第17話「敵は誰、敵はどこ?」

 直線で並んだカイエンのGT-Rが、そのまま右コーナーへと突入する。

 インをがっちりと抑えられ、そのラインの外側をイオタはなぞるしかできなかった。当たり前だが、コーナーワークにおいてインを突くことは常道セオリーとされている。そして、GT-Rは完全にグリップ走行でそのまま立ち上がった。

 アテーサが四つのタイヤのパワーをコントロールする。

 ハイパワーを無駄なく使って、コーナーを出るやGT-Rは加速した。


「くっ、離される……あの音、800馬力は出てるぞ。その力をフルに効率よく使える。GT-Rだからこそできる芸当だ」


 歯噛はがみするイオタを置き去りに、どんどん差が開く。

 完全にしてやられた、見事なカウンターアタックだった。相手が卑劣な龍操者ドラグランナーという評判に、イオタはついつい無駄な警戒心をとがらされていたのだ。

 ただ純粋に、速さを競う。

 そのことを少しだけ、忘れていたのだ。

 そして、カイエンは正攻法で抜き去った……後方からイオタの力量を観察し、熟知したホームの強さをかしたのだ。ほんのわずかな直線でも、GT-Rなら並べる……そのまま横並びでインを取れば、前に出られるのだ。

 遠ざかるメフィストフェレスの声が、イオタの失態を指摘して去る。


「クハハッ! お前はワシとカイエンが、なにかしかけてくるのではと警戒した! 疑心暗鬼ぎしんあんきしょうず……腕も龍走騎ドラグーンもこちらが上、策をろうするまでもないぃ!」


 歴代GT-Rに継承されてきた、左右に並ぶ丸ランプのテールが遠ざかる。

 イオタも必死にアクセルを空けるが、その差はカーブのたびに縮まり、そして離れてゆく。勝つためには抜かなければいけないが、すでにもう並ぶことすら許されない状況におちいっていた。

 そうこうしている間に、中盤の時間が消耗されてゆく。

 コースは終盤戦、地下室へと突入する。巨大な下り階段の上には、鉄の板で一本道が作られていた。ガタゴトと揺れるCR-Zが、いやがおうにもイオタの不安をあおる。

 取り返しのつかないミスをした、そう思っていたその時だった。


「マスター、諦めないでください」

「……ルシファー」

「チャンスは必ず巡ってきます。そのチャンスをものにするために……今は全力全開で喰らいついていきましょう。私も全ての力を出し切ります……ですから、マスターも」


 いつになく熱っぽい声で、ルシファーが画面の中からこちらを見詰めてくる。

 そう、チャンスはいつだって巡ってくる。

 大小の差こそあれ、勝負を諦めない限り勝機は常にある。そして、諦めない心がチャンスを勝利に繋げてゆくのだ。だから、意気消沈してチャンスを見落とすようなことがあってはいけない。

 イオタは自分に気合を入れ直して、地下の荒れた路面を走り出した。


「そう、だな。勝負を捨てる人間に、バトルを走る資格はない。……まだ、バトルは終わっていない!」

「はい。その意気です、マスター! 全力で補佐します!」


 ハンドルを握り直し、薄暗い中でイオタは前を向く。

 フロントガラスの向こうに、まだGT-Rは見えている。どうやら向こうは、勝負あったと見たようだ。だが、もしそうなら好都合である。油断と慢心はミスを呼ぶ。それは追いかけるイオタにとって、付け入るすきになるのだ。

 落ち着いて深呼吸、現状の把握に務めて合理性を働かせる。

 思考をクリアにして、あるがままの現実をイオタは受け入れた。


「抜かれて、離された。でも、思っていたよりは離されていない」

「ええ。距離にして約15m……コーナーの進入時には追いつきます」

「でも、前に出ることができない。並ぶことも難しい」

「向こうはこのまま安全運転で逃げ切る構えですね……ガチガチにインを固めてますわ」

「つまり……相手より長い距離を、相手より速く走ることになるね」


 左右に牢屋ろうやが並ぶ中を、二台の龍走騎ドラグーンが疾走する。

 恐らく太古の昔、巨人族の王は騎士達と共にこの城で覇を唱えていた。この地下は、敵の捕虜を捕まえ尋問、拷問した後に閉じ込めておく牢なのだ。

 広大な地下のスペースに、縁陣エンジンの音がこだまする。

 右に左にとコースはうねって、ついに上り階段の坂に差し掛かった。

 ここから先は、冒険者がまだ調査中の区画だ。


「ん、ギャラリーが……冒険者がチラホラいるね。ここはまだ、攻略中の場所なんだ」


 冒険者には昼も夜もない。まして、多額の金品をカイエン達スカイライナーズに払ったのだ。一度入った以上、限界まで探索したいだろう。

 歓声を浴びながら、少しずつイオタの集中力が極限状態へと研ぎ澄まされた。

 数cmという単位で、GT-Rとの距離が縮まってゆく。

 あとはゴールすれば勝ちだと思っているのか、カイエンは酷く安全マージンを大きく取っている。しっかり減速してコーナーリング、そしてスピンに気をつけながら縁陣エンジン全開で立ち上がる。

 対して、イオタは危険な綱渡りタイトロープを始めた。

 限界まで攻めて、コンマの向こうの数字を切り詰めていゆく。


「ルシファー、ゴメン……ギリギリで行くけど」

「私はマスターを信じます。この龍走騎ドラグーンに招かれた時より、私の命はマスターのもの……ただ全力で、持てる魔力の全てを出し切るのみですわ」


 乱雑に置かれた本の間を、GT-Rを追って馳せる。

 サイドミラーが、インコーナーの巨大な古文書をかすった。

 それでもイオタは、集中力を切らさず前だけを見詰めて走る。

 同時に、バケットシートに座る腰からの情報を敏感に拾ってゆく。CR-ZはFF駆動、フロントタイヤのグリップ力が全てだ。当然、バトルの後半になればタイヤは。熱に絶えきれず、どんどんグリップ力が抜けてゆくのだ。

