第11話「迫る暴君、忍び寄る魔王」
イオタは、集中力をトップギアへと叩き込む。
すぐ背後には、殺気を
自己犠牲、それはイオタの最も嫌うものだ。
勇者としての戦いを断った、もう一つの理由でもある。
「くっ、追いつかれる……ルシファー、大丈夫かい? 昨夜の疲れは?」
「私は平気です、マスター。ですが」
「ああ、わかってる! くっ……車体が重いっ!」
トランクには、この先の都バイゼルハイムで納品する
加えて言えば、今日は二人の少女が同乗している。
人間の重さだけでも、普段の三倍なのだ。
しかし、その計算に非難と抗議の声があがる。
「私は重くないわ! なにを言ってるの、イオタ。キミね……失礼しちゃうわ」
「そうだよー! わたしだって重くないもん! 女の子にそんなこと言うの、めーっ! だよっ」
隣から、そして背後からの視線が痛い。
はいはいそうですかと苦笑しつつ、イオタはハンドルを
このままバイゼルハイムまで連れて行く訳にはいかない。
それ以前に、追いつかれた時点でCR-Zは
タイラントボアの突進は恐るべき威力で、森の大樹さえ用意に倒してしまうのだ。
「それはそうと、イオタ! とりあえず
「手はあるんですかっ!?」
「もち! 長い直線なら、私が後ろへ大きな魔法を使える。街道も傷付けずに済むし、元よりあの橋は旧世紀の遺物。頑丈にできてるのよ」
「……やっぱり、前から思ってたんだけど……あの橋って」
ふと、イオタの脳裏を自分の時代が過る。
交通の要衝となっている突風谷ノ大橋堡を、以前どこかで見たような気がするのだ。この王国周辺が、昔の地球でどの国にあるかはわからない。だが、数千年もの時間が経っていて、その間に文明は滅んでしまった。
そんな遠未来に放り出されたイオタにとっては、少し気になるのだ。
「ふええ、追いつかれちゃうよぉ」
情けない声を後ろで零すリトナは、ベルトをして小さく縮こまっている。
逆に、隣のカレラには少し余裕が感じられた。
だが、イオタが横目で見やる彼女は、以外な言葉を口にした。
「なに? 余裕そうに見える?」
「ええ。それが頼もしいな、って」
「私だって怖いわよ……ある意味、魔王の軍勢より野生のモンスターの方が厄介だわ。奴等はただ生きるため、この世界で
「でも、
「当たり前でしょ? さ、前だけ見てアクセルを踏んで」
話していたら、少し気持ちが落ち着いてきた。
同時に、ゆるい上りをCR-Zが疾走する。
普段とは違うハンドリングの手触りを、確かめるようにしてイオタは走った。すでに全開も全開、全力全開走行である。
そして、普段よりも重いことも不利なだけではないと気付いた。
二人分の体重と荷物が、トラクション……地を蹴るタイヤの力を支えてくれている。重量が増したことは、それだけ車体にかかる荷重が大きくなることを意味していた。
さらに、徐々にイオタが重い車体に慣れ始める。
「ルシファー、飛ばすよ……頼む!」
「了解、マスター! ありったけの魔力を!」
右に左にと、丘をCR-Zが駆け上がる。
その背後を、タイラントボアは
長く伸びた牙が、何度もリアに触れそうになる。
タイトなコーナーを限界まで攻め込めば、すぐに後部座席のリトナが静かになった。彼女は
心の中でゴメンと謝り、イオタはアクセルを開け続ける。
周囲は徐々に木々が増え、あっという間に景色は森になった。
前方で道は、急角度のヘアピンカーブを描いている。
「カレラさん、しっかり掴まってて!」
わずかに、しかし確かにカキン! と、一瞬だけサイドブレーキをかける。主にラリー競技や、ジムカーナと呼ばれるオンロード競技で使用されるテクニックだ。特に、後輪に動力のないFF駆動の車では有効である。
強制的に発生させた荷重移動で、リアが浮く感覚。
そのままイオタは、大きくCR-Zを滑らせた。
そのままカウンターで逆ハンを切りながら、コーナーの出口へと車体の
そして、背後を猛スピードでタイラントボアが突っ切っていった。
