉の国の食物を口にして帰還できなかった話は『霊異記』『今昔物語集』にも見受けられる。約束を破って見てしまい説話も浦島太郎の玉手箱や、鶴の恩返しに約束の場を見て反故になる民話や伝説に多く見られる。

黄泉の国は地獄の世界に類似した恐ろしい世界として表現している。

イザナミ神の体に蛆が蝕む話、体の中に雷が這い回りうごめき回る光景を記されている。また追いかけてくる形相は醜く描かれている。

幾ら愛する妻イザナミ神でも醜い形相を見れば愛想が尽くと言うもの、最後にはイザナミ神は恨み言を言っては追手と共に黄泉の境界線まできて互いに名付けて決別をする。●


○死後の世界の憧憬・神道の世界では死は忌み嫌い、不浄のものとして伝えられ、古今東西の宗教教義・経典や教えでも決して讃美されて顕されていない。死後の世界は忌み嫌い、誰もが死を恐れ不吉な物として捉えているからである。仏教でも生前の行いによって死後の世界は地獄と極楽域とに分けられている。『記紀』では死後の世界は「黄泉の国」と「根之国」と「葦原国」と「高天原」に分別している。

広辞苑では「葦原国」は日本の国を表し、地上に存在する世界であろう。『記紀』では人間は葦原国の住人として表わされている。

★説話の解説=仏教でも宗教にとって死後の世界は最も重要な問題である。恐ろしく未知の世界である。恐怖と不安は神道にとっても仏教にとっても心情は変わらないのが人間の性と言うべきなのである。

人間には死は避けても避けられない宿命を負っていて、それをどう捉えて位置づけが必要になって来るかである。仏教の死後の世界は「来世」極楽浄土、地獄などと表わされているが、神道の世界は不浄の世界として「黄泉の国」として顕されている。


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