 いつも以上に飛ばしている、普段の100%を超えた限界の先へ飛び込んでいる。

 だからこそ、消耗の激しいタイヤをイオタは気遣った。

 最後のチャンスが訪れた時に備えて、温存しながらも攻める。


「マスター、GT-Rとの距離が縮まっています。次のコーナー、並べます!」

「アウトから抜くか? S字はもうない、カウンターアタックは無理だ」


 確かに先程よりGT-Rのボリューミーな尻が大きく見える。

 S字コーナーであれば、アウトで侵入した時……逆コーナーの出口でインになれる。

 しかし、もうゴールまでS字コーナーは存在しない。

 ひたすらにれながらも、イオタの精神力は耐えていた。周囲の景色は、だんだんゆっくりと流れてゆく。骸骨ガイコツのモンスターと戦う冒険者達、彷徨さまようように巡回しているゴーレム、そして応援の声を張り上げる者達……その全てが知覚できる。

 そして、ぐるりと巨人の古城を回る形でゴールが近付いてきた。

 自分を信じて、カレラが待ってるゴールである。

 その頃にはもう、イオタのCR-ZはノーズをGT-Rに当てるか当てないかの場所に連なっていた。まるで糸に結ばれ繋がったように、密着の距離に迫る。


「Rの走りが……カイエンの走りが、変わった」

「ええ、マスター。感じます……メフィストフェレスの焦り、動揺が」

「カイエンの正統派なテクニック、これはぶれてない。でも……確かに縁陣エンジンの音が変わった」


 今、前方の二人はどんな言葉を交わしているのだろうか?

 先程より少し、GT-Rの動きが重くて鈍い気がする。

 そこには、このまま安定して勝ちを収めたいカイエンと、イオタのまさかの奮戦に臆病を刺激されたメフィストフェレス、二人の気持ちがぶつかり合って揺れているようだ。

 最終コーナーを前に、いよいよイオタは余力を振り絞る。

 そして、GT-Rの挙動が変わった。

 メフィストフェレスの声も、心なしか上ずっている。


「しつこいっ! ワシ等の勝ちは揺るがん! 揺るがんが……善戦、奮戦というのは許せんなァ! このままゴールされてなるものか、最後に潰れろォ!」


 振り向くメフィストフェレスを乗せたまま、GT-Rが最後の左コーナーに突入する。

 しかも、今までとは違って車体が横滑りしていた。

 道幅いっぱいを使うようにして、イオタのラインを全て潰してくる。もちろん、スピードは落ちる……基本的に龍走騎ドラグーン、車はドリフト中は失速状態なのだ。滑っているということは、タイヤがグリップ力を失っているのである。

 恐らく、カイエンはサイドブレーキをきっかけに使って、パワースライドを誘発させた。

 まるでラリーのワンシーンを見ているように、GT-Rが目の前に横たわる。

 その時、イオタは最後の力を爆発させた。


「露骨に妨害してきた! スピードを捨ててまで! ……その隙を、見逃さ、ないっ!」


 ややRのきつい左コーナーのド真ん中に、GT-Rの車体がある。

 裏門へと抜ける道で、薄汚れた巨人族の鎧や兜が転がっていた。道はその中を貫いていて、左右に障害物が壁となってそそり立つ。

 エスケープゾーンは、ない。

 コンパクトなCR-Zでも、通る場所がないように見えた。

 だが、そう見えていてもイオタは肌で感じている。

 全身が、タイヤの手応えを掴んでいる。


「クファファファファ! 小僧、全てのラインを殺したァ! カイエンの勝ち、だ――!?」

「どうかな? マシンコントロールには自信がある……インをこじ開けるっ!」


 確かに今、道は塞がれている。

 だが、そのためにGT-Rはズルズルとアンダーステアを……コーナーの外側へと流れていく慣性を受け止めていた。重いGT-Rは、タイヤに掛かる負荷も大きい。以下にアテーサが優れたシステムでも、タイヤの消耗を押さえるには腕が必要だ。

 カイエンは速くて強い男だった。

 しかし、相棒として信頼すべきだったメフィストフェレスが、自分に負けたのだ。

 GT-Rは、失速状態のままでズルズルとラインを膨らませてゆく。

 イオタは最低限の減速でブレーキを踏みつつ、アクセルを離さない。

 CR-Zは、インに突き立つ巨大な盾にバンパーをこすりながら、GT-Rを紙一重で避ける。その間ずっと、温存していたグリップ力が確かに地面を掴んで蹴り出す。


「ゲェッ! くっ、くそぉ! カイエン、何をやっている! 最後の直線でブチ抜けば」

「さて、ルシファー」

「はい! このまま行きますっ!」


 緩やかな弧を描いて、CR-Zが加速する。本来積まれているHONDAのVTECブイテックエンジンさながらに、抜けるようないい音が響いた。

 シフトアップで加速するイオタの前に、ギャラリー達が集まるゴールが見えてきた。

 背後ではまだ、半ば制御不能になったGT-Rが前を向けないでいる。

 CR-ZはFF駆動だが、クイックリーな機敏さがコーナーワークで威力を発揮するのだ。あらゆる速度領域でのグリップ走行が可能で、時折後輪が慣性に負けてドリフト状態に流れる。

 それでも、イオタの繊細にして大胆なドライビングは、ルシファーの力をしっかりと路面に伝えて走るのだった。

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