「あっ……なんか、カレラさん、あの」
「曲がりきれなかったみたいね……
あっけない幕切れかに思えた。
コーナーを立ち上がったものの、イオタはわずかにアクセルを緩める。
だが、次の瞬間……背後の森が破裂した。
樹木を薙ぎ倒して、再びタイラントボアが突進してきたのである。その巨体は、勢い余って街道沿いの木々を次々とへし折ってゆく。
慌ててイオタは、再び運転に集中した。
そうこうしていると、眼の前に巨大な鉄橋が現れる。それはかつて、極東の島国で首都圏に渡された、海を超える架け橋だった。だが、そのことを知る者はもう、この時代には誰もいない。イオタ達のように転移してきた人間にもわからぬ程、その姿は風化と改修の連続で
「直線勝負か……って、カレラさん!?」
不意にカレラは、パワーウィンドウを操作して外気を呼び込む。
舞い込む風が彼女の翠緑色のツインテールをたなびかせた。
そのままカレラは、ハコ乗りの要領で外へと身を乗り出した。
「危ないですって、カレラさん!」
「前だけ見て走って! ……追いついてきた、並ばれる! でも、ここでなら魔法が」
器用にカレラは、上半身だけを乗り出している。
風が車内を洗って、彼女のワンピースがめくれ上がる。
下着が丸見えだったが、イオタは必至で集中力を維持して走った。
そして、タイラントボアが迫る。
「並ばれる前に……いっけぇ!」
カレラが伸ばした右手で、鉄砲を
その人差し指から、巨大な火球が迸った。
車体が大きく揺れて、わずかに挙動を乱す……
イオタも懸命にハンドルを操り、真っ直ぐに橋の上を走らせる。
どうやら今日は、行商や旅人を狙うゴブリン達はいないらしい。
だが、突風谷ノ大橋堡の長い長い直線は、まだ始まったばかりだった。
「よっし、一丁上がりっと! どう? 私の魔法、なかなかの、もん、で……嘘ぉ!?」
爆炎と煙の中から、タイラントボアは尚も抜きん出てきた。
そして、完全にCR-Zに並んでしまう。
慌ててイオタは、ワンピースのスカートを
すぐ左を走る猛獣は、チリチリと全身の毛がまだ燃えている。だが、それにも構わず全力疾走で、サイド・バイ・サイド……真横につけてきた。
あんな巨体で体当りされたら、小さなCR-Zは粉々になる。
橋から転落すれば、その下にもう海はない……切り立つ崖下へ真っ逆さまだ。
だが、様子がおかしい。
「見て、イオタ……タイラントボアが」
「……妙だな。俺達を……見て、ない? 前だけ見て……なんだ? 後ろからなにかが――」
血走るタイラントボアの目は、前だけを
そして、そのまま加速するや、完全にイオタ達を無視して走り去る。
同時に、背後に低く唸るような
それは、恐るべきパワーで加速を繰り返してくる。
あっという間に、その
闇を凝縮したような、漆黒の車体……そのボンネットに、腕組み立ち尽くす悪魔の姿。圧倒的なパワーを絞り出す
背に
そう、左だけの比翼を持った魔王は、ゆっくりとこちらを……立ち尽くすルシファーを見た。
「我が半身よ。久しいな」
「……魔王サタン。もう一人の私」
「ま、もう一人というか……俺様から抜け出た残り
「確かに、大半の魔力を私は
「相変わらず女々しいぜ、
黒いスカイライン、R34GT-Rだった。
最凶最悪の魔王として、教会の古き聖典に名を残す悪魔……サタンを
そのままGT-Rは、さらに加速してどんどん遠ざかってゆく。
イオタもアクセルをベタ踏みするが、差は開いていった。
呆然と立つルシファーの向こうへと、黒いGT-Rは消えていった。
「あれは……チャンプ。正体不明の、
ぽつりと呟くカレラの言葉で、イオタは理解した。
途中から、タイラントボアは追われていたのだ。追う者から追われる者へ……背後に迫る、チャンプのGT-Rから逃げていたのだ。そして、バイゼルハイムの方へとGT-Rの爆音は遠ざかってゆくのだった。